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第29話
「リョータ、起きたら店の方に来いよー」
階上でごとりと音がしたので、階段下から声をかける。やがて「はい」と小さな声が聞こえてリョータが降りてきたのだが、まるでシオリの方を見ようとしない。先程まで抱きしめるとぎゅっと抱き返してくれたあのぬくもりを忘れられないのに、つれないものだ。
「……おはようございます」
ぼそぼそと挨拶はしたものの、その動きは緩慢だ。
「あっ…………もしかして、身体が辛いのか?」
「…………っ」
真っ赤になって顔を上げたリョータはシオリを睨んだので図星だったのだと悟る。
「悪かったな。動くのが辛いなら、上に持っていってやればよかった」
「……大丈夫です」
ご飯にほうれん草と油あげの味噌汁、ベーコンエッグに、鮭をみりんでつけ焼きにしたもの。隣の金物屋にもらった日本のオレンジ。
普段シオリが食べる量の倍以上用意したが、それらはあっという間に消えてゆく。男子高校生の食欲は健在みたいだから心配ないだろうとほっとしていると、おもむろにリョータが口を開いた。
「身体が辛いわけじゃない。こういうの……慣れていなくて、すみません」
起こしてくれる人がいて、食事を用意されていて。大抵の高校生にとって当たり前のことが、リョータにはそうではない。
「そっか」
どんな顔をしていいかわからなかったのだという。
「少しずつ慣れていけばいい」
「ありがとう。あの……シオリさん?」
「ん?」
「俺今ね…………今までで一番幸せです」
思わず身を乗り出して抱きしめると、リョータは腕の中で少ししゃくり上げた。今後リョータには、うれしい涙だけを流させることができるにはどうすればいいのか、シオリは真剣に考えてしまう。
「食事が終わったら、仕込みを手伝ってくれるか?」
「はい」
「配達を受け取って一段落したら、買い物に行こう。あとはお前が当面必要なものを揃えなきゃな」
「いいです……そんなの」
「そういうわけにはいかねーよ。俺が落ち着かねーもん」
「でも……」
「それなら、別のことでサービスしてくれれば…………って……痛ってえ」
「このエロオヤジつ!」
「リョータ、お前何を想像してるの? 俺は店の手伝いや家事を手伝ってくれればいいって言いたかったのに……うっ」
さっきの守りたい発言は撤回する。まずこの凶暴な野猿を手なずけるのが先かもしれない。
「うそだっ! 絶対エロいこと想定してただろ」
「はい……すみません」
なぜわかったのだろう。リョータを翻弄してぷんぷん怒らせていた頃が懐かしい。早々に手なずけ作戦は失敗となった。
「おはようさん」
「わっ、じいちゃん……」
「ワシの分もあるかなぁ? 朝ご飯」
なんだかんだ幸せな余韻に浸っていたシオリは寝ぼけ眼から一転、冷や汗をかくことになった。
ゴロウには身体が戻った時、あとで連絡をすると伝えてあったのだ。だがリョータとのことですっかり忘れていた。
「一応ワシなりに孫のこと、心配だったもんでね」
「ごめん、じいちゃん」
心配をかけたと素直に頭を下げると、へらりと笑みを返した。そのくせシオリの腕の中に収まっている存在には触れずにいるので、とうとうシオリの方がしびれを切らしてしまう。
「お…………おはようございます」
ゆでだこのように真っ赤になったリョータがシオリの腕を逃れる。
「リョータくん、おはよう。身体は大丈夫? ゆっくりしてていいんだよ」
「ジジィっ! 露骨なんだよ!」
「ん? ワシはお前の看病でリョータくんが参ってないか気遣っただけだが」
嵌められた……。これでは自ら暴露してしまったようなものだ。言い逃れのできない状態を身内に見られるのは、オープンゲイとはいえさすがに恥ずかしい。ましてリョータは世間一般でいうところの未成年、しかも現役男子高校生だ。
わっ、現役DKってなんかエロいな……などと暢気なことを考えている場合ではない。
「ストライクゾーンがこれまた随分広がったモンだな。それとも好みが変わったのか?」
「…………そういうんじゃねーよ。こいつは」
ゴロウがぽんと肩を叩いた。それは軽いものだったのに、ずっしりとシオリに響く。
「とりあえず……未成年淫行で俺が捕まったら、店とリョータのこと頼むな」
「お前が真剣に決めたことだろう?」
めったに真面目な顔を見せない祖父の神妙な様子に、覚悟を問われているのだと悟る。
「そうだ」
「それならもう言うことはないよ」
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