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ある春の日に、編 2 他愛のないランチ

 ――式だけでも、挙げるか……。  ボソッとさ、明日、映画でも見に行くか、みたいな口調でさ、英次が言ったんだ。俺はびっくりして、式ってなんのことかわかんなかった。持ってたグラスは落っことして、足元が麦茶でびっしょびしょ、けど、グラスは粉々に割れなかった。壊れず床に転がって、俺は数秒遅れで理解したその言葉に飛び跳ねて。びしょ濡れだっつうのって怒る英次に抱きついてキスをした。  それが三ヶ月前。  そっから式場を二人で探したんだ。小さなレストランだけど雰囲気がよかった。アットホームで、それからさ。ピーマンのソテーがすっげぇ美味くて、俺があまりに美味そうに食べるから、ここで決まりだなって英次が笑ってた。これで一生の俺のピーマン不足は解消されるって。  一生っつってた。  一生、ピーマンっつってた。  この英次と一緒に買った指輪。紫が滲んだような青色のをした二人の思い出の色の石を内側に埋め込んだシンプルでずっと、じーちゃんになってもばっちりつけられる指輪にした。 「うわぁ、指輪眺めて微笑んでる新婚さんがいますけどー?」 「!」 「新婚ラブラブイチャイチャバカップルになりやがって」 「押田!」 「よぉ」  そんな? そんなににやけてた? って尋ねると大きくしっかりと頷いて、押田が向かいの椅子に座って笑った。  押田も今、仕事をしてる。俺と同じように海外で舞台演出のことを勉強したけど、就いた仕事は舞台じゃなくて、イベントとか展示系の演出のほうだった。向こうでできた恋人とは遠恋の真っ最中。俺と英次とは逆になっている。俺らが勉強してた時は、俺と英次が海を越えた遠恋だったから。  仕事のほうは、まだまだアシスタントだけど、でも、押田も楽しそうに仕事を頑張ってる。冬は光のクリスマスイベントですげぇ忙しそうだった。バレンタインとか、そういうカップルイベントとかになると大変なんだって笑って教えてくれた。 「あー、知ってる。九十九(つくも)って、ヘンテコな名前だったから覚えてる」  押田がワンプレートランチの中、ちょっと邪魔なくらいに巾をとっている丸い輪、オニオンリングをパクリと頬張った。  今日は近くで展示会場の視察があるから、一緒に昼飯食わないかって、連絡を寄越してくれた。  九十九里って読んだんだよなー、なんて。俺でも間違えない読み間違えを暴露して笑って、スマホで、ほらって、見せてくれた。  THUKUMO、本名、九十九清二(つくもせいじ)、二十九歳、数多くの舞台演出を若いうちから手がけてきた、新進気鋭の天才舞台演出家――だそうだ。 「この人だろ?」  スマホの画面にはグレーのセットアップに身を包み、腕を組んで、いかにもなポーズを取った人がいた。 「う、うーん」  こんな顔だっけか? なんか、これ、盛りすぎじゃね? 「もっとさ、こーんな感じの釣り目でさぁ。すげぇ、意地悪そうな顔を……」  自分の顔面使って、目尻んとこ、指でピーンって、目が一本線になるくらいにめちゃくちゃ引っ張った。 「…………」  その横を、まさかの本人が横切った。 「あははは。何、そんな吊り目ねぇって」  けど、押田はそんなん気がつくわけなくて。っつうか、この宣材写真ダメじゃね? ほぼさ。別人――。 「すっげぇ意地悪な顔じゃん」 「ぎゃあああ! 押田! お静かに!」 「ほえ?」  その別人九十九がこっちを睨んでた。思いっきり、釣り目をもおおっと細めて、それこそ針みたいにしてチクチクチクチク、刺すような視線でこっちを睨みつけてた。 「どした? 凪」  どした? じゃねぇよ。バカ! 俺らみたいな駆け出しの舞台スタッフなんて、きっと簡単に潰されるんだからな。それこそ狐の爪でぎったんばったんだっつうの。  慌てて、押田を引っ張り頭上を低くした。洞穴に逃げ込んだ狸さながらに。 「げ、さっきいたのかよ」  ランチを終えて外に出るともう春の陽気でポカポカだった。カーディガンで充分夜もいけそうなくらいにあったかい。 「わりっ! お前、舞台で関わるんじゃねぇの?」 「んー。そうでもない。なんか、向こうにしてみたら、自分が関わらない部分まで気にかける暇ないんじゃね? 九十九が作った舞台の上乗せだし」  あ、けど、あんま良くなかったんだっけ。評判がさ。釣り目の狐顔のことじゃなくて、舞台の、そうそう、間が硬いんだった。 「けど、自分の作った舞台の上乗せだろ?」 「向こうは売れっ子演出家」 「まぁなぁ。お前は手がけんの?」 「まだまだに決ってんじゃん」  そこで押田がアハハって軽やかに笑う。まぁ、まだまだだ。いっくら舞台の、エンターテインメントの本場で勉強したからって、そう簡単に手を出させてもらえる容易な場所じゃない。これからたくさん現場で学んで、それを自分の中で消化して、表現できるようにしてかないと。 「挙式のほうもあるんだろ?」 「きょっ」 「挙式、レストランだよな? ぶっ、何、真っ赤になってんの?」 「!」  だって挙式って言うネーミングがすげぇなって思って。 「よかったな」 「……」 「なんか、自分のことのように嬉しいよ。もう色々決めてんの?」  なんとなくは、決めてる。青紫色の花をたくさんあしらおうと思ってるんだ。その花びらで縁取ったバージンロードっぽいとこを作ってみたいなぁなんて。 「まだまだ先じゃなかったっけ? もう、すげぇ、嬉しそう」 「なっ! だ、だって」  嬉しいよ。そりゃ、嬉しいに決ってる。 「俺もできることあったらなんでも手伝うよ。先輩にも色々頼めないかって、話してあるんだ」 「……」 「もちろん、快諾」 「!」  だって、俺の「好き」は、英次がずっと抱えてくれてた「好き」は。 「そんじゃぁな」 「あ、うん!」  誰にも祝福されないものだと思ってからさ。 「忙しいだろうけど、がんばれよー!」 「押田もな!」  こんなふうに応援してもららえるなんて、思いもしなかったから。挙式とかさ、ウエディングとか。この好きを祝ってもらえるなんてこと、ないと思ってたから。

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