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ある春の日に、編 5 硬い間
やっぱ、いらない気がするんだよ。女剣闘士が勝ち進めば進むほど、対戦相手は強くなる。どんどん戦況の厳しい試合が増えて、傷も、疲弊も増して行く。その激しい戦闘シーンの中、じっと机に向かって唸る場面って、テンションが切れると思うんだ。殺陣の迫力あるシーンを折っちゃうっつうかさ。
それだったら、俺は…………。
「う、うーん……」
そこで別の案が浮かばないんだよな。入れたいのは、王の立場と女剣士の間で揺れ動く心の葛藤のシーン。それが本編だと少しだけ、浅いっつうか、短いんだよ。だから、ここで念押しみたいなことがしたいんだけどさ。その念押し方法が思いつかないっつうか。
「こら」
「うわぁぁ」
「ったく、ただいまくらい言え」
英次が渋い顔をしてた。
「あ……ごめ」
舞台のこと考えながら帰ってきたから、ただいま、って言ってなかった。そのことに、英次が渋い顔をした。渋い、顔。
「……凪?」
「……」
九十九さんのことはよくわかんない。知らない人だったし、知ったの最近だし。けど、英次のことならわかるよ。今の渋い顔はさ、俺が黙って考え事をしながら帰ってきたことを、まったくって思いつつも、頑張ってるんだろうっていう応援みたいな気持ちも混ざった顔。仕方ねぇなって思った顔だ。
「仕方ない……」
「凪?」
「仕方ないって、そう思ったのかもしんねぇ」
舞台は一人で作るんじゃない。すごいたくさんの人と一緒に作り上げていくものだ。だから、自分の個人的考えが通ることなんてほぼない。だから、仕方ないって。
「あ、あのさっ、英次! ちょ、ちょちょちょ」
そっからマシンガンみたいに自分のことを話してた。子どもがその日あったことを一生懸命、家族に話すみたいに、話して、自分の中に飲み込んで、そんで整理してく感じ。
どうだった? あの舞台を見て、間が硬かったっていうのはさ、違うかもしれない。硬いんじゃなくて、窮屈なんだ。袋にぎゅうぎゅうに詰め込んだらさ、その袋って硬くなるじゃん。そんな感じ。
間、なのに、たくさんの人のたくさんの考え、方針、商業エンターテインメントの、商業部分とかがさ、あの間のタイミングを少しずつズラす。少しずつ間を硬くしたんじゃないかな。
全部承諾するって言われた。
そんで全部本当に承諾された。
そういうふうに色んな意見が入って、普遍的になってのっぺらぼうになったんだ。独創性っつうか、一個人が持ってる癖みたいなのがぜーんぶ抜けちゃってる感じ。
だからつまらない。
「そんで、ここ、ここんとこのさ」
英次にもっと詳しく説明したくて、慌ててカバンから取り出した舞台の脚本。
「ここの……」
九十九さんの台本、角のところがすげぇくるんくるんになってた。何度も読み返して、ページ戻って確認して考えて、まためくって、めくって。そうして四隅がどんどんくたびれていく。
読み込んでなくちゃあんなふうにならないじゃん。
「ね……英次」
「んー?」
「九十九さん、渋かった!」
「はぁ?」
「うん!」
俺が大きく頷くと、英次は苦笑いを零して、大きな掌で頭を撫でてくれる。
「ったく。飯食うぞ」
「あ、うん」
「飯ん時くらいは台本置いてこいよ」
「うんっ」
そして、笑いながらキッチンへと歩いていった。
渋かったんだ。とにかく、渋かった。
「ちょ、なんなんだ、君は」
渋かったんだってば。
だから、ミーティングルームに入る前に、九十九さんをとっ捕まえた。九十九さんはすごい早くに来てた。もしかしたら誰よりも早くに来ているのかもしれない。自分の舞台のためできることを全て全力でやりたいんじゃないのかな。
今日は第二回打ち合わせ。ここで全ての追加演出の内容が確認されて、明日からは演者、舞台スタッフを交えての打ち合わせというか、段取りとかを覚えてもらう段階に入ってしまう。
「あの! ちょっとだけなんで!」
捕まえるなら、今しかない。
「なっ、なっ何が!」
ぐんぐんって手を引いて、この舞台に関わるスタッフさん、うちの会社の人、誰にも見つからないところへ。
「あの! 舞台演出なんですけど!」
「……それなら昨日言ったとおりだよ。概ね、承諾」
「じゃなくて! ここ!」
指差したのは一番引っ掛かった、恋文のシーンだ。
「ここ、いります?」
「……え?」
提案じゃない。こういうのを考えましたっていう発表でもない。尋ねた。
「このシーン、いります?」
尋ねたんだから、答えないとじゃん。
九十九さんは目を丸くしてた。そして、何か言おうと口を少しだけ開く。
「九十九さん!」
そう、そのまま口開いて、なんでもいいから言葉に出してくれよ。我慢して飲み込んで渋い顔すんなよ。いいんだってば。誰も、ここにいない。俺はペーペーのアシスタントで、何の権限もないし、なんの力もない。だから大丈夫、俺が「右」っていっても、世界が右を向くことはないから、気にしなくていいよ。俺の発言はどんな影響力も持ってないからさ。
「いります?」
「…………」
ほら、早く。
「…………い、らないと、思う」
あんたの思ったことを聞かせてよ。
「いらないと、思う」
二度目はもっとしっかりとした声で言われた。
「こ、このシーンはないほうが、女剣士の殺陣で運んできた高いテンションが持続したまま進んでいける」
その声はとても澄んでいて迷いのない声だった。
「お、俺も! そう思います!」
だから、もっと話してよ。九十九さんが思い描いたこの舞台の光景を。
「けど、俺は王の立場と気持ちの間で揺れ動くシーンも必要だと思うんです。それはたしかにちょっと足りないかなぁって」
「あ、えっと、それは削ったんだ。その後の戦闘シーンのほうがうけるからって」
ふと、あの「硬い間」を思い出した。たくさんの人の意見が入った窮屈な「間」を。
「そしたら、九十九さんなら、その揺れ動きをどう表現します?」
「僕なら」
あの間は九十九さん自身みたいだなぁって。
「僕なら、二つのシーンを同時に描くよ。女剣士が剣を一生懸命振るうシーンと、王の想いを、スポットライトで二分化してさ」
即答で言えちゃうくらいに、自分なりに考えていた演出があるのに、色んな人と作り上げるものが舞台だからとそれ全部をあの渋い顔で飲み込んだ。
サラブレッドだとたくさんの人に囲まれて、すごく窮屈で息苦しい日常の中にいたこの人みたいだなぁって。
あの「硬い間」はそういうことなんだって思った。
「それ、すっげぇいいと思います!」
狐目ってさ、笑うと、本当に、目閉じちゃってるみたいにほっそくなるんだって、今、知った。
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