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第22話

 決心したようにコクンと頷くリョータの頭をぽんぽんと撫で、ゴロウは下に降りていった。 「シオリさん……」  部屋にふたりきりになると、リョータがぐっとシオリの手を握ってきた。今は肉体の感覚が無いはずなのに、温かで湿った感触が伝わってくるようだ。 「俺にできることってなんでしょうか。シオリさん、目を覚ましてください」  横たわっている大きな男の手を握り、肩や頬を撫でるリョータの姿を見て、それが自分にされていることなのに胸がざらついた。同じことをもし由悟や他のヤツにしたらと思うとたまらなかった。  それにしても今回はなぜ消し去りが上手くいかなかったのだろう。  また、飲み込む前は随分昔の女の気配があったが、今はそれに加えて比較的新しい意識の女も加わっている。ふたりの意識を同時に感じるのは初めてだった。  一方ゴロウは元丸とともに南口の百目を訪ねていた。相変わらず元丸はゴロウが百目に頼るのが面白くなさそうだったが、今はそのゴロウの孫の緊急事態だから仕方ないと腹を括っている様子だ。元丸だって伊達に経営者を長年やっているわけではなくて、そういうところはさすが潔い。  だが事態は思ったより深刻なようで、百目に至ってもシオリの目を覚ます得策が見つからなかった。少しだけゴロウの顔にも焦りが浮かんでいる。うーんと一度唸ったきり黙り込んでしまった百目がやっと顔を上げた。 「瀧川さんのところに行ってみよう」  ゴロウと元丸は神妙な面持ちで頷いていたが、シオリには耳慣れない名前だった。だがすぐに驚愕することになる 『老い亀じゃねーか』  三人が連れ立って向かった先は、老い亀と呼ばれるホームレスのところだった。老い亀はいつも全身茶色の出で立ちだ。光苑寺界隈では至る所で目撃され、背中に担いでいる空き缶の入った大きなゴミ袋が甲羅のように見えるから老い亀と呼ばれているのだと今日まで思っていた。景色の一部のようなその姿は街になじみすぎていて、誰も気にすることがないような人物なので、シオリは首をかしげた。  三人はロータリー中央のベンチに座っていた老い亀に頭を下げた。 『嘘だろ? …………マジか』  思いのほかしゃんと立ち上がった老い亀が歩きだすと、三人はその後に続く。たどり着いたのは光苑寺横の大豪邸だった。立派な門扉には瀧川という表札がかかっている。  実は老い亀と呼ばれている男性はホームレスなどではなくこの大豪邸の主人だったようだ。 「今日は近くにいてくださってよかったです」 「いやー、最近は空き缶も自由に拾えなくなっちゃって、面倒な世の中になっちまったよなぁ」 「まあ、滝川さんもお年ですから、そろそろ徘徊はお辞めになった方が…………」 「失礼な。立派な趣味だし運動になるし、街の美化にも貢献できるじゃないか。年寄り扱いするんじゃない!」  激しい口調でやりとりしているが、妙にテンポがよい。三人のうちひとりは「美化って……いつも同業者と奪い合ってるくせに……」とぼやくくらいだ。四人は気安い関係なのだろう。 「あんたの孫が銀角だったんだな。見かけても全然わからなかったが……」 「痣はありましたが、あまりにも予兆がないので、近頃は間違いだと思っていたくらいで……」 「確かに。進んで人に話すことでもないしなぁ」  いい歳になるまで自覚がなかったとはいえ、そんな風に思われていたとは意外だった。 「どうだ? 直接様子を見た方がいいだろうか。私で力になれるかはわからないが……」 「ご足労かけますが、是非お願いします」  ここ光苑寺で真のラスボスみたいな老い亀でも、それに続く重鎮三人に頭を下げられては断るわけにもいかないようだ。  それからまた四人でぞろぞろと駅の反対口へ連れ立って、君津の二階へやってきた。ジジイが四人に増えて戻ってきたものだから、案の定リョータは口をあんぐりと開けている。 「リョータくん、みていてくれてありがとうな。シオリの様子は?」 「時々苦しそうに唸っています。あと汗がすごくて……」  説明しながらもリョータはタオルで額の汗を拭っている。シオリは我ながら苦しそうな様子に思わず唸り声を上げた。誰も気付かないと思ったが、リョータだけぴくりと眉を動かし、後ろを振り返ったのでどきっとする。 「リョータくん? どうした」 「……いえ、なんかちょっと後ろが気になったので」  瀧川がシオリの顔を覗き込んだ。傍らには以前シオリが少し開いてお手上げだったような和装本が置かれている。 「これはちょっとやっかいなことになったね…………」 「……というと?」  瀧川がどのような影響力を持っているのかシオリにはわからなかったが、彼の言葉ひとつでみるみる顔色を無くした三人の様子からすると、最後の砦だったのではないか。  瀧川は年齢のわりに驚くほど澄んだ瞳でリョータの顔をまっすぐとらえた。 「君に取り憑いた女性、どうやら消し去られたくなかったみたいで、生き霊を引っ張ってきたね。それでしがみついている」 『生き霊?』  誰にも気付かれず素っ頓狂な声を上げてしまうと、またリョータが上を見上げた。そして首をかしげている。もう少しで目が合ってしまいそうなくらい狙いを定めている。 「俺に取り憑くのは、消えたい人だけじゃないんですか?」  確かに今までリョータに取り憑いたヤツは皆、自ら消えてなくなりたいと望んでいた。今回は飲み込んだ直後に苦しくなり、取り憑いたのが女性の霊だったということすら、シオリは今気付いたくらいだったので、それが消し去られることを拒んでいたとは初耳だ。

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