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第20話
休みになり、指定されたホテルのラウンジへ向かった。普段着る機会がほとんどないスーツは窮屈に感じて居心地が悪い。
何度か担当したことがある女性だったので、あらかじめ顔はわかっていた。緊張した面持ちの彼女がこちらへやってくる。
立ち上がってお辞儀をする。この時点でかなり疲弊していた。
彼女が嫌なわけではない。
ただ進展させるつもりがまったくないことがらに、時間を割いてもらっていることが後ろめたい。たとえそれが自分の計画でないとしても。
「本日は申し訳ありませんでした。貴重なお休みを使わせてしまって」
「いえ……」
飲み物が運ばれてくると、開口一番彼女は詫びの言葉を口にした。
美容雑誌の特集で『Spade』が掲載されており、そこで白臣を初めて見たそうだ。それから北条の妻である友人経由で予約を取ったのだと教えてくれた。
「草園さんが見合いを断っていることは知っていました。それでも一度だけ、どうしてもお会いしたかったんです」
自分のどこに好かれる要素があるのかわからないが、初めて気持ちを伝えたい人に出会ったのだと、彼女は言ってくれた。
「お気持ちはうれしいです。でもあなたの望むように、俺はなれないです。申し訳ありません」
「いいんです。みっともなくても勇気を出して行動できたので悔いはないです。草園さんには申し訳なかったですが」
先に席を立った彼女は帰り際「カットはまたお願いしてもよろしいでしょうか」と遠慮がちに聞いてきた。
「もちろん、承ります」
澄んだ瞳をまぶしいと思った。
気持ちに応えることはできないが、恋をする瞳はみっともなくなんかない。苦しさも、人間の、人生の喜びのひとつなのではないか。
彼女が去ってしばらくしてもそこから立ち上がれずにいた。
あと何度、人の人生を演じさせられるのだろう。
死んでも、何も変わらない業を背負ったまま転生を繰り返して。いつものように、思考を停止してやり過ごすことができなくてもどかしい。
いっそのこと、彼女みたいな人と結婚すれば、いつもと違って満たされた人生を送れるのだろうか。
もしくは玉湾のいいなりになれば、魂は解放されるのだろうか。元死神に魂があればのはなしだが。
ふと、目の前に湯気の立つコーヒーが置かれた。驚いて見上げると、そこにはずっと考えていた人がいる。
「振られちゃったんですか?」
「…………不二夫くん」
あれから随分と時間が経ってしまったらしく、一緒に交換してくれた水のグラスは、すっかり氷が溶けていた。
「嫌な聞き方してごめんなさい。女性に向かって真摯に頭を下げてらしたの、実は見えていました」
「謝ることくらいしか、できることがなかったから……それよりなんで」
なんでまた、目の前にあらわれるのだろう。あのまま二度と会わずに、不二夫のしあわせを願って年を取り、孤独に死なせてくれればよかったのに。
「今日はもう上がりなんです。ちょっと話しませんか?」
ラウンジの制服姿のせいか、地元にいた頃よりも大人っぽくみえる。それに以前のおどおどした様子がなくなっていて、真っ直ぐ見据えられると少しどきりとした。
不二夫は元との別れを機に上京し、パティシエを目指しているそうだ。今は夜間の製菓学校に通っている。
「白臣さんみたいに手に職を持っているの、尊敬していました。あんな人でしたけど、元さんもやっぱりすごいなって」
昼間は先ほどのホテルラウンジでアルバイトをしているらしい。
「時給も結構いいし、マナーや接客を学べるので将来にも役立つから一石二鳥です。白臣さんはお仕事順調みたいですね」
「うん、おかげさまで……って、えっ? でもなんで知ってるの?」
「上京したとき、そういえば白臣さんも東京にいるんだなって思って、予約サイトから検索してみたらみつけちゃって……」
そこから店舗ブログとか、インスタをチェックしたらしい。
「改めて言うとキモいですね……ごめんなさい」
「見てもらうために載せてるんだから、全然いいよ。それより、来てくれればよかったのに」
「無理ですよ。白臣さんのお店、高いですもん」
仕事をしながら学校に通っている学生だ。家庭が複雑だと元に聞いたこともあるから、やりくりは大変なのだろう。そんなことも想像できなかった自分が情けない。
「ほらっ……そもそも会いに行く勇気はなかったから……だから今日、お見合いの覗き見でも、会えてうれしかったな」
年だって随分下なのに、不二夫に気を遣わせてどうする。希薄な人間関係しか築いてこなかったことのツケが、今になってのしかかってくる。
「せっかく会えたんだから、ご飯ごちそうさせて」
食事をする場所をあれこれ話していると、自然と今住んでいる場所の話になった。
不二夫のバイト先と学校は新宿だから、中野を拠点にしている白臣とはわりと近いなと思っていたが。
「野方に住んでるの?」
「はい。JR沿線だと家賃が高いのでいろいろ探しているうちに、西武新宿線になりました」
「驚いた。野方なら買い物とか図書館とか、結構通ってる」
不二夫のアパートと白臣のマンションに至っては徒歩圏内の近さだ。人間だと人の放つエネルギーを分けて感じるのは不可能に近いから、これほどそばにいながらまったく気づかなかった。
「白臣さんは自転車生活なんですね」
「ラッシュもないし、慣れちゃうと結構快適で。不二夫くんは――」
もう、大切な人には出会えただろうか。さすがに不躾だと思い、切り出すことはできない。
「お見合い断ったってことは、つきあっている人がいるんですよね」
「えっ?」
思わぬことで不二夫と食事をしているこの状況にばかり気を取られていたらしい。先程まで自分が見合いをしていたことなど、すっかり抜けてしまっていた。
「あ、俺のことか……いや、いないよ」
「そう、なんだ」
「…………不二夫くんは?」
あんな魂レベルの低い男など早く忘れて、しあわせになってもらわなきゃ困る。
「元さんのことで懲りたから、恋人とか、今はいいかな。それに昼間仕事して、夜は勉強の毎日で。実技も多いし、正直余裕がありません」
「そうか、頑張ってるんだな」
「ただでさえ出遅れているので必死なだけです。でもちょうどいいのかな。俺、男にのめり込むと周りが見えなくなっちゃうから」
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