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第15話

「わ、嘘みたい……ありがとうございます!」  目の前の女性が、鏡越しに綻んだ笑顔を見せた。初来店だったが、入店したときの警戒した様子は、少し解けただろうか。  ハサミを握る時間は、白臣にとってかけがえのないものだ。  目の前の人の顔の作りから、髪質、頭のかたちに集中すると雑念が飛ぶ。話すことがあまり得意ではないのかわりに、相手の話をじっくり聞くことができるから、その人が求めるスタイルを引き出すのは得意だと思う。自分がハサミを入れたことで、本人も気づいていなかった魅力が引き出されたと喜ばれると、この仕事をしていてよかったと思う。 「タオルドライはやさしく、ドライヤーのときは、毛先のカールを保ったままこうやって、弾ませるように浮かせて乾かしてくださいね。パーマを長持ちさせる秘訣です」 「こう……ですね。わかりました!」  気がつくと、白はまた新たな人間になっていた。  美容師で、今生での名前は草園白臣(くさぞのきよおみ)。  美容専門学校を卒業ののち、都内の人気店で働いていたが、数年後ひとり親である母が倒れたため地元に帰った。  二十八歳で、本当はファッションにあまり興味がない。だが仕事柄ダサくない程度には整えなければいけないため、紆余曲折の上、シンプルに落ち着いた。  今回の身体は上背があり、顔もあっさりしているせいか、黙っているとキツく見られがちだ。ヘアスタイルとカラーはよく変化するが、髭は生やさず、威圧感を与えないスタイルを心がけている。  現在の店『silk』では勤務二年目ながら腕を買われ、トップスタイリストとして働いている。比較的若いオーナーの経営方針が実力重視のため、やりがいがあると感じている。  このあたりは地方都市ながら、都内にも引けを取らないヘアサロン激戦区である。  だが店同士が喧々囂々としのぎを削る時代は少し前に過ぎた。結局足の引っ張り合いでは双方の得にならないと気づき始めたのだ。  同じ頃、創業してきた経営者たちの世代交代が始まるタイミングだったこともあり、現在は地域一帯の美容産業を発展させるため、美容師同士横の繋がりを重視し始めた。  定期的に勉強会や懇親会を開催するなどして情報交換を行っており、白臣もよく参加させられている。  オーナーの坪井元(つぼいはじめ)は三十五歳。両親が共に美容師で、夫婦で独立して始めた小さな店が流行り、現在では周辺で系列店を四店舗運営している。  息子である元はそのうちの一店舗で経営から携わっている。スタッフの評価は的確だし、新人の頃は都内で磨いた自身の美容師としての腕も申し分がない。  ただあまり人に興味がない白臣が気づくくらい、色恋に対してはルーズだ。  そこに嫌悪を覚えるのか、元のことを心から信頼するまでに至っていない。というか虫が好かない。  白臣は普段他人に執着しないが、そのかわり人を嫌うこともほぼないので、自分でも不思議に思っている。とはいえ仕事上のつきあいだから特に支障はなく、都内で勤務していたときとそれほど変わらない条件に満足している。 「でた……相変わらず気持ち悪……」  誰にも聞こえない声で悪態をつく。元が常連の女性と鏡越しに視線を交わしている。その後耳元に顔を近付けると、女性はコクンとうなずき、目を伏せる。  夕方過ぎ、直前の電話確認から急遽来店した彼女はセフレのひとりだろう。  元の爛れた性生活にまったく興味がないのだが、向こうはフリーな恋愛を隠すつもりがないようで、露骨なのだ。 「草園、お前このあと予約入ってる?」 「あとカットカラーの方がひとりです」 「じゃあ悪いんだけど、今夜の会合変わってくれない? 手当ははずむから」 「はあ……」  女性が違うだけで、同じことを先々週にも言われた気がする。 「助かった! 恩に着るよ」  軽い足取りでバックヤードに消えてゆく元を、ため息と共に見送る。  経営なんて結果がすべてだから、その点で元は成功者なのだろう。好き勝手やっているようでも、ちゃんと結果を出している。 「今日はめずらしく早く上がれると思ったのに」  本日最後の担当にかかり、カラーの待ち時間で入口をのぞくと、なにやら若い男の子と困った様子のアシスタントが話している。 「なにかあった?」  油断すると威圧感を与えてしまうタイプを自覚している白臣は、努めてソフトに聞こえるようトーンを抑えて聞いてみる。  その男の子は元の知り合いだということだった。約束をしていたのに、元が帰ってしまったから困惑しているらしい。 「お客様……行き違いがあったようで大変申し訳ありません。坪井に連絡を取ってみますね」 「あっ……だ、大丈夫です。俺、うっかりしてて携帯も忘れちゃったし…………出直しますので」  今にも泣きそうな声なのに、文句も言わず帰ろうとする様子につい引き留めてしまった。  そのうつむいた顔をのぞき込みはっとする。心臓が、ドクンと跳ねる。

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