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陽光

 マキチが来たので、今日は風呂を沸かして欲しいと頼むと、マキチは快諾してくれた。  雑炊を運ぶと、てっきり泣き疲れて寝ているかと思ったが、カイは、私が置いていた新しい浴衣を着て縁側に居た。  白地の浴衣の足もとに、緑の色の夏草模様。  左手首を鎖で繋がれているので、着物の前をはだけさせ、そこから左腕だけ出している。  雑炊を置いて、床の間から手かせをはずして自分の左手首に巻き、いったん縁側から降りてカイの前に立った。カイが無言で左手首を差し出す。私が鎖を外すと、カイは左腕を袖にとおしてまた手首を差し出した。もう必要ないだろうと思いつつ、手ぬぐいを巻きなおしながら手首に手かせをつける。  手かせの跡が痛々しい。触ろうとして、ゆっくりとかわされた。カイの目を見たが、特に怒っている様子もなく、ぼうっと庭を眺めたまま。  カイの隣に座る。 「…私の家の庭には、ハマユウが植わっていました。」  カイは、私が隣に座ると、独り言のようにつぶやいた。加佐井の屋敷は海が近いのだろう。 「あじさいが終わるころに咲く花ですね。」  カイはコクンとうなづく。視線は庭のあじさいを見つめている。  日差しの下で見ると、カイはいっそう細く痩せてみえる。陽光に生気を吸い取られているかのようだ。  照り返しに切り取られた眼の下には、薄くくまが出来ていた。透けるような肌。今日は珍しくよく晴れていることが、空を見なくてもわかる。  じっとカイに見とれていると、さあっと雨が降ってくる音がしたので、目線が動く。晴れた空から落ちてくる雨の粒は、光を帯びてきらきらと光っている。  突然、カイはふらりと立ち上がり、裸足のまま庭に降りた。  ゆっくりと歩きだす。 「…濡れますよ。」  とりあえず当たり前の言葉をかけたが、カイの、白い浴衣の下の、しっとりと濡れてゆく肩に、背中に、私はやはり見とれてしまう。  きらきら光る雨粒のなか、溶けるようなカイの姿は、幻想的だ。白い首筋にかかった黒髪を見て、少し伸びたな、と思う。  左腕を引っ張って止めることもできるが、もう少しカイを見ていたい。やがて鎖がぴんと張ったが、カイはまだ止まろうとはせず、視線を向こうに向けたまま、逆に私の腕を引っ張った。  なぜか急に、カイをここへ引き戻さなければという強い衝動のようなものが胸を走った。  カイが、本当に、こんぺいとうのように溶け出してしまうのではないか。  なんだか、そんな妙な胸騒ぎがする。  庭に降りて、濡れながらカイに近づいた。私が動いたので、カイはまた進みだす。  ついにカイは、枯れたあじさいの花の前までたどり着いた。  鎖を手繰り、カイの後ろに立つと、カイは、茶色く変色したあじさいの花に、細い指を伸ばして触っていた。  澄んだ声が聞こえる。 「あじさいの花は、枯れても、桜のように散ることはないのですね。」 「…それは、」 あなたのことですか。私が答え終わらないうちに、カイは、  いきなり倒れた。  突然のことに驚いてカイの体を支える。  カイを抱え起こそうとして、一瞬固まる。  ぞっとするほど熱が高い。  ぐったりと私の腕に身を預けるカイの様子を見て、私は今までにない焦燥感にかられた。  風呂を準備させていたマキチのところへ行き、「鬼子母神の熱が高く、様子がおかしい」 と斎東に伝えるようにいって、走らせる。  カイは下熱薬も受け付けず、うっすらと天井を見つめたまま、浅く息をし、時々うわごとを繰り返した。  誰かに詫びている様子だ。さすがにこれはまずいのではないか。  一度、濡らした手ぬぐいで、カイの顔や、首に浮かんだ汗を拭いているとき、カイが、ゆっくりとこちらを向いて口を動かした。  顔を近づけると、 ありがとうございました といわれる。  背筋が冷たくなった。感情を抑え、斎東が来る前に死なれると、私が殴られますが、と冗談めいていうと、カイはかすかに微笑んだ。その顔も、おそろしく美しいものだった。  早く斎東が来ることをただ願った。  ----------------→つづく

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