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-After Film- 4.淫逸

 日を追うごとに風が冴える。  昼下がり。遠い太陽の光が薄っすらとした雲の向こうから降り注ぐ、澄み切った凍て晴れの空。今日みたいな寒い日は、どこかの街で雪でも降っているかもしれない。  グレンが帰って来るまであと四日。  先週のうちにシーツはしっかりと洗い場に出した。そんなことをしたのは生まれて初めてだったから、洗い場のメイドに目をまん丸にされたけれど、綺麗なシーツを見ればグレンはきっと喜んでくれるはずだ。何しろリオ直々にシーツを洗い場に出したのだ。早く帰ってきて、清潔にされたベッドを見てそのことに気付いて欲しい。なんなら、褒めてくれてもいい。  リオは相変わらず何をするにも心あらずで、この日は気分転換に一人で街へと繰り出していた。  メインストリートから少し離れたところに馬車を待機させて、人々でごった返す市場を当てもなく歩く。こんなことは滅多にしないけれど、部屋に閉じこもっていられなかった。  通りの左右にはひしめき合うように屋台が広げられていて、活気に満ちている。艶々した果物や色とりどりの工芸品がずらりと並んでいて、どこを見ても色鮮やかだ。  広場に流れるリズミカルな音楽。一層人だかりが出来ているそこでは、魔法使いや妖精の衣装を纏った劇団による野外劇が行われていた。  庶民の娯楽に皆が足を止めて劇を眺める中、足を進めているのはリオくらいだ。と思ったら、賑わう人波の向こう、ひと気の少ない石壁の隙間から姿を現した人物もまたリオと同じように野外劇には目もくれず、むしろ隠れるようにして足早に市場の外へと消えて行った。  目立たぬような動きがむしろ目立つ。それになにより、市場ではあまり見かけない豊かな風貌。顔を伏せるように被っていた、羽と花飾りをあしらったつばの広い帽子は貴族のものだ。 「ん?⋯⋯あれは⋯⋯」  恐らくあれは、カレンだ。  なぜ、こんな所にカレンがいるのか。というか、屋台でも広間でもなく、石壁の向こうから現れ、そして消えて行った。そこで何をしていたのだろう。それも、姿を隠すようにして。  カレンといえば⋯⋯ラブドラッグ。先日の晩餐舞踏会の夜、それをマティーニに混入させてグレンに飲ませた。ついでにリオも飲んでしまった。  もしかして、そのラブドラッグと何か関係があるのだろうか。  半ば好奇心で、カレンが出てきた辺りまで小走りで向かう。石壁の隙間だと思っていたところは細い路地になっていて、広場とは打って変わり人通りはほとんどない。冷たい空気を閉じ込めるような石垣の壁の間に、ひゅう、と冷たい風が通り抜けて行く。 「⋯⋯、お店?」  陽当たりの悪い細い路地の先、壁の高い位置に留められた小さな看板が揺れている。探検気分でてくてくと歩いてゆき、そこで止まる。黒いアルミ製の看板には、黄土色の塗料で「テ キエロ」と書いてあった。 「何屋さんだ?」  木造の扉ががっちりと閉められていて、看板だけでは予想も付かない。やはり、何か怪しいものを売っているのだろうか。  ぎゅむ、と首巻きを鼻の上まで引っ張り、できる限り顔を隠す。  恐る恐る扉を開くと、中はむせかえるほど濃厚な薔薇の匂いで満ちていた。  窓のない小さな店内。いくつかのペンデュラムランプが吊り下がり、仄かな灯りが浮かんでいる。すべての壁が見えないくらいに様々な雑貨品や薬草のようなものが並べれていて、魔法使いの家に迷い込んでしまったかのようだった。 「いらっしゃい。どうぞ、お嬢さん」  店内の一番奥には小さなカウンターがあり、その奥から色気のある魔女の声がした。正確には魔女ではなく、店主の女性だ。