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第17話

「リョータくん、なんか今日元気ないね」  会計の際、ゴスロリのお姉さんが心配そうに顔を覗き込むと「なんでもないです。ちょっとゲームやり過ぎちゃって……」と明るく答えている。こんなことで無理をさせて、居心地の悪い思いまでしてバイトを続けることもないと思うが、自分の目の届かないところにいて、いつリョータが取り憑かれるかわからないのも心配だった。 「でも俺といない時は多分、取り憑かれないんだよな」  おそらくリョータがひとりでいるときに取り憑かれたのなら、そのまま死んでしまっているだろう。それならシオリと離れれば、リョータが消え去りたいものに取り憑かれることはなくなるのだろうか。  ゴロウは消し去り「悪行の償い」だと言った。だとしたら、ふたりが離ればなれになり仕事をしなくなるのは、もっと悪いことを引き寄せてしまう気がする。今のところ、それを試してみる勇気はシオリにはなかった。不自然なままでもリョータがバイトを辞めずに通ってくれる今の状態を変えることができない。 「俺、泊まっていっちゃだめですか?」 「ダメだ」  生意気な態度は変わらないのに、リョータはシオリへの好意を隠さなくなった。ことあるごとに「好きだ」と迫られるようになった。 「俺がムキムキマッチョじゃないからダメなの? これでも筋トレしてるんだけど」 「そうだな、あと十センチ背を伸ばして二十キロ体重を増やしてこい。話はそれからだ」  できるはずのない条件を出して突き放すつもりなのに、本気に受け止める。それでも月に一、二回訪れる消し去りの後はシオリの部屋で目を覚ます。  直接頼めば断られるのに、気付けばシオリの部屋で目を覚ますことがある。その奇妙な習慣にリョータは、シオリからみてもわかる程ジレンマを抱えていた。ある日それが爆発した。 「もう、なんなんだよっ! 俺はシオリさんにとってなんなの?」 「大切なバイトくんだよ。店には欠かせない存在になってるの、お前だってわかるだろ?」  まるで納得のいっていない様子のリョータはバンッっとテーブルを叩き、シオリを睨み付けた。 「バカにするのもいい加減にしろ」  これ以上はごまかせないのかもしれない。できることならリョータには知られず消し去りを続けたかったが、やはり無理があるのだろう。 「お前は掌の痣のこと、誰かから聞いたことがあるか?」  ちゃんとリョータに話をしよう。なぜふたりに同じ痣があって、リョータが目覚めるとシオリがそばにいるのかを。そう心を決めてからそっと問うと、リョータは真剣な顔で頷き、話し始めた。 「俺の場合は小さい頃一回だけ会ったことのある年配の男性に言われた。「大変なゴウを背負っちまったな」って。その時は業なんて言葉もわからなかったけど、ずっと覚えてた」 「親戚とか、近い縁者なのかもしれないな」  ゴロウによればリョータは複雑な家庭環境のようだった。リョータもその男性が自分にとってどんな立場にある人なのか見当がつかなようだ。だが調べてみる価値は十分にある。 「この痣は、お前の言うとおりまさに「業」だ。それでな、リョータ」  目の前にいるのは高校生のリョータじゃなくて、かつて金角だった彼としてしっかり伝えなければならない。  消し去りの方法は具体的に説明することをやめたが、それ以外のことについては、現在シオリが知っている限りのことを包み隠さずリョータに伝える。 「夢で観たものと似ています。やっぱり兄弟だったんだ……」 「そうみたいだな」 「シオリさんに惹かれるのは、必然だったんだよ……俺、やっぱり――」  必死の形相で「シオリさんが好きだ」と詰め寄ってきた。  リョータのことはかわいい。だからこそ、余計にリョータの気持ちには応えられない。  そもそも金角銀角の兄弟は、恋などしなければ天界を追われることもなかったし、母親が責任を感じて命を絶つこともなかった。  今の自分たちも金角銀角のように思い合ったら、ふたりの命に影響するかもしれない。多分、繋げないほうがよい縁なのだと思う。 「リョータ」 「はい」 「俺はお前が高校生じゃなくても、細っこい身体じゃなくても、お前のことは好きにならない」  すぐに言い返さず、じっとシオリのことをみつめていたリョータは、やがてふぅと息を吐いた。まるでそうなることがわかっていたかのような瞳の色にあてられて、自分が招いたことなのに胸がチクリと痛む。 「今回もか……」  聞き逃してしまいそうなほどのつぶやき。あきらめと絶望が入り交じった救いのないトーン。  もしかして、選択を誤ったのではないか。取り返しのつかないことをしてしまったのかと唖然としたがもう遅い。淡々とした声が続いた。 「…………俺の母親ってさ、サイテーな人なんだけど。ひとつだけいいこと言ってたな」  家族のことになるとのらりくらりと話を躱すリョータが、自分から初めて母親のことを口にした。 「本当に好きな人とは、絶対にうまくいかないって。あの人にしては、まともなこと言ってたな」 「そんなこと……」  世の中そんな世知辛いことばかりではないし、相思相愛だってきっとある。だが今、シオリの口からリョータにそれを伝えるのはひどすぎる。ぐっと押し黙るとまたリョータがため息をつく。 「いつもからかわれてムカつくのに、気がつくとシオリさんのことを考えてるんだ。シオリさんの力になりたいし、いつもそばにいたい。そんな風に思うのはシオリさんが初めてだよ」 「……リョータ」 「すごく好きだ。だけどシオリさんは俺を受け入れてくれない」  結ばれた先に悲しいことしかないなら、結ばれなければ悪いことは起きないのでは? そう考えるのは浅はかなんだろうか。  自分の背負ったものにはあきらめがつくが、リョータには希望に満ちた未来を夢見てほしい。だからこそ首を縦に振るわけにはいかない。 「それはな、リョ……」 「もういいよ」  ぴしりと固い声に遮られる。  今は理解してもらえなくても、きっとそれが最善だったとわかってもらえる日がくるはず。この判断は、リョータを大切に思っているからこそだから。だがシオリの思惑など伝わるはずもなく、リョータはびっくりするくらい暗い目をして、シオリを見上げた。  そこには、いつもツンツンしていて意地っ張りの、だけど心根はやさしいリョータはいない。 「今生ではあきらめました」  身体の奥底から絞り出すような声音。高校生らしからぬ古風な言い回しで、リョータは絶望を吐き出した。

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