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-After Film- 6.遊戯(R)

 冷え切った外の空気とともに入ってきたのは、この十日間ずっと会いたくてたまらなかった男だった。  これは夢なのだろうか。グレンに会いたいと願いすぎて、グレンとのセックスを妄想しすぎて、幻覚まで見えるようになってしまったのか。  頭も体もぼおっとして、よく分からない。  快感の余韻に朦朧とする中、彼がどさりと床に置いたトランクから微かに雪の匂いがして、意識が徐々に引き戻されていく。  もしかしたら、積雪のせいで馬車が足止めを食らって引き返して来たのだろうか。それで予定よりも早くここへ帰ってきたのかもしれない。だとしたら、これは夢でも幻覚でもなくて⋯⋯現実? 「リオ⋯⋯お前、ここで何して⋯⋯」  今度は驚きの色をした声がはっきりと耳に届いて、唐突に意識が舞い戻る。 「ぐ、グレ⋯⋯」  見られた。こんな姿を。  皺くしゃになったシーツ、枕元に転がる香油の瓶、部屋に漂う芳しい花の蜜の香り、腿に垂れる油。なにより、尻の間にずっぽりと嵌っている淫具。  グレンの留守中に、この部屋で一人こそこそと色事に耽っていたことが丸わかりだ。誰より好かれたい相手に、あろうことかこんな姿を見られるなんて人生最悪の大失態だ。 「これ⋯⋯は⋯⋯ちが⋯⋯、ぁっ、」  必死に繕おうとしても痺れた体では呂律すら回らず、肢体を動かすこともできない。むしろバクバクと鳴り出した心臓がかえって内部を締め付けてしまって、意思に反して快感の神経が刺激されてしまう。  グレンは黙ったまま、ベッドで横たわるリオの全身を舐めるようにじっくりと見ている。その視線はだんだんと下半身へと下りてゆき、やがて尻の辺りでぴたりと止まった。  きっと幻滅された。  グレンにはこれまでも何度も痴態を晒して来たが、こんなのは度が過ぎている。  終わりだ、今度こそ。  泣きそうになっていると、不意にグレンの口角がわずかに上がったのが見えた。そしてその場にしゃがみ込み、トランクの中から取り出したのは何やら黒い鉄のような棒。  グレンは淡々とした様子で、束になった棒を三方向に向けて長く伸ばし、床に自立させた。棒の頭頂部分には何かを置けるような台が付いているようで、そこへ箱型の黒い鉄の塊を固定させるように設置した。  カメラだ。新型だろうか、今までに見たことのない形をしている。  ジジ、という音とともにレンズが前後する。そうしてベッドの上で淫らに寝そべるリオに焦点を合わせるようにして、カメラの向こう、薄灰色が妖しくわらう。 「続けろよ、リオ。撮ってやるから」  その言葉に、ひゅっと息を飲んだ。  絶句したまま動けなくて、でも体はじんわりと快感に浸けられていて、まともな思考が全然働いてくれない。けれどこれが、今までよりももっとふしだらな撮影行為であることは分かる。だって、見るからにおぞましい物体を穴に挿れて感じているところを撮られるのだ。  ありえない。ありえない。そう思えば思うほど、煽るような目がレンズの奥から射抜いてくる。  グレンの指がシャッターボタンを押す。するとピピっと音がして、ボタン近くに小さな赤いランプが灯り、やがて点滅を始める。だんだんと点滅の間隔が早くなってゆき、高速でちかちかと光った後にシャッターが落ちた。 「なぁ、リオ⋯⋯このカメラさ、数十秒ごとに自動でシャッターが切れる機能が付いてるんだ。この三脚にカメラを乗せれば手振れの心配もない。旦那様が俺を連れ回したお礼になんでも買ってやるって言うからさ。これなら、お前をもっと綺麗に撮れるんじゃねえかって⋯⋯」  いつになく饒舌なグレン。  せっかく父からなんでも買ってやると言われたのなら自分の為の物を選べばいいのに、わざわざカメラなんて買って馬鹿なのだろうか。