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雨だれ
結局斎東がいっていた「着替えや食料」は夕刻までに届かなかった。
仕方がないのでカイを居間に呼び、粥 とぬかづけで簡単に夕げをすます。
カイは食が細いのか、おかわりをすすめると「もう十分です」といい粥椀を置いて手を合わせた。
酒もやらないらしいので、私一人、手酌でのむ。
そういえば、食事のときに向かいに人がいる、という光景を見るのは、何年ぶりだろう。
それにしても、きれいな男だ。
ろうそくの灯りをゆらゆらまとったカイの輪郭は、細くて今にも消え入りそうだが、背筋がすっと伸びていて、座姿にすら気品がある。
茶を飲み込むときに、ゆっくりと上下する形のよいのど仏。
その上にある顔のなかでは、やはり特に目がいい。伏し目がちな黒目は大きく、それだけに白眼が際立って澄んでいる。
形のいい鼻といい、細い筆でさっとかたどったような薄く伸びた唇といい、見事なものだ。間違いなく高級品だろう。斎東はこれをどこで手に入れたのか。
自分の屋敷に置かなかったのは、私に見せびらかしたかったからなのかもしれない。美しいものが好きなのは私も同じだから。斎東もそれを知っていて、様々な美術品をここに運び込むのだ。あの華奢な仏像といい、この男といい。
雨だれの音色を聞きながらそんなことをぼんやりと考えていると、カイが口を開いた。
「斎東さまとは」
うわついていた視点をカイ本人に降ろす。落ち着かない様子だ。
…そうか。主人が客人と食事をとるときは、普通ならば主人のほうから気を使い、あれこれとおしゃべりをするものなのかもしれない。客人の素性が知れないとなればなおさらだ。いろいろと聞き出そうとするだろう。
私はといえばだまって酒ばかり呑んでいる。しかも、無遠慮にずっとカイをみまわしているのだ。カイにとっては苦痛だろう。落ち着きをなくすのも無理はない。
「どういったご関係になるのですか。さきほどはずいぶんと、親しく接せられていましたが…。」
なんだ。私に対する焼きもちか?身請けされたうえで斎東から逃げ出そうとしていたはず。いや、単に、沈黙に耐えられなくなっての話題作りか。
「悪友です。」
…以上。
また静寂。
斎東とは以前はいろいろとあったが、今はたまに自慢話や愚痴などこぼすのを聞いてやる程度の仲だ。初見の、素性の知れない男娼に対し、話して聞かせてやるほどのことはない。
カイは、あぁ…と薄く笑っていってから、またしばらく考え込んでいる。
そうか。カイは、沈黙が苦痛なのではなく怖いのだ。
私が今にも自分 の素性を探ろうとしてくるのではないかという不安があるのだろう。自分の素性は聞かれたくないらしい。そこは安心してもらいたい。斎東の男娼の素性など、私はまったくもって興味が無い。斎東も、私のこういうところを見込んであなたを預けていったのですよ。口には出さないが。
カイがまた口を開いた。
「では、斎東さまは…
…どういった方なのでしょうか。」
カイのこの質問に軽く驚く。身請けまでされたくせに、まるで知り合って間もないようじゃないか。
「斎東をご存知ないのですか?」
思わず凝視すると、カイは苦笑いをし、またうつむいてしまった。長いまつげが上下する。
「てっきり、私より親しいものなのだとばかり。」
おっと。親しい、が強調されてしまったか。しかしカイは特には気にとめない様子。
「…斎東さまとは、今朝、お会いしたばかりでして…」
「今朝?」
ますます以外だ。
「斎東さまは、旅人であった私が、山中で倒れているところを、助けてくださったのです。」
言葉を選びながらゆっくりと話すので、
「旅をされていたので?」
と、あえてそこをいじくり起こす。
カイはまつげをあげて一瞬こちらを見たが、またすぐに下へと視線をはずした。
まるで、抱きかかえられた飼い猫が見られていたくないのだともぞもぞ動き出すように、静かに、だが完全に、落ち着きをなくしてしまっている。
カイが湯飲みのふちを親指でさする様子を見やりながら、口が開くのを意地悪く待つ。
「……はい。旅をしている途中で…峠で霧に惑いまして、すっかり、途方にくれていました。…空腹と寒さで、動けなくなり…このまま、野犬に、食べられるものだとばかり思っていましたが、そこへ…鹿狩りをされていた斎東さまが現れたのです。」
なるほど。自分のことはあくまで話したがらない。
しかし、さきほどまでまったく興味がなかったカイの素性を、私は今、知りたくなってしまった。
この男は男娼ではない。男娼でないとすると、では、彼は何者なのか。
ここへきて私は、ある疑念を抱き始めていた。
そういえば、カイのなにげない言葉遣いや立ち振る舞いも、そう考えれば合点がいく。
しかしとりあえずここは、彼が知りたがっている斎東の情報をざっと話してやることにした。
斎東は大きな鉱山の主 であること、鉱山ではスズや亜鉛のほか、少しだが金や銀も掘り出していて、この地域では、かなりの権力と財力が斎東に集中してあること。
…それから、あえていってみる。
「山深い場所にあんな町があるとはご存知なかったでしょう?同じ藩の役人でも、知る者は少ないかもしれません。実は、この周辺一体は、幕府の隠し鉱山なのです。」
カイは身じろぎひとつしなかった。だが、まつげの下で一瞬黒目が動くのを、私は見逃さなかった。
「…幕府の?」
「そうです。」
カイは、少し息を吐き、うつむいたままでつぶやくようにいった。
「ご存知ないのですか?…半年ほど前、幕府は、…消滅しました。」
「そうでしたか。」
あっさりといってみせる。
「まぁあの町自体、なかば外とは隔離されたひとつの国のような機能を持っていますから。上層部がどれだけ変わろうと、斎東がこの鉱山を牛耳っている限り町に影響はないでしょう。それにあそこにいるのは、もとからそんな雲の上のことには興味が無い者ばかりです。」
カイが少し震えているように感じられた。疑念が確信に変わるのには充分な反応。
だが、まだその手札をちらつかせるほど私は悪人ではない。
それからカイは顔を上げるとわざとらしいまでの笑顔を作り、つとめて明るく、といったふうに、やはり山のうえは寒いですね、とか、庭にあるなんとかの花がきれいですね、とか、他愛の無い話題を作り始めたので、私もそれに応えた。
応じながら、私がこんなに長く人と話すのは初めてかもしれない、とぼんやり思った。やはり不愉快に感じなかったのは、カイの声が澄んでいて、薄暗いろうそくの灯りによく馴染み、私の好きな雨だれの音に似ていたからかもしれない。
しばらくすると話も尽きて、また訪れた沈黙をこわがったのか、疲れたので先に寝床につくといい、カイは席を立った。
私は、カイの細い背中を見送りながら、これまでカイの身に起こった不幸と、これからカイの身に起こるだろう不幸を想像し、少し愉快になって、そっとほくそ笑んだ。
-----------------------→つづく
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