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ある春の日に、編 4 九十九という人

 舞台の追加演出はすぐに打ち合わせが開始された。そう間はないから、数回、メインの製作陣とミーティングの後、早速追加分の演出についての段取りが演者、舞台裏スタッフへと下ろされる。 「――ここまでの部分が考えている構想になります。さほどメイン演出の流れからは逸脱しないと思うのですが」  俺、ここの演出すっげぇいいと思った。女剣闘士が挑むような気持ちで舞を披露する追加シーン。剣闘士としての自分、女性としての自分を舞うことで、剣を振りかざすことで表現できるとこ。メインのプログラムにはなかった再構成部分だ。  ここを演出した先輩の、どれもめちゃくちゃ好みなんだよ。すっげぇいいの。しかもキャスト多く出さずに効果的にできるからさ。って、この舞台、九十九のネーミングバリューが目立つけど、キャスト陣もすっごい豪華だったりする。映画しか出たことがないっていう俳優さんが九十九氏の演出ならと受けてくれてたり、キャスト数もすごい。だから、この追加演出のとこ、メインの女剣闘士役の人だけの一人舞台になるから、嫌がられるかなぁって思ったんだけど。 「えぇ、いいと思います」  でも、驚くほどあっさりと頷かれた。 「それでは、このまま、次の場面に進みます」  え? マジで? もう少し抵抗とかないの? けど、あの人、九十九さんは絶対に……。 「……」  絶対に渋い顔をしてると思った九十九さんは、ただ、角んところがくたくたに丸まるくらいに読み込んだんだろう台本をじっと見つめていた。あんなに狐みたいに意地悪な顔に見えたのに、今、あのメインの、ベテラン作家さんたちに左右を囲まれ、全員が見渡せる、一番高いところにいるその人は悲しそうに見えた。 「それでは少し休憩をしまーす!」  そんな声と一緒にピリピリと緊迫していた部屋の空気が一気に和らいだのがわかる。自販機にジュースを買いに行こうと立ち上がりながら、自然と、小さな溜め息が零れた。こういうさ、ほぅ、って安心の、安堵の溜め息が自然と零れるような、リラックス空間とかいいなぁって思うんだ。ほら、あれの、挙式のレストランの雰囲気として。  英次に説明したら、俺らの式はミーティングの小休止かって言われるかな。そうじゃなくてさ。  せっかく俺らのことを認めて、祝ってくれる人がいるんだったら、俺らはその人たちにリラックスして楽しく飯食ってもらいたいって思う。歓談って感じ? かしこまらなくていい。食べたいもの食べて笑って欲しい。  だって、そしたら俺らの「好き」は人を笑顔にできたってことになるだろ? それって最高だなぁって思うんだけど。けど、ちょっとただの歓談だけじゃなくて、やっぱり俺たち的なウエディングっぽいこともしたいし。けど、ウエディングっぽいことをすると、やっぱりどっかかしこまるしなぁ。 「君、あの藤志乃氏が叔父なのか」 「え? あ……」  びっくりした。自販機で何を飲もうか選んでたら、ぬっ、って出現したから。  ぬって出現したのが、俺のこと好きじゃなさそうな九十九さんだったから。  あれ? それでも話しかけてきた。しかも、英次のこと、あの藤志乃氏って言った。英次のこと知ってるのか? 「向こうはもう覚えちゃいないだろうけど」 「……」 「昔、大昔さ、一緒に遊んでいただいたことがあってね」 「いただいた!」  びっくりしたら、向こうもびっくりして、狐みたいに、ほぼ一本線だった目を見開いた。っていっても、見開いてもそうでっかくはならないんだけど。だってさ、あの九十九さんが、あーんな大人にばっか囲まれてるのに、えっらそうにしてる九十九さんが、遊んで「いただいた」なんて言うからキャラとセリフがバグッたのかって思うじゃん。 「す、すんません」 「……」 「あの、遊んだことがあるっていうのは」 「父と母はこの業界で」 「ぁ、知ってます」  その返事に、九十九さんが「だよね」って顔をして、ご両親の説明をやめると、ほんの少しだけ笑って、遠くを見た。 「一度、うちの家で業界人が集まってたことがあって、そこに藤志乃氏も来てた」  仏頂面のこの人しか見たことがなかったから、ほんの微かだろうが笑った顔はとても印象的だった。ちょっとだけ、口元を緩めただけなのに、狐みたいな印象は消えるくらい。 「……やっぱり素晴らしい」 「へ?」  な、なに? なんだ? 突然。 「そうよく言われる」 「……」 「僕の作った舞台」  良かったじゃん。それって、褒め――。  ふと、気がついた違和感にきっと俺の表情が変わったんだ。九十九さんが俺を見て笑って、視線を足元に移した。 「やっぱり、ってことはさ、どこかで良くないと思ったことがあるってことだろう」  あまり良くないような気がしたけれど、改めて、もう一度見てみたら、「やっぱり」良かった。最近、飽きてきていたから食べていなかったけれど、また今回食べてみたら、「やっぱり」美味しかった。  やっぱり、その単語に隠れている、含まれた意味。  そうじゃないかもしれないだろ。別に全部の「やっぱり」がそういうネガティブからの好転みたいな意味なのかなんてわからないじゃないか、って、言えなかった。  だって、この人にとって、その言葉は重石みたいな言葉なのかもしれないと、ふと思ったから。 「だから、君たちが演出を担うのは良いことなんじゃない? まぁ、僕ひとりで作った舞台じゃないから、全然、僕のせいってだけじゃないし、他の人にも責任はあるし。いいんだけど」 「……」 「そうか。君は藤志乃氏の甥っ子なのか」  この人は俺よりずっと長いこと、この業界の中で育ったんだ。親がそうだったんだもん。叔父がこの業界にいた俺よりもずっと、中心のところに。 「頑張って、演出……」 「あ、あのっ」 「こっちの本編スタッフは往々にして承諾すると思うよ」 「え、けどっ」 「それじゃ」  往々にして承諾って、だって、そんなん。  九十九さんは飲み物を買うことなく、そのまま、またミーティングルームに戻っていってしまった。 「えっと、それでは、第四幕のところから――」  小休止が終わって、打ち合わせが再開した。九十九さんはまた使い込んだ台本をじっと見つめるだけで、身動きひとつせずに、ただうちの演出さんが出す提案を黙って聞いているだけだった。頷くこともなく、ただ、手元だけに顔を向けていた。 「なんか、すっごいスムーズすぎてびっくりするくらい早く終わりましたねぇ」 「あぁ、そうだなぁ。一時間も早かったな」  九十九さんの言うとおりだった。こっちサイドの提案は全て承認された。  いや、全て承認されてしまった。  うちの演出、すっげぇいいと思うんだ。王が窓辺で女剣士を想うシーンも、もちろん女剣士が王を想って舞うシーンも。すっげぇいいんだけど。けど、ひとつだけ、俺は、だけど、俺みたいなアシスタントが考えただけなんだけど、けど、恋文を王が書いて破り捨てるシーンはないほうがいいんじゃないかなぁって。 「けど、いいんすかねぇ。全部丸まるオッケーなんて」 「うーん」 「いいんすかねぇ」  なくてもいいんじゃないかなぁって、思ったんだ。

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