とんがり帽子こそかぶっていないが、濃紺色のポンチョのようなものを羽織い、口元をレースの布で覆っていて、黒く濃い睫毛の目元がにこりと微笑んでいる。 「あらぁ、お嬢さんじゃない⋯⋯のかしら⋯⋯?今日はどんなものをお探しで?」 「あ、えっと⋯⋯」  裏ルートに通じているようなもっとやばそうな人が出てくるかと思ったのだが、どうやら見当違いだったらしい。というか、魔女は芳しい匂いを放ち、違う意味でやばそうな雰囲気を醸している。 「あなた、どなたかの紹介で来たのではなくて?うちに一見さんが来るなんて珍しいわね」 「⋯⋯えーっと⋯⋯、ここは何を売っているんだ?」  とにかく、予想していたような危ないお店でないのなら怖がる必要もない。貴族であるカレンがお忍びで足を運んでいるくらいなのだから、きっと何か稀少な品でも置いてあるのだろう。一点物の陶器とか、貴族には流通していない飾り物とか。 「なーんでもありましてよ。気分を高めるアロマ、媚薬、媚薬入り香油に拘束具、鞭や猿轡に、特殊なランジェリーから淫具まで」 「⋯⋯いん⋯⋯ぐ?」  淫具ってなんだ?  魔女の口から次々と飛び出す聞きなれない言葉を、つい復唱してしまう。すると、紫色のネイルの塗られた長い指がカウンターの奥からこちらを指す。 「淫具ならそこ、右側の陳列棚の一番奥。ピンク色の瓶の隣にあるでしょう?大きさや形も多様にあるから、好きなのをお選びなさいな」  淫具が一体何なのか、正解まで辿り着いていないリオだったが、魔女に指差された棚に並べられているものを見て瞬時に理解した。 「⋯⋯っ!これ⋯⋯、」  そこには、男性器の形を模した張り形がずらりと直立して置かれていた。魔女の言うとおり、細長いものから太く反り返ったもの、本物さながらに血管の形までもくっきりと浮いたものや、いぼの付いたものまである。  こんな物、一体何に使うというのだろう。まさか、庶民の間ではこういったインテリアが流行っているのだろうか。 「後ろの経験がないなら、一番手前のやつがおすすめよ。油を使ってゆっくり慣らしていけばすぐに入るでしょうから」  挿れるためのものだった。  つまり、これは快感を得るための道具。すなわち淫具なのだ。  一番手前のそれに触れてみると、まるで勃起したペニスのように硬く、それでいて弾力性があって、不思議な感じだ。もしこれを尻の穴に挿れるとなると、物足りないだろう。なぜならいつも受け入れいてるグレンのものよりもはるかに小さい。 「うわぁ⋯⋯」  そそり勃って並ぶ淫具をひとつひとつじっくりと観察してみるが、どれもしっくりこない。グレンのはもっと全長も長く、真ん中あたりがずっしりと太くて、雁首が立派だ。そう、これくらいの。 「あらあら、それがお好みなの?随分とえげつないサイズを選んだわね」 「ぇっ⋯⋯」 「大瓶の油もセットでいかが?この桃色の香料にはね、官能的な気分になる特別な成分が混ぜられてるから、きっと感度も倍増よ」 「お、おい⋯⋯僕は買わない⋯⋯」  咄嗟に言ったけれど、心のどこかでそれは惜しいと思ってしまった。  グレンはまだ、四日も帰ってこない。それだけでなく、今後は父の気まぐれに付き合わされていつまた家を空けるか分からない。そうなった時、もしこの淫具さえあれば自分を慰める事ができたりするのかもしれない。自分の指では物足りなくて侘しさを感じてしまったが、グレンの形によく似た張り形ならば、あるいは。 「⋯⋯いや。えっと⋯⋯、これはどうやって⋯⋯使えばいいんだ」  意を決して魔女に伝えると、彼女はレースの布の下で妖艶にわらった。   「想像するのよ、あなたの大好きな相手のことをね」  

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