と、頭の裏によぎっていたが、この状況下でそんなことは後回しだった。  なぜなら、グレンはシャッターボタンを一度押したきりカメラからは離れて、上着を脱いでベッドへとのし上がってきたのだ。  うつ伏せになったまま身じろぎすらできないリオの頭の横に手を置き、そっと顔を覗き込まれる。近距離で見つめられて、どくんと心臓がひときわ大きく跳ねたとき、橙の裸電球にぼんやりと映し出されるグレンの瞳が切なく揺らめく。 「でもお前ってさぁ⋯⋯結局、俺じゃなくても気持ちよければなんでもいいんだな」  最悪の勘違いだ。  グレンの言う通り、最初はそうだった。ただ浅ましい欲望を満たすためだけに奴隷を買った。求めていたのは、己を美しく写してくれる道具。そしてそれを秘密にしておける人間ならば誰でもよかった。  けれど今は違う。グレンがカメラを持つとそわそわするし、持っていなくてもそわそわする。触れられると嬉しくなって、もっとと願ってしまう。気持ちよくなりたいのは二の次で、それをこの身にもたらすのはグレンでなければ意味がない。 「ち、ちが⋯⋯」 「俺というおもちゃがいんだろ?⋯⋯俺じゃ物足んねえ?」  長い指が尻たぶを滑らかに撫でて、その奥に埋まる張り形の持ち手をとん、と突いた。瞬間、びりりとした刺激にまた体が跳ねる。  言い逃れなんて出来ない。だってこんなにも卑猥なものを穴に挿れて遊んでいたのだ。  本当はグレンに会えなくて寂しくて、グレンの熱が恋しかっただけだなのに。己の情けなさに、眦がじわりと濡れる。  不意に、優しく肩に手を置かれて体をごろんと反転させられた。途端に舞い上がる芳しい花の蜜の匂い。それを掻き消してゆくグレン自身の甘く焦げつくようなほろ苦い芳香が鼻腔を掠めて、この十日間追い求めていたものの現実味に脳がくらくらと揺れる。 「こんなに赤くして⋯⋯シーツに擦り付けたのか?強くやりすぎだ。ここは優しくしてやらなきゃだめだろ、お前は繊細なんだから」  開けたリオの胸元を見下ろしてグレンが言う。低音の甘い声に鼓膜が震えて、たったそれだけでも極まってしまいそうな性感を、きゅっと目を瞑って耐える。 「ん⋯⋯?これ⋯⋯俺のシャツか?」  指先が襟元をなぞり、グレンが不思議そうに訊ねる。リオが羽織っているのは十日前にグレンが唯一この部屋に遺していった物だ。ここへ来るたびリオが抱き締めていたから、もうグレンの匂いはこれっぽっちも残っていない。けれども、リオの物にしてはいくらも大きなそのシャツは一目見ればグレンのものであるということは明らかだった。  ゆっくりと瞼を開けると、瞳が合う。グレンの姿はオレンジ色の灯りの中にぼんやりと浮かんでいて、はっきりと捉えられない。それなのに、間近にある体温や肺に入り込んでくる匂いに確かな存在を実感している。  今、伝えないと。  十日前には言えなかったことば。この十日間、何度も心の中で唱えてきたことば。それから、グレンの口から一番聞きたいことばを。 「⋯⋯グレ、ン⋯⋯っ、好き⋯⋯」  こうやってグレンの部屋で、淫具を使ってグレンとのセックスを妄想してしまうくらいに。この身が欲しがっているのは快感ではなくて、グレンの恋心だ。  それを伝えようとする唇よりも先に、目尻から涙がこぼれ落ちた。   「ふは、十日前は言ってくれなかったのに⋯⋯こういう時だけ甘えてきて、お前はずるいな」  グレンの長い指に前髪をさらりと梳かされると、指先のひんやりとした温度に思わず目を閉じた。そうして唇が耳元に近寄ってきて、ざらざらとした低音の声が甘く囁く。 「少しだけ⋯⋯おしおきしようか」  

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