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ある春の日に、編 恋愛じゃないドキ

 いっぱいあったんだ。 「……俺、そっちの演出で見たかった」  九十九さんの中にいっぱいすっごいのが詰まってたんだ。 「……ありがとう」  それを全部ぶちまけたらすっごい舞台になるって確信があんのに、俺だけじゃなくて、この人自身も絶対にそう思ってるはずなのに、それを全部ぶっ通すのはすごい難しいことなんだって、ありがとうって言った時の苦笑いが語ってる。  だから、言えない。  じゃあ、そっちの演出でいきましょうよ! なんてことは言えない。俺みたいなペーペーが思っている以上に、あの舞台にはたくさんの人たちが乗っかってるんだと思う。けどさ――。 「俺、二シーン同時進行の、すっげぇいいと思います」  けどさ、そこは突き通そうよ。 「絶対に」 「……」 「そっちのほうが良いと思います」  はんぶんこってやつだよ。皆の意見だって必要なことだろ? お金がかかってる、たくさんの人が携わってる。だから、貫けない思いもあるかもしれない。譲らないと「仕事」にならない部分はある。けど、譲らないといけない部分は譲るから、ここは貫かせてくれっていうギブアンドテイクだ。 「大変だと思います。金とか上映時間とか、演者の休憩だってそうだし。いろいろあるかもしんないけど。そこは絶対に、九十九さんの案が最高だって思うから」 「……」 「たくさんの人が関わってるんなら、尚更、良いものを作るべきだと思います。えっと、妥協と最善のちょうどいいとこ、取ってくっつうかって、もう行かないとですよね! すんません!」  そろそろ行かないと、時計を見れば、ミーティング開始十分前をもうすぎていた。 「やっぱすごいっすね」 「……え?」 「あんま言われたくないんだろうけど、サラブレッドってやっぱり違うんだなぁって思いました」  発想力とかさ、全然桁外れに違うっつか。才能がある人にはどんなふうに物事が見えてるんだろうって、この人が語る演出を想像しながら考えてた。 「そ? でも、僕には君のほうがすごいと思った」 「は? え、あ、すんません。けど、え、どこがっすか」 「とっても素直で平凡で」  それって、褒めてます? って、顔に出てたんだろう。九十九さんがまた笑って、一応、褒めたつもりなんだけどなって、呟いた。 「とても素直に受け取るのは素敵なことだよ。羨ましい。僕はなんでも、第一案を捨てなさいと教えられた。人よりも秀でるために。平凡なのも大事なことだ。人がどう感じるかを汲み取れる。業界にずっといると、業界の外の感覚が鈍くなるんだよ」  九十九さんはやっぱり窮屈なんだろうか。ゆっくり大きく息を吐き出すと、少しだけ高いところへ視線を向ける。まるで、水面を確認する魚みたいに。 「僕の日常はファッションショーみたいだな。煌びやかで最先端かもしれないけれど、日常的じゃない。素敵だねって言って終わってしまう。君の毎日は散歩みたいだ」 「……」 「あったかい日向をのんびり散歩してるみたいな優しさがあって、僕は好きだね」  散歩。四季があって、あったかくて、暑くて、涼しくて、寒くて。 「!」 「あはは。君にも何か閃いた?」 「あっ、いえっ」  全然舞台のことじゃなかった。全然違うんだけど、この人の言葉にストンって落っこちてきた。 「君を見てると、この仕事は楽しいことがこんなにあったんだと思い出せる」 「……楽しくない、んすか?」 「まぁね。仕事だからさ」  そういって、九十九さんがこっちを見た。目が合って、ちょっとドキッとしてしまう。恋愛のドキじゃなくて、この人に見えてる景色はどんななんだろうっていうドキ。俺が見えてるものと違うのかなぁ。もし違うのなら、それが重なるっつうか、合わさってさ、右目が九十九さん、左目が俺みたいな視界で作った、その。えっと。 「いつか、君と舞台を作ってみたいね」 「!」  ぺーぺーの俺と、新進気鋭サラブレッドの九十九さんとじゃ釣り合わないにも程があるけどさ。それこそしがらみとか、スポンサーの商業的意見とか、色々ネックになりそうなことはゴロゴロ転がってそうだ。けど、そんくらいのほうが、むしろ化学反応を起こすかもしれない。すっごいことができるかもしれない。  恐れ多いことなんだけど、でも、もしも九十九さんに見えないものが俺の目には見えているのなら。 「ぜ、ぜひ!」 「さて、そろそろ本当に行かないとだね」 「あ、はい。つか、俺こそ、行かないとっ」  やばい。九十九さんはそうでもないかもしんないけど、俺は、アシスタントなのにミーティングギリギリ入室とかマジでやばい。 「藤志乃氏」 「へ?」 「君の叔父なんだね」 「……」  なんでだろう。基本、人には言わないよ。 「叔父だけど、けど、英次は俺の全部です」  けど、この人には言っていい気がした。英次は叔父で、家族だけれど、それだけじゃないって。 「伝えてくれないか?」  この人には言いたいと思った。 「頑張ってます」 「……」 「貴方は、なれたようで嬉しいです。そう、伝えてくれ」  何の話なのかはわからなかった。けれど、そういえば、英次には伝わるんだろう。そして、それを伝えたら、英次はきっと笑って頷くんだろうって、思った。 「りょーかいです」  その英次の代わりに頷くと、九十九さんがまた目をほっそい線みたいにしながら笑っていた。  ロングラン決定後、初お披露目となった新演出追加バージョンの舞台は拍手の嵐の中、幕を閉じた。  追加された演出部分は約三十分以上のボリューム。けれど物語の質感、雰囲気は全く変わらず、奥行きと深さだけがプラスされ、素晴らしいと賞賛された。  特に、王の葛藤と、女剣士が思いの丈をぶつけた剣捌きを同時に一つの舞台で表現した部分は最高だと評論家たちを唸らせた。  ミーティングは、ちょっと大変になったかな。  全てOK とはならなかったりしたから。とくに、その二シーン同時演出はタイミングとかも難しくて、短期間の稽古で作り上げるのは大変だと、何度も打ち合わせが繰り返されたくらい。  けど、九十九さんの作った舞台は、そこをベースにたくさんの人の思いとアイデアを乗っけて散りばめて、とても素晴らしいものになったと、九十九さん自身が舞台挨拶で語っていた。  俺は、それを舞台の端から見学してたんだけどさ。  九十九さんが挨拶を終えて、頭を下げた後、ちらりと目が合ったんだ。たしかに合った。そして――。  早くここに一緒に並んで挨拶をできるよう頑張ってくれ。  そう不敵に笑ったのを、鳴り止まない拍手の中、俺だけが見つけて、胸の中で大きくしっかりと返事をした。

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