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理性と、本能

 人間嫌いな私は突然の客人を好まない。  用があるときは必ず社殿の鈴緒を引いて、鐘の音を鳴らすようにいう。音が鳴れば出て行くので、そこから先には勝手に踏み込むな、という意味だ。  わずかばかりの知り合いはそのことをよく知っている。せっかく新しくしてもらったのに呼び鈴がわりに使われて、鐘もさぞかし迷惑だろう。だが、すでにここは神社としての機能を有していない。  この簡単な決まりごとを守れずに、斎東はいつも勝手にここまで踏み込んでくる。  でかいのでうるさい足音ですぐに斎東だとわかる。はたして、居間の障子が「がっ」と開いて外の闇からぬっと斎東が現れた。 「よう。」  お。手に酒瓶が二本。これはありがたい。 「逃げてないだろうな?」   いきなりそれか。 「斎東、あいつは何者だ。どこで買ってきた。」 「買う?ちがうよ、拾ったんだよ。」  やっぱり。 「どこで。」 「鹿狩りをしてたら、おれの犬が見つけたんだ。寝てたんで良かったものの、突っ立ってたら鹿か何かと間違えて撃つとこだった。」  こんな雨のなか主人の酔狂で鹿狩りに付き合わされる子分たちには同情を禁じえない。だがたいがいの人間は、斎東の風貌と気性の荒さと、そしてその権力とに萎縮して逆らうことをしない。  私ほど斎東に対してずけずけとものをいう人間はおそらく下界にいないだろう。とっくに骨の二、三本は折られている。そうならないのは、私がそんなに自分の保身を考えない型の人間であることと、ただ単に斎東のであるからだと思う。  斎東は事情を説明する気になったようで、あぐらをかいて座ってから酒瓶を差し出してきた。一杯もらって返杯する。  斎東は一気にあおって、 「まだ息があるようだったから屋敷に連れて帰った。普通ならほっとくけど、あれはいけると思ってな。風呂に入れて着がえさせたら、案の定だ」  にやっと笑う。 「そのまま屋敷に置けば良かっただろう。なんでここに連れてきたんだ。」  斎東は、そこなんだ、というように大きくうなずいた。 「ぴかぴかになったあれを見て、まず女どもが騒ぎ出した。あれを取り囲んで、ボサボサになっていた髪を散髪したり、新しい着物に着がえさせたり、なにやらわあわあし始めた。すると、それを見ていた男どもまでざわざわし出した。これは面白くないことが起きると思って、どっか別の場所に連れて行こう、と。」  そういって斎東は、「おれって頭いい」みたいにまたひとりでうなずいた。「うん、うん」じゃない。  斎東は続けて、 「飯もそこそこに屋敷から追い出した…と見せかけて、ここの下の三本杉のとこで待ち構えて、で、お前に会わせたいっつって、ここに。」 「誰にも見つからなかったのか?」 「鹿狩りに行ったといったろう。午後は大宴会だよ。あのままだとあれは、宴会のさなかにどっかに連れて行かれてまわされてたな。いや、ほんとにいいことをした。」  なにが「いいこと」だ。思わず吹き出すと、つられて斎東もくすくす笑う。 「いっておくが、ここをお前専用の遊廓にはしないぞ。」  自分でいってからぞっとする。  斎東は笑って立ち上がり、私の頭をくしゃくしゃにしながら、 「おれは、そんなに軽くない」 といった。  触られるのは嫌いなので、露骨に振り払う。  斎東は、ふふっと笑って、「厠、借りてく」といって去った。  そうか、それでは私も、寝室へ行くことにしよう。  カイのいる客間は南東の一番かど、私の寝室は北東のかどに配置されている。  客間から寝室へ向かうには、廊下をぐるりと一周するように廻らなければならないので、一見客間と寝室は離れてみえる。しかし、実は壁を隔ててすぐ隣り合わせにある。  居間から寝室に入ってすぐ、灯りもつけずに押入れを開ける。上段に登って座り込むと、ちょうど目の高さにのぞき窓がある。  もともとは「見張り窓」だった。  客間からは暗い飾り窓が見えるだけで、こちらが気付かれる心配はない。  客人というのは何かと物騒なので、盗人や罪人が紛れたりしたときに備え、ここから見張ることが出来る仕組みになっているのだ。もっとも、人間嫌いの私は見知らぬ客などこれまで受け入れたことはない。  窓からのぞくと、部屋の中はほんのりと明るい。  光が漏れないようにか、カイは屏風(びょうぶ)障子(しょうじ)の側に立てかけていた。あの屏風も、いつか斎東が持ち込んだものだ。  屏風には銀箔が施されていて、それがろうそくの灯りを反射し、部屋をほの白く照らし出しているのだった。  客間には洋灯も置いているのだが、使い方は知らないらしい。斎東は行灯(あんどん)の匂いを嫌い、うちにはろうそくしか置かない。高価なろうそくしかないことに、カイは躊躇しただろうか。そもそもカイは、どの程度のなのだろう。  のぞき窓の真正面にいるカイは、横を向いて文長机に向かい、ろうそくの灯りをたよりに何か書き物をしているようだった。  寝間着に渡していた浴衣は白地だったので、薄暗い灯りのなかでその姿は浮かび上がって見えた。顔や首元や手の、肌の白さまでよくわかる。  ふと、少し伸びた前髪の向こうでまつげを何度かしばたかせ、カイは屏風を、つまり障子の向こうにある縁側のほうを見た。誰かが向かって来ることに気付いたのだ。ほどなく私にも斎東の足音が聞こえてきた。  カイは慌てて書きかけの紙と筆を机の下に置き、腰を上げて燭台に近づいた。  障子がいきなり音を立てて開いたので、カイは、ろうそくの火を消そうとしていたことを一瞬忘れ、誰もがそうするように音のほうを凝視した。  カイが動いたからか、外からの風か、ろうそくの灯りがゆらっと揺れる。同時に、雨の音が流れ込んでくる。 「斎と」  声が途切れたのは、斎東がいきなりカイの着物の襟をつかんで引き寄せ、カイに自分の口を押し付けたからだ。  斎東のほうがカイより格段に大きいので、カイのほうが斎東にぶら下がっているように見えた。  カイのかろうじて畳についているつま先が地面を探り、均衡を保とうとしている。思わず斎東の着物をつかんでいる両手が、こういっては悪いが、なんともかわいらしい。  カイのようなの人間は、よほど場馴れでもしない限り斎東のようなの人間の突発的な変化には勝てない。現状を判断し、次の目的と、そのための行動を探るのに、時として理性は邪魔者だ。どうしても一拍ひるんで動きが止まってしまう。  数秒のあいだ静止してしまっていたカイだったが、斎東の変化に対応すべく、つかんでいた手を離し、それを前に突っぱねるようにして、斎東から逃れようとし始めた。  しかし、斎東の力に勝てないのか、うまく踏ん張れないのか、今度は斎東に右腕で腰をたぐられ、左手で頭をつかまれ、さらに激しく口を押し付けられた。 -----------------→つづく

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