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第19話

 一目で見渡せる狭い二間の部屋。ほとんど物がないがらんとした畳敷きの部屋で、リョータは布団に入っていた。 「リョータっ! 大丈夫か?」  悲鳴のような由悟の声が響く。声に反応してうっすらと目を開けたリョータを、由悟がそっと抱きかかえた。いつも飄々としている天敵の慌てぶりにあっけにとられ、その光景になれると途端に胸がもやもやとするが、シオリにはどうすることもできない。 「……由悟さ、ん……?」 「そうだよ、オレだ。リョータ……すごい熱じゃないか。病院へ行こう、今連れていってやる」  リョータを抱えて走りださんばかりの由悟を、リョータが弱々しく引き留めた。 「だい……じょぶ、です……寝てれば」  はじめからそんな言葉を信じていない由悟は、眉根を寄せてますます険しい顔つきになる。 「オマエ、何日目だ?」 「二日……くらい、です……前もそういうことあったし……あ、バイト」 「そんなのはどうでもいい! 行くぞ。斉藤のジジイのとこならもう開いてるだろ」  本当にしんどそうなのに、渾身の力を振り絞ってリョータが由悟の腕を掴む。 「病院には……行けないです。保険証とか……あるかわかんないから」  由悟がふっとほほ笑んだ。慈愛に満ちたまなざしで、リョータにキスせんばかりに顔を近づける。  こんな由悟をシオリは知らなかった。  リョータに対してなら、心配して青くなったり、慌てて無様な姿をさらすのも平気みたいだ。 「大丈夫だから……今はそんな心配するな。俺にまかせろ」  強がっていても、まだほんの高校生だ。体調の悪い中ひとりで不安だったに違いない。それなのに保険証がないからと寝てやり過ごそうとする。  おそらくカツカツの生活を強いられているリョータには、たとえ一時でも十割負担はできないから。由悟の言葉でリョータの表情が少しだけ柔らかくなり、コクンと頷いた。  それからは素早かった。由悟は甲斐甲斐しく動き回る。水分を摂らせ、吐いたりしないのを確認してから、由悟がリョータを抱き上げた。 「リョータほら、つかまれ。シオリっ! こいつを俺におぶわせて、上着をかけてやってくれ」 「お、おう……」  てきぱきと指示する様子に圧倒されながらも、言われたとおりにしようとかがみ込む。そこで初めて、リョータはシオリの存在に気付いたようだ。 「シオリさん……?」  一瞬目を丸くしたが、話すのも辛いのかそうつぶやいた後は、由悟の肩に力なくもたれシオリから視線を外してしまった。 「じゃ、俺はこいつを病院に連れていくから。お前は元丸さんに謝っとけよ」 「は?」 「ドアのことだよっ! 聖天不動産の管轄だろう、どうせ。違ってたってあの人なら誰の持ちモンか知ってるはずだ。じゃあな!」  ばたばたと由悟たちが出ていく間、勝手な言い分だと思いながら、何も返せなかった。呆然として動けなかったのだ。  部屋の中はほぼ、何もなかった。  狭い2Kの間取りにはタンスひとつないのに、リョータが眠っていた布団の他には、小さなローテーブルと、壁に掛けた制服とカバンくらいしか目につかない。  リョータは、このほとんど何もないアパートの一室で暮らしているのか。リョータの話から母親は不在がちだとは思っていたが、本当はほとんど帰ってこないのではないか。  家族の話を聞こうとするといつもはぐらかされたことを、それほど重要に考えていなかった。どうせ近所だからと、履歴書の住所すら注視したこともなかった。わかってやろうとしなかったことを今さら悔やんでも遅い。  そして由悟のリョータに対する態度。  遊び慣れている由悟は、高校生に手を出すようなヘマは今までにしたことがない。また特定の相手など求めたこともなかったくせに、リョータには手を出せないほど、心から大切にしているのがひしひしと伝わってきた。  リョータの思いを踏みにじり、まるで相手にしなかったのは自分なのに、心のざわつきが収まらない。  リョータに出会ってからおかしなことばかりだ。自分の知らないところで、何かが始まったり、少しずつ変化が起きている。まるで時空がゆがんでいるみたいだ。  一時間ほどすると、ふたりが戻って来た。薬の入ったビニール袋を提げて、出ていったときと同じくリョータをおぶった由悟だったが、先程より随分落ち着いている。その様子にシオリも一安心した。 「なんだ、お前まだいたの? ってかドア直ってないじゃん」 「うるせ……修理屋は手配したよ」  元丸に連絡を入れて事情を話し、修理を依頼した。自腹になると言われたから、君津に請求書をよこすように伝えてある。そうしても落ち着かず冷蔵庫を漁って卵の粥を作って、だしのあんをかけたところだった。 「そっか、あんがと。じゃ、あとは俺がやっとくから。オマエは帰れよ」  由悟は布団にリョータを寝かせ、甲斐甲斐しく着替えを手伝ってやり、トイレットペーパーを入れた洗面器を枕元に用意している。 「用が済んだから帰れって……そりゃねえだろ。俺だって心配してるんだ、リョータのこと」  さすがに鼻白んで反論するが、由悟は冷たい。 「そう? じゃあ本人に聞いてみようか。リョータ、あとは俺がいればいいよな?」  由悟から耳元でやさしく問いかけられると、リョータはコクンと頷いた。一瞬だけシオリと視線が合ったが、ふいっとそらされる。   今生ではあきらめました――。  あの時リョータから絞り出すように告げられた、高校生らしからぬ言葉を思い出した。シオリはリョータの想いを拒絶したのだから、当然だ。  ここから出ていきたくないが、リョータはそれを望んでいない。シオリは力なく立ち上がった。 「……じゃあ、帰るわ。リョータ、お大事に」 「バイト、休んじゃってすみませんでした」 「そんなのいいって…………早く治せよ」  布団の中から半分だけ出したリョータの赤い顔が、いつまでも目に焼き付いていた。

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