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第15話
「うまいコーヒーと……今日はハムのホットサンドがいいかな?」
「じいちゃん……パンないぞ」
「ふふふ……ほら!」
開店直後のパン屋で購入したのだろう。目の前にまだ湯気が上がりそうな食パンを一斤、目の前に差し出された。焼きたては切りづらいと包丁を当てながらパンと格闘していると、ゴロウは勝手知ったる様子でコーヒーをふたり分淹れ始めた。
「じいちゃんのコーヒー飲むの久しぶりだな。リョータにも飲ませてやりたい」
「いつでも連れてこい。あの子はかわいいからな。それにしても無事でよかった」
「なんでそれを? ……いつもはそんな心配しないじゃないか」
「白麗さんから「キッチン君津から邪悪な気が立ち上ってた」って聞いたもんでな……」
しばらくはホットサンドにかぶりつくゴロウを眺めながらコーヒーを飲んだ。食べ終わったゴロウが一息つくと、目が合う。
「お前も聞きたいことがあるんじゃないか?」
「…………俺がリョータにしていること。はっきりとは言わねえが、古着屋の由悟が知ってるみたいなんだよ」
シオリとしては重大なことを打ち明けたつもりだが、案の定というか、ゴロウはまるで驚かない。
「あいつは光苑寺の情報屋みたいなもんだから。だから驚かないが、思ったよりは早かったな」
「あいつさ、孫悟空の生まれ変わりだって言うんだぜ。マトモな奴じゃないとは思ってたけど、本格的に頭おかしいのかな? あれ架空の話じゃないのかよって。笑っちゃうよな」
うすうす予測していたけれど、シオリの軽口にゴロウが同調することはなかった。やはりこの商店街と光苑寺界隈では、不思議な転生が起きているのか。
「俺は……銀角だってさ。んで、リョータが金角だと。こんなことってあるんだな」
シオリは十数年ぶりに、開館時間になったら図書館へ行くつもりだったが、昨晩もリョータを寝かせる間片手でスマホを操り、金角銀角がそもそもどういう話だったかを見て回っていた。
「やっとわかったか。……しかしお前は、そんな大事なことまで人から教えてもらわないといけないのか」
「だって、頑張ったけど文献とか読めねーもん」
「はあ……得な性格なのか因果なのかわからんな」
ゴロウにはそう呆れられたが、シオリはずっとこうやって生きてきた。
海外をふらふらとしていたときもそうだ。ピンチになると自分の周囲のから自然に救いの手が差し伸べられる。それが誰であれ、ここぞと思ったら変なプライドみたいなものに邪魔されることなく、躊躇わずに手を伸ばせるのはシオリの特技だと思っている。
物語の中で、金角銀角のふたりは退屈しのぎに兄弟で下界に降りてきたとある。
その際主君である、太上老君の宝を盗んだことが原因で、母親である九尾の狐を孫悟空に殺されたと書かれているものが多かった。
ふたりも孫悟空を騙してひょうたんに閉じ込めるつもりが、裏をかかれて自分たちが閉じ込められてられてしまった。
その後は殺されるか、もしくは太上老君に返還されるか。いずれにしても彼らにとってはハッピーエンドではなかっただろう。
「うちの一族は『元銀角』が出てくるようだ。ワシのじいさんや、お前のことだな。ワシなりに昔、百目さんと元丸のところの資料を見せてもらって調べたのは……」
それはあまりにも突拍子がなさすぎて、にわかに信じがたい出来事だったが、シオリはいつのまにかゴロウの話に聞き入っていた。
――金角銀角が地上に降りたのは、炉の番に退屈したからではなく、ふたりが恋仲になったから。
男同士、それも兄弟。
禁断の恋は当然太上老君の怒りに触れ、命からがら下界へ逃げてきたというのが正解のようだ。母親は息子たちがしでかしたことに悲観し、責任を感じて自ら命を絶った。
孫悟空は母親を殺してはいない。金角と銀角、ふたりの始末を太上老君から地上で修業をしている三蔵法師経由に依頼されただけだと。
「三蔵法師って過ぎるくらいのお人よしキャラじゃなかったっけ? 上から命令されたとはいえ、人殺しを指示すんのか?」
「お前の知識はせいぜいネットや漫画、テレビドラマ止まりだろう? 性格も性別も……本当のことなんて誰にもわからないさ」
「…………で、孫悟空は任務を遂行したのか?」
無言の肯定がシオリに重くのしかかったが、妙に腑に落ちたこともある。
由悟は業種は違うとはいえ、同じように商店街で店を構えている。同世代ということもあるし、普段のシオリなら仲良くなってなにかと協力しあうはずだ。それが実際は初対面からいけ好かないヤツだと感じ、犬猿の仲は本日まで変わっていない。それが不思議だったが、そんな因縁があったのなら納得だ
「リョータくんの方は以前の記憶が戻る時があるみたいだな」
「そう、なのか?」
「お前に対してもどかしい顔をしているときがある」
それが、リョータに出会った頃よく責められた「なにも知らないくせに」なんだろうか。
「取り憑いたものの消し去りは、悪行の償い。同じことを課せられているのは世界中にいるそうだ」
ふたりはただ、愛し合っただけだろう? それを悪行だと言われてしまうのは、現代を生きるシオリには納得がいかない。だが許されない恋が騒ぎになって主君には恥をかかせ、母親の命を奪った。それは事実だ。
「なんか意味があるのかな? 俺たちのそれに」
「なんにでも意味はあるさ。生まれ変わりを望まず無になりたくて彷徨う霊も、お前たちが出会ったことも」
シオリがリョータと居続ける限り、それは死ぬまで続くのだろう。
もしかしたらそれが原因でどちらかが命を落とすこともあるのかもしれない。それに――。
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