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第11話

 いつも太陽みたいに明るくてやさしかった剛志。対する不二夫はひっそりとおとなしいタイプだった。  剛志と恋人になれたのはうれしいけれど、なんで自分みたいな地味でつまらない男を選んでくれたのか、皆目見当がつかなくてずっと戸惑っていた。  不二夫が拗ねても大人な剛志は取り合わないから、自分ばかりわがままを通している気分になる。大切にしてくれているのはわかるけれど、そもそも同じ土俵に立てていないような気持ちをずっと持っていて、素直になれなかった二十歳の自分。  そうだった、あの時も――――。 「思い出したっ! 喧嘩してっ……つ、剛志が部屋を出ていったんだよな。それでっ…………」  その後のことは恐ろしくて、口にすることができない。鮮明に、すべてを思い出してしまった。  ――あの日。  いつもみたいに不二夫のネガティブ全開の末、言い争いが始まった。原因なんて恋人同士にありがちな些細なことで、大抵は剛志がなだめて終わるが、剛志だっていつも万全で余裕があるわけではない。あの時は仕事で疲れていたのかもしれない。  それでもきっと、不二夫と争うのが嫌だったから、剛志は冷静になる時間を作るため一旦部屋を出たのだろう。  発見された時、剛志の持ち物の中にはビリビリに破れ、中身が散乱した紙袋があった。新緑の小麦畑をイメージした特徴的なやさしい緑色の袋は、不二夫の一番好きなパン屋のもの。  駆けつけた時、傍らに置かれた剛志お気に入りのモッズコートは大きく裂けて、その半分以上はどす黒く変色していた。遺体には会わせてもらえなかった。  それから動揺がおさまらないうちに周囲だけがどんどん進んでいって、葬儀に顔を出したら剛志の母親にひどくなじられた。  手を合わせることすら許されず、葬儀場をあとにしてからの記憶はあまりない。 「ごめんなさい、ほんと…………俺のせいで剛志があんな……」 「お前のせいじゃないよ。それに、俺の親のせいで随分嫌な思いをしたはずだ」 「それは…………あの時代なら仕方ないよ」  一緒に住んでいた部屋に剛志の母がやってきて、息子を誑かした売女呼ばわりされ、何を言っても聞いてもらえなかった。  女手ひとつで大変な苦労をして剛志を育てた母親は、息子の死後その性的指向を知った。  だが、当時の時代背景もあり同性愛者であることを理解できず、よって受け入れることもできなかった。  息子を喪ったすべての怒りや悲しみの矛先は、目の前の不二夫にぶつけられた。大げさではなく命の危険を感じた不二夫は、最低限の荷物だけ持って逃げ出したようなものだ。  少しあとにアパートへ行ってみると、すでに空き家になっていた。もう、自分と剛志を繋ぐものは何もなくなってしまった。  あの時の虚無感がフラッシュバックする。 「不二夫は悪くない」  剛志の死後、悲しみをうまく消化できないまま日々が過ぎていった。剛志のアパートに転がり込む以前のように実家に戻ったが、大学に通う気力はなかった。  突然帰ってきたかと思ったら、部屋からほとんど出なくなった息子に対して、両親ははじめこそ心配していたが、もともとの無関心さと多忙が重なり、やがて見て見ぬフリをするようになった。  両親には自分が同性愛者であり、男とつきあっていることを話していなかったから、都合がよかった。剛志と半同棲状態の時もきっと、友人の家を渡り歩いていたくらいにしか思っていなかったはずだ。  剛志の四十九日が過ぎて、いよいよふさぎ込んだ心は、二度と浮上しなかった。  そしてある雨の日の夜、不二夫はマンションの屋上から飛び降りた。 「俺が不甲斐なかった。結果的にお前の命を縮めたのは俺だ」 「そんなこと……」 「そうなんだよ。お前は俺をやさしいって言ってくれたけど、それは狡さでもあったんだ」  そっと、両肩に手を置かれる。重さを感じるわけではないけれど、真摯な視線が、ずしんと心に響く。  つきあっているときは、こんな風に同じ目線に立ってくれたことはなかったかもしれない。 「今思えば随分年下のお前に対して、格好よくいなければという気負いもあったんだろうな。大切なのは冷静さとか、大人の包容力なのかと思ってた。でも多分違ったんだ」  確かに言い争いになるのは、剛志が自分をちゃんと見てくれないようで、不安だったことが大きかったように思う。でも不二夫が悩んでいたように、剛志も決して完璧ではなかっただけだ。プレッシャーを感じることだってあってもおかしくない。 「恰好悪い自分も認めればよかった。ちゃんとお前と向き合って、納得するまで話をするべきだった。過ぎたことをあれこれ言っても、仕方ないけどな」 「俺も、もっと素直になればよかった。剛志のやさしさに甘えるばかりじゃなくて」  剛志はふうっと息を吐くと、決心したように真っすぐ不二夫を見据えた。 「不二夫のこと、いつも大切に思っていたよ。すごくかわいくて、大好きだった。誰も彼もに言えない関係でも、ずっと共に生きていくつもりだったんだ」 「うん」 「生きているうちにちゃんと伝えるべきだったのに。遅くなってごめん」  不二夫は慌てて首を振った。すれ違うことがあっても、剛志の気持ちはちゃんと不二夫の心に伝わっていたと思う。ただ少し、自分に自信がなかっただけだ。  互いの深意を伝えあったことで力が抜ける。真剣なまなざしが少し和らぐと、どちらともなく抱き合った。 「好きになったのが剛志でよかった。ありがとう、俺と一緒にいてくれて」  素直に表せなかった愛情も、憧れを拗らせた嫉妬も。そういうみっともない自分の気持ち全部、今なら受け入れられるような気がする。  そう伝えると、剛志は少し複雑な笑みを見せた。 「不二夫はもう、前のお前じゃないんだな。大人になっちゃって……こちらこそ、最後に会えてよかったよ」 「うん、俺も」  やがて剛志担当の死神がやってくる。鮮やかなブルーグリーンのスーツがふわりと姿をあらわれした。 「碧さん!」 「不二夫、久しぶり。とうとう白の騎士(ナイト)ごっこも終わっちゃったね」 「えっ?」 「……なんでもない。剛志さんはお疲れさまでした。はあー、長かったですね。まあこのあともいろいろ処理が複雑そうだから覚悟してくださいね」 「ですね」 「とはいっても剛志さんのせいじゃないですし、だからこそ優秀なオレが遣わされたんで大丈夫だと思いますけど」 「碧さん。剛志のこと、よろしくお願いします」 「かわいい不二夫の頼みだからね、承知した」

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