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亡者と悪鬼
カイの寝顔を見ながら髪を撫でているうちに、空が夜を迎えた。
雨音は耐えない。雷もまた始まった。
居間に現れた斎東に、金具が「外れた」というと、「外したんだろ」 とすぐにばれる。
ばれればてっきり殴られるものと思っていたが、なぜか斎東は、「さすがお前はおれのことをよくわかってるよな」、などといい、また頭を撫でてきた。
先ほどまでカイに同じことをしていたのに、自分にされるのは腹が立つ。
「触るなといってるだろうが!」
乱暴に手を払った。
何度目だ。無駄だとは思いつつ、「お前も少しは私のことをわかってくれ」 などとぶつぶついってみるが、やはり斎東は全く動じず笑っている。
「今日はいいものを持って来たから、手伝え。」
にやにやしながら斎東は袖から白い布で巻かれた細長い何かを取り出した。
まったく今度はなんだ。
開くと、黒地に青と銀の糸でひし形に装飾された、棒のようなものが出て来た。よく見ると小さく龍の刺繍がしてある。
「刀の柄だ。」
「つか?」
いわれてみれば。手にしてみるとけっこう長くて重みがある。
「刃もつばもついていないぞ。なんに使うんだ。」
これが、いいもの、か?
「同じことを刀師にもいわれたよ。お前にもわからないか。わざわざカイのために作らせたんだ。柄だけなのに三日かかった。」
斎東は柄を私の手から取り、「刀は侍の象徴だ。そうだろ?」といい、自分の腹を切るような仕草をしてみせてからいった。
「この刃の無い刀で、カイの魂を断つんだ。もうお前は侍じゃないということをわからせて、奴を楽にしてやるんだよ。」
まだ何をいっているのかわからなかったが、次に斎東が柄をくわえるような仕草をしたとき、ようやく理解した。
ああ。この男はつくづく残忍な性格をしている。
斎東は、カイに、口でのほどこしを強要しようとしている。何度か試してはいたが、カイはそれだけは受け入れようとせず、斎東はあれからも一度指を咬まれている。柄をくわえ込ませて、そのうえで…
私は顎を押さえるよういわれた。さすがにカイに同情したくなる。そこまでしてさせたいことか?
「くだらない。」
はっきりというと、斎東は真面目な顔になり、
「くだらなくない。これは儀式だ。」
といった。
斎東について客間に行くと、カイは布団を頭までかぶって寝ているようだった。
と、斎東はいきなり布団へ歩み寄り、思いきり強く布団を踏みつけた。
カイ!おもわず声を出しそうになったが、斎東は「くそっ」 といい、布団をめくった。事態はさらにまずかった。
そこにカイがいなかったのだ。敷布もなくなっている。
斎東が舌打ちをして振り返った。
「最後に見たのはいつだ。」
鬼のような形相で私を睨んでいる。
「日が暮れてから食事を与えた。居間に戻ってすぐお前が来たから、そう時間は経っていないはずだ。」
斎東は外を見た。稲光が、さっと庭を照らす。そこにカイは見えない。
「おれは境内のほうを見てくるから、お前はこの庭の周辺をあたれ。」
雷鳴。斎東は外へ傘も持たずに駈け出した。
思えばカイは、自分の贖罪が充分果たされたことを私に伝えていたのに、私は浅はかだった。
洋灯に灯りをともし、縁側に立つ。
そこで冷静になって、厠 にいるのかもしれないと考え、厠へ行ってみた。
念のため風呂場も覗くが、カイはやはりいなかった。
仕方なく縁側に戻り、たもとに置きっぱなしになっていた傘を取って庭に出る。
暗い庭のなかで、あじさいの花だけが浮かび上がって見えている。
ときおり、稲光があじさいを強く照らす。
冷静になった私の頭のなかでは、カイが、このまま斎東に見つからなければいい、という思いが広がっていた。
私が先にカイを見つけたら、連れ戻してどこかに隠し、正真正銘の私だけのカイにすることもできる。そっちのほうが、カイも幸せではないのか。
だがさきほどの斎東の顔。斎東はカイを執念深く追うに違いない。猟犬でも持ってこられたらひとたまりもないだろう。そうすれば、今度こそ私は斎東に殴り殺される。
…まあ、それでもいいか。
死ぬことはおしくない。などと、私はまたいらないことを考えてしまっている。
「カイ。」
飼っている犬かなにかでも呼ぶように、カイを呼んでみた。返事などするはずもない。なんとなく、もうこの周辺にはいない気がする。
「カイ。」
もう一度呼んで、あじさいの茂みの後ろを照らす。
そこにカイが震えながらうずくまっていたら、どんなにかわいいか。
敷布を体に巻きつけて、雨に打たれながら、こっちをじっと睨んでいるのだ。
しかしそこにもいなかったので、私はなんだか探す気も失せた。
どうせ斎東が見つけるさ。逃げおおせきるはずがない。
煙草でも吸って待っていよう。私はつくづくのん気な人間だ。
縁側に戻って、煙草盆を取ろうと上がりかけたとき、境内のほうから悲鳴が聞こえた。
…カイだ。
いくら相手が斎東とはいえ、お前、もう少し上手に逃げられなかったのか。まあ、手かせもついたままで、しかもあの衰弱ようなら無理もないか。
洋灯を持ちなおして、傘を片手に境内のほうへ向かう。
カイの声が近くなる。
傘をうつ雨音にまじり、悲鳴に似たカイのわめき声が途切れ途切れに「どうか…」 とか「…てください…」 とかいっている。
渡り廊下を通り過ぎようとして、視界に白いものがよぎり、左を向くとカイがいた。斎東もいる。渡り廊下を挟んでむこうの楠木に、カイが押し付けられていた。
カイは手かせを斎東の首にまわし、背中を楠木に預けたまま、くったりとぶら下がっている。敷布と斎東の着物でよく見えないが、足を広げられ、斎東のものを押し込まれているらしい。すでに意識はないようだったが、斎東が腰を動かすと、びくん、と体を震わせた。
立ち尽くしてしまった。
あそこは、地獄だ。
渡り廊下を挟んだ向こうに広がる光景は、まさに地獄のそれだった。
白い美しい亡者と、それを責め苛む黒い悪鬼。燃え落ちて幹だけになった楠木の巨木でさえもなにかを暗喩しているようで、ときおりさす稲光が、風景をさらに完璧なものにしていた。
斎東が私に気付き、カイから自身を引き抜いて、細い腕を首にかけたまま体をかき上げ、こちらに来た。
渡り廊下を乱暴に越え、私の前に立つ。
目がそらせなくなり、斎東を見上げたまま動かずに立っていると、斎東が口を開いた。
「殺せといってきた。」
---------------------→つづく
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