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第34話
「ごほっ……あー。うちはボロいんだ。店が壊れる」
「わっ、なに? 由悟さん?」
身体の自由がきいて由悟を睨むと、今度はリョータを抱えていた。その細身からは信じられないほど軽々と肩に担ぎ、あっという間にカウンターをひょいと飛び越える。
「リョータっ!!」
君津を出た由悟とリョータを追いかける。由悟は自身の店、ヌードフラワーを通り過ぎる。アルバイトの子はもう見当たらなかった。
さらに走り進め、とある築年数の古そうなアパートの前で立ち止まった。砂利の駐車場から玄関までが一続きの、セキュリティレベルが恐ろしく低そうな一室に入ってゆく。
「リョータを離しやがれっ!」
閉まりかけたドアを引いて怒鳴ると、目の前は服の山だった。古い住まいに慣れているシオリでも人が住めるのか疑問に思ったが、ここは由悟が倉庫に使っているようだ。山積みになった服をかき分けて奥へ進むとリョータが仰向けに倒れている。
「リョータっ!」
この短い時間になにがあったのか。リョータの意識はなく、そこへ由悟が覆い被さるようにしている。近づこうとするが透明の壁に阻まれたように前に進むことができない。
「無駄だ。結界を張っているから」
「おいリョータ、しっかりしろっ! なにをする気だっ?」
由悟はおもむろに自身の左眼窩に指を入れ眼球を取り出した。
「うわっ……」
掌に乗せた血まみれの球体にふっと息をかけると、それはまるで意思があるみたいにぐにゃりと多方に伸び、小さな人型になった。その塊はリョータの口元に近づき、わずかに開いた唇の隙間から中へ入っていった。
「リョーターーっ」
なにをしているかまるで理解できなくても、その禍々しい光景だけで十分にまずいことが行われているのだけはわかった。透明な壁をどんどんと叩いてもびくともせず、ふたりに近づくことができない。
「由悟…………てめぇ、リョータになにを入れた?」
「今まで俺が見てきた嫌なものを寄せ集めて形にしたもの」
「それをリョータに? お前、リョータが大事なんじゃなかったのかよっ」
ただ見ていることしかできないシオリを嘲るように凶悪な笑みを浮かべていた由悟は、シオリの一言でその笑みすら消し去った。
「大事? その通りだよ。リョータは俺にとって…………とても大事だ」
「だったら!」
「だからだよ。手に入らないなら、お前に渡すくらいなら」
半身を真っ赤に染めながら淡々とつぶやく。常々相容れないと思っていたがここまでとは。シオリは音すらしない透明な壁を何度も叩き続けた。
「……壊してしまった方がましだ」
「由悟、てめえのことは絶対に許さねえ」
「ふうん……お前をそこまで悔しがらせられるなら本望だ」
片目だけでニヤリと笑みを浮かべた由悟はこの上ない禍々しさを纏っている。
「昔々、天界に仲の良い兄弟がいました。兄弟は共に師匠が道具や薬を作り出す炉の番をしていました」
本で読んだ金角銀角のエピソードの導入部だ。でも今ならシオリも知っている。この話はフィクションだ。
「ボンクラ銀角ちゃんは覚えてないみたいだから教えてやるよ。孫悟空は九尾の狐を殺さなかったけれど、その息子たちには手をかけたんだ」
やはりふたりは太上老君の命のもと、孫悟空に殺されたのだ。道に外れた童子は神様になれないどころか、その存在すら忌まわしいものとされた。その先にあるのは、なかったことにすること。
「だけど大人しくいうことを聞く孫悟空じゃない。彼は金角に取引をもちかけた」
それは、自分のものになるのなら金角の命だけは助けるということ。その後の展開を思い出したのか、由悟の口元が悔し気に歪んだ。
「だけど振られたわけだー、悟空さんは」
シオリはわざと煽るように口をはさんだ。びくともしなかった結界が、先程からほんの少しだけ揺らぐ瞬間があることに気付いていた。由悟の注意が結界から離れれば、リョータを救い出すチャンスができるかもしれない。
「悔しいか? 手も出せないほど大切だったリョータを俺に取られて」
「なんだと!!」
由悟の背後で黒いものがゆらりと揺れた。操っていたのは当然由悟だが、それはもう彼の味方には到底見えない。「人を呪わば穴二つ」由悟程の能力を持つ者がそれを行ったら、意趣返しも容赦ないことくらい、わからないはずはないだろう。
それなのにあえてそうしたのは、それほどリョータ、つまりは金角が好きだったからだ。
「想い人がよりにもよって自分の死よりも、そのボンクラを選んじゃうんだもんなあ」
とどめの一言で怒りの意識が全力でシオリへ向かう。同時に透明な壁付がぐにゃりと折れ曲がった。
「今だ!」
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