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素性

 また雨の夜が来て、斎東が現れた。  こんな山奥に、毎晩ご苦労なことだ。  ふらっと居間にやって来て、「おう」 などという。少し酒を呑んでいるらしく、上機嫌だ。  「いい酒が入ったぞ」 といってまた酒瓶をよこし、さっそく客間へ行こうとするのを、無造作に束ねられた後ろ髪をひっぱって止める。 「痛って」 「お前知っていたのか?」  頭を抑えて振り向きながら、斎東はけげんそうに「なにを」 という。 「カイの素性だ。知っていて連れて来たのか?役人に見つかりでもしたら、お前が面倒だろう。」  役人などこんな山奥に来たことは無いが、もし罪人を隠していたことが知れたらどうなる。  私は、斎東の身を少し案じていた。斎東はきょとんとしている。これは本当に知らないのらしい。私は誰もいないのに声をひそめて、「“カイ”は偽名だ。あいつは、隣藩の、例の加佐井家の長男だ。」 といった。 「あ、お侍さまだったか。」  斎東はまだおどけている。 「加佐井の事件を知らないのか?」 「いや、知ってるよ。」 「山の中で血まみれだったから、よく野犬に喰われなかったなとは思ったけど。そうか~なるほど合点がいった。」  呆れてしまった。  こいつは、美しいものであればその素性などそれこそ「どうでもいい」のだ。  斎東の心配などしてしまった自分が馬鹿のようだ。またむしょうに腹が立ってきた。  私の様子を察したのか、斎東は私の頭をゴシゴシなぜて、 「大丈夫だ。」 といって、ふふっと笑った。  その手を叩くようにはらい、荒らされた髪を乱暴に戻す。私は怒っているのだ。  斎東は笑顔のままいった。 「幕府がおっ潰れてまだ間もない。役人は今、気のふれた田舎侍を追うほど暇じゃないさ。」  まあ、確かにそうだ。 「カイは気がふれていると思うか?」 「ふふっ、まさか。カイのあの様子だと、恐らく“武家魂の強いお父上さま”に云われたか何かで、一家心中でも図ろうとして、失敗したクチだな。」 (正解。)  さすが斎東。 「いずれにせよ、今のご時世では“どちら”も気のふれた所業なんだ。」  斎東は鋭い。  確かに、カイの父親がとった行為は武士として潔いとされるのだろうが、今時分、大号令で幕府が無くなったからといって、わざわざ腹を切るような侍はまずいない。江戸から遠く離れたこんなかた田舎では、なおさらだ。おそらく惨殺事件の真実が知れたとしても、世間では鼻で笑われて終わりだろう。  それにしても自分のが、実は一家を惨殺した張本人だと知ってもこの男は全く動じない。(そういう私も、人のことはいえないのだが)  斎東にすっかり懐柔されて落ち着いた私は、なんだかすべてが本当にどうでもよくなった。 「お前がそれでいいならいいさ。やつも死にたがっているようだし、どうせここにいても長くはないだろ。」  ぶっきらぼうにいって座り、きせるに煙草をつめていて、斎東がまだ動かないことに気付いた。 「どうした、もう行っていいが?」  見上げると、斎東からはさきほどの笑顔は消え、真剣な目をしていた。 「…死ぬのか?」 「は?」 「あいつは、死にたがっているのか」  なんでそこなんだ。斎東は単純でわかりやすい男だが、時々理解に苦しむ。  と、斎東は駆け出すようにまた外に出て行った。わけがわからない。  しばらく酒を呑みながら待っていたが帰ってくる気配は無いので、仕方なく寝室に移って休むことにした。  寝る前にそっと押入れから客間をのぞくと、カイは静かな寝息をたてている。  ゆっくり上下する布団の様子を見ていたら、ついうとうとしてしまったようだ。  どのくらい経ったのか、ふと目を上げて、驚いた。  カイの足元にずぶ濡れの斎東が立っていたのだ。大きな黒い影が不気味に荒く息をしている。  手に何か持っている。暗くてよく見えない。カイは深く眠り込んでいるようで、まだ斎東に気付いていない。  黒い影が動いて、カイの枕元へ近づく。突如、斎東はカイの布団を剥ぎ取り、上に馬乗りになった。 「あ」  カイはそこでやっと気付いて短く声を上げたが、のどの辺りを押さえ込まれたのか、「ぐうっ」と悲鳴をあげて、苦しそうにばたばたと暴れ始めた。  ときおり何かを吐き出しそうな声を出す。無理やり何かを飲まされているのか?躊躇したがさすがに心配になり、そっと押入れを抜け出して客間へ駆けつけた。 「斎東!何をしている」 「灯りをつけろ」  カイを押さえ込んだままの斎東が振り向きもせず命じてくる。苦しそうなカイのうめき声がする。  しかたないので洋灯に火を灯し枕元へ持っていくと、カイの口の周りに何か針金のようなものが這っていた。  くちびるや頬に血がついている。  灯りが来ると、斎東は乱暴にカイをうつぶせにし、針金を後頭部でぎりぎり巻いて固定した。  これは。  「そこの」 斎東が血まみれの手を差し出してきた。「咬まれた」 といった。カイの顔の血は斎東のものだったようだ。  「そこのあれ。」   振り向くと、皮の袋が二つと、金属で出来た手かせがある。手かせは、二つの輪が繋がった形をしている。  取って差し出すと、斎東はうつぶせになって暴れ続けているカイを今度は胸にひきよせて、やすやすと腕をひっぱり固定する。そして、私の手からまず皮袋を取り、片方ずつはめた。今度はその皮袋のうえから、右から順番にしっかりと手かせをつける。  そこでやっと斎東はカイを抱えるようにし、ゆっくりと布団に置いた。 --------------------→つづく

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