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第6話
不二夫は店の全貌を未だ把握していない。
給仕をしていて迷うこともないが、白に用事を言いつけられて、初めて行く場所がたくさんある。
それを不思議に思うこともない。見かけたことはないけれど、自分の他にも、店員がいる可能性だってありえる。
いろんな階層があって、広さは自在なのだろう。出ていく人は入ってくる人より遙かに少ないのに、満席にならないのがその証拠だ。
そして昼夜はなく、いつも美しい明度の景色。
周囲を見回しても建築物はこの喫茶店のみで、庭より先は明るい霞がかかり、よく見えない。お客様も突然現れるので、不二夫はここが、シャボン玉のようなドームになっているのではないかと推測している。
時間の概念がないので、疲れるということがなく眠ることもない。それなのに永遠とも思える時を過ごしていてもその実感はなく、従って退屈を感じることもない。
ただ時折、焦燥感というか不安に駆られる時がある。
自分がどんな存在で、なぜここにいるのか。
お客様たちみたいに死者なのだとしたら、いつ、どうやって死んだのか。家族はいたのか。
どんな人生だったのか――――まるでわからないからだ。
いつの頃からか、不安になると店の周囲を掃き掃除して、気を紛らわすようになった。ゴミが落ちているわけでもないけれど、白に伝えるとほうきとちりとりを出してくれて、好きにさせてくれる。
店の玄関と周囲をぐるりと一周し、立ち上がって伸びをしてみた。
掃いても掃いてもちりとりにゴミがたまることはないが、時折キラキラとした欠片が入る。
白に見せようと店内に持ち込んだときにはすでに消えてしまったが、それを伝えると、死んだ人たちからこぼれる感情の欠片だと教えてくれた。
背伸びをしてもすっきりとするわけでもない。すべては記憶に残るポーズのようなものだ。
それでも空を見上げてぼんやりした思考から、何か思い出せないか記憶の糸を懸命に手繰り寄せる。
「不二夫、渋いお茶をカウンターに用意してくれるか」
店の中から白の声が聞こえた途端、すべての思考が止まった。焦燥感ももちろん消えている。また忘れるのだ。
渋いお茶が好きな死神を迎えるために、急いで店内に戻る。
「花 さんがいらっしゃるんですね」
「そう。また機嫌が悪そうだから」
不思議なもので白に指示されると、いつも迷いなく作業ができる。
たとえ経験がなくてもいつだって手が自然に動く。だから今回も、お茶の味も温度も完璧に淹れられているはず。自分でそれを味わうことはないので、確認はできないが。
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