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第8話

「ここに、坪井翔太(つぼいしょうた)と言う霊体が来ませんでしたか?」  覚えがなかったので、首を振る。 「だったら、この喫茶店と同じような役割の場所に行く方法を教えて」  いきなりやってきて横柄に詰め寄る彼女に、教えてやる義理はない。どちらにしろどうにかしてあげたくても、他の場所など知らないし。 「知りません。それより、あなたみたいな人がこんなところをうろうろするのは危険ですよ」 「そんなの私の勝手じゃないっ! ここじゃないところだって、行ったこともあるわ。ただ今回は、何度試してもここに来ちゃうのよ」  怒りのオーラに加え、生者特有の匂いがぷんぷんする。ここまで自在に行き来できる人間を初めて見た。タツキなど比にならない。 「なぜその方を探しているのですか?」 「さっきまでこの世にいたのよ。倒れて死んだ路上に。そこにずっと留まっていればよかったのに、いなくなっちゃったの」  だから上に行ったはずと、追いかけてきたのだという。 「人を苦しめておいて、あっさり死んで成仏するなんて許さない。だから告別式で嘘を伝えたの」 「誰に?」 「だから彼によ!」 「なるほど……告別式に本人もいたんですね」 「そう。私見えちゃうから」  彼にはあなたを迎えに来るのは悪いモノだから、ついていってはいけないと伝えたそうだ。ちゃんと神様が迎えに来るまでは、そこで待っているようにと。  彼女は死神が死者の案内をすることも、そのタイミングがずれて行き先を失うと、彷徨う霊になる可能性が高いことも知っているようだ。 「今まで霊感なんて何の役にも立たなくて、邪魔なばかりだったけれど、あの人に復讐できると思って、初めてこの力に感謝したわ」 「彼に何をされたのですか?」 「それは……聞いてくださいよ」 「由依?」  女性が口を開いた時、男性が横に立っていた。こちらは四十過ぎくらいだろうか。 「翔太!! なんでここまであがってきちゃってるのよ」  男性は困ったように後頭部をかいている。その後ろから、深い茶色のスーツ姿が見えた。  死神の(クリ)だ。  白以外の死神からは、不二夫と涅の姿が似ていると時折言われる。つまり見た目が人間でいうところの二十歳前後の男性だ。 「久しぶりだね、不二夫。由依さん、この人に死神が迎えに来ても、ついていくなって言ったんだって? 今まで散々騙されたからかな?」 「こんな奴…………ずっとあそこで浮遊していればよかったのに」  涅が目を輝かせた。怒り心頭の女性が面白くてたまらないようだ。  涅は黒に近いほど濃い茶なのに、どこまでも透き通った不思議な瞳を持っている。それがとても美しかったから、不二夫は以前涅に誘われるままその瞳を覗き込んで、本当に吸い込まれそうになったことがある。その時は白が気づいて窮地を脱したのだが。 「それに魅入られると、川底から戻れなくなるぞ」  我に返ると、残念そうな涅と目が合いぞっとした。珍しく感情をあらわにした白は涅を殴り、不二夫は軽率だとたんまり叱られた。  それにしても自分では、涅ほど整った容姿ではないと思っているが、久しく自分の姿をみていないので、よくわからない。 「あなた死神? 私のこと馬鹿にしてるの?」 「いいえ。泣き寝入りしないところは好ましいです。弱い人間なんて手応えがなくて面白くないですからね」 「涅さん、この女性は?」  生者のエネルギーたっぷりな女性の相手をしていると、疲弊感が増す。実際疲れはないのだろうが、先程から相手をするのがしんどくなってきたところだった。 「うん。この人の不倫相手」  あっさりと、そんなことを言う。 「この男「妻とは離婚するから」なんてベタベタの常套句でずっと騙してたんだってさ。まあ、今時そんな言葉、信じる方も信じる方だけどね。んでそれが、お通夜でバレちゃったそうだ」 「どうやって?」 「妊娠してたんだって、奥さん。長らく不妊治療をしてて「やっと子どもを授かったところだったのに」って、泣いていたらしくて」 「それで彼に復讐を考えたと。でも、由依さんは偉かったですね」 「えっ?」  興奮気味だった女性が、不二夫の言葉で毒気を抜かれたように目を瞬かせている。 「だって奥さんには突撃しなかったんでしょう?」 「…………だからなんだっていうのよ」 「それは、妊娠中の身体を気遣ったからですよね。ご主人の死に加えて、自分の存在でこれ以上の衝撃を与えないようにって」 「由依っ!!」  突然男性がうずくまった。涙を流し、女性の前で土下座をしている。 「本当にすまなかった。俺は由依にも、妻にも不誠実で、自分のことしか考えてなかった。それなのに、由依にとって憎いはずの、妻のことまで気遣ってくれたなんて。悪いのはみんな俺だ」 「そう、一番悪いのはあなたです」  涅の冷たい声が響く。 「自分を信じてくれた奥さんも、信じたかった由依さんも、もうあなたのそばにはいてくれない。これから生まれてくる我が子だって、その手に抱くことすら出来ないんだ」  男性が泣き崩れたが、誰も近寄っていかない。 「さあ翔太さん。判定に行きますよ」 「は……判定? 俺は自分の罪に気づいて、反省してるんだから、情状酌量されますよね?」  毎度のことだが、人間そう簡単に性根は変わらない。やはり自分本位な人だ。 「さあ……どうでしょうね。人の心を踏みにじったあなたには、もしかしたらあの道路で彷徨っていた方がましなくらいの裁きはあるかも」 「そんなの嫌だっ!」 「まあ、決めるのは僕じゃなくて閻魔様なんで。しっかり裁いてもらいましょうね」  もう亡くなったはずなのに、断末魔のような声を上げて、男性が涅に引きずられていった。 「不二夫! 由依さんを店で待たせといて」  由依は見鬼として使える。そう涅は判断したのだろう。死神で人間の使い(要はパシリ)を持つのはめずらしくない。  使いをしていた人間は、死神の役に立てば立つほど死んだときの判定に徳をプラスされるから、ウィンウィンといってもいいだろう。もちろん本人が希望しなければ使いの役目を無理強いすることもない。  店内に入ると、女性は物珍しそうに見回している。彼女くらいの能力があるなら、タツキのように複数回来店していても不思議ではないのだが。 「ここ、前に来た時と内装が随分違うわ。あなたもいなかったし。違う場所だったのかしら」 「俺も詳しくはないですが、こちらの世界は変幻自在みたいです。内装などは見る人の主観が入るので、俺が見ている店と、あなたが見ている店もきっと違う景色に映っていると思います」 「そう……それにしても、あなたは死神っぽくないわね」 「! お、俺は死神じゃないですよ」 「そうなの? だって周りの人たち……」 「確かに、あの人? っていっていいのかな? あの方たちは死神ですけど、俺は違います」 「じゃあ、なんなの?」  何者か、ということだよな。 「わからないです……」  それについては不二夫こそ聞きたい。自分のことなのにもやがかかりっぱなし。そう伝えたら、やはり心底気の毒そうな顔をされた。

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