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-After Film- 2.憂い

「はぁー。もう、僕のばかぁ!」  大きなため息が稜線の続く広大な緑に吐き出されて、瞬刻うっすらと白くなった空気はやがて風に攫われていった。  昼下がり、たっぷりとした防寒具を身に纏ったリオがアンディと一緒に向かった先は、ウィンガー家の領土である鷹場。  今朝のグレンとの不毛なやりとりにむしゃくしゃして、幼馴染のアンディに泣きついて慣れない鷹狩りに連れて来てもらったものの、やはり脳内を占領しているのはグレンことばかりだった。  数時間前、目を覚ました時にはベッドにグレンの姿はなかった。  今日から二週間グレンに会えないというのに、最後に交わした言葉があれだなんて最悪だ。おまけに力の限り彼の胸を叩いたりなんかして、可愛げのカケラもない自分に、心底うんざりする。  はぁー。と、ふたたびため息が漏れ出そうになったので、首元に巻いたふかふかの毛皮で口元を覆った。 「どした、リオ。ため息なんて珍しいな」  同じく防寒具に身を包むアンディは、遠くの空に向かって猟銃を構えて片目を眇めている。その頬や耳は生身のまま、すっきりとした輪郭のラインが冷たい風に晒され、バランス良くすっと通る鼻筋の先端が僅かに赤くなっていた。分厚い手袋と耳あてで体の隅々までを守っているリオとは、狩りに対する姿勢がまるで違う。証拠に、リオは丁寧に手入れされた芝生の上に足を伸ばして座り込んで、猟銃などその辺に放置しているのだ。  しかし、優しいアンディはそんなことをいちいち咎めたりはしない。 「なんでもない〜。綺麗な空気を吸えばちょっとはマシになるかなって思ってさ。急に誘ってごめんね、アンディ⋯⋯」 「いいさ。リオからの誘いは嬉しいし。こないだの晩餐舞踏会では急にぶっ倒れちまったし、心配してたんだぜ」 「あぁ⋯⋯それも、ごめん。もう全然平気だよ」  どんな時でも優しく接してくれるアンディに、毎度癒されている。もしかしたらリオの傍若無人っぷりは、この親友によって甘やかされてきたせいなのかもしれない。  不意に、アンディが構えていた猟銃を下ろす。相変わらず穏やかな面差しは、辺りに広がる冬の寒さすらも暖めていくようで。 「まぁ、良かったよ。顔色もかなり良さそうだし⋯⋯つぅか、表情が明るくなったな。なにかあったか?」 「なにかって?」 「んー⋯⋯良い人ができたとか?」  予想外の言葉に驚いて、目をぱちぱちしてしまう。  良い人⋯⋯というのはもしかしたら恋煩いの相手のことも含まれるのだろうか。だとすればそれはあながち間違っていない。というか大正解である。  それを見抜いたアンディに驚いた、というよりも、彼とは今までそういう類の話をしたことがなかったから、意外だった。  返事をできずにいると、草の上にとさりと猟銃を置いた彼は手足を伸ばして冬の寒空を見上げた。 「いいなぁ〜⋯⋯お前もかぁ」 「え、えっと⋯⋯そんなんじゃないけど⋯⋯、え?お前もっ⋯⋯て、?」  まるで独り言を空に投げかけるようにつぶやくアンディが、なぜか愉しげに微笑む。その心模様がまったく読めなくて、そっと隣に寝そべってみた。すると、腕を頭の後ろに組んで、嬉しそうにこちらに振り向く幼馴染。 「カナリアだよ」 「えぇ?カナリアが?」 「あぁ。どうも、厨房を任せてる管理監督といい感じらしくてさ」  二度目のびっくりにまた目がぱちくりと瞬いた。  カナリアといえば、アンディが奴隷市場で買った身寄りのない少女だ。アンディに手塩に掛けられ、見違えるほどに可憐なメイドに育っていた。先日の晩餐舞踏会で見た時だってそうだ。まだあどけなさは残るものの、貴族と並んで歩いても劣らないほど清らかで凛とした顔立ちだった。  てっきり、アンディとそういうことになっているのだろうとどこかで思っていた。確かにカナリアを紹介された時、彼は「いつか巣立って欲しい」とは言っていたが⋯⋯まさか自分の屋敷内で色恋沙汰があるなんて、主人としてどういう気持ちなのだろう。 「え⋯⋯、いいの?」 「いいって?」 「嫌じゃないの?ってこと⋯⋯」 「嫌なもんか。嬉しいよ」  清々しい口調がリオには信じられない。もちろんアンディの言葉に偽りはなくて、これが本心であることは分かっている。だからこそ、理解できないのだ。  リオなら、どう思うだろう。  例えばグレンがこのまま旅先で、自分ではない誰かと心を通わせて、そのまま恋人にまで発展なんてしたら。 「僕は⋯⋯無理だ⋯⋯、喜べないよ」 「⋯⋯ん?」 「あ⋯⋯ちがう、カナリアのことじゃなくて⋯⋯、でもアンディにとってカナリアは自分のものだったはずでしょ?それなのに、後から出てきた奴に取られるなんて⋯⋯僕なら許せないよ」  これが本心だった。  もしもグレンがそうなってしまったら、許せない。そしてそのあと、しっかりと後悔するのだろう。どうしてそうなる前に、きちんと気持ちを伝えなかったのだろうと。 「んー⋯⋯まぁ、可愛い妹が旅立つみたいで、そりゃちょっとは寂しいよ。でもカナリアの幸せを、俺はずっと望んでたからさ」  リオとは対照的な思考の彼に、三度目のびっくりが押し寄せる。アンディの朗らかさは今に始まった事ではないから慣れたものだが、こうも対照的な性格なのに、よくここまでリオと仲良くできているものだ。それもこれもきっとアンディだからこそなのだろうけど。 「アンディは⋯⋯すごいよ⋯⋯」 「はは、そうか?」  にか、と笑うと、整った目元にくしゃりと皺が入る。裏表のない性格だからこそのこの笑顔。聖人君子とは、きっと彼のことを言うのだ。 ◆  鷹狩を終えて邸宅に帰りついたあと、味気ない夕食を手早に済ませて体を清めた。  夜、自室に戻ることは随分と久しぶりだ。  装飾暖炉の上に置かれたマーブルグラスのテーブルランプがふんわりと部屋に明かりを灯して、ふかふかのカウチやマホガニーのビューローに温かな印象を与えている。  生まれてからずっとこの部屋で暮らしていて、流行りの絵画も希少な家具も欲しいものはすべて手に入れた。何ひとつ不自由など感じたことがなかったのに、なぜこんなにも部屋じゅうに寂寥が漂っているのだろう。  四柱式の天蓋ベッドは腰掛けると体重の分バウンドして、リオが思い切り肢体を伸ばしても有り余るほどに広々としている。寝心地が良いから気に入っていたのに、この広さが今はどうしようもなく所在ない。 「……グレン……」  この部屋に足りないと感じている存在を埋めるように名を呼んだ。けれども満たされることはなくて、だだっ広い部屋にぽつりとした小さな声が落ちただけだった。  今までどうやって、この部屋で一人で眠っていたのだろう。到底思い出せなくて、むくりとベッドから起き上がる。  そうして、この足は決まりきったようにあそこへ向かうのだ。  西の棟の、角部屋へ。

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