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第3話 居心地

 嘘……みたいだ。 「……」  英次がうちにいる。英次が、寝てる。  スーって寝息が聞こえてくる。すっげぇ、落ち着けた。英次と同じ場所で眠るなんて、ドキドキして絶対に眠れないと思ったのに。英次の気配に包まれる感じはたまらなく心地良くて、思いっきり眠れた。  ずっと、ずっとひとりで眠っていたのに――。  英次はここのマンションを契約する時にも、親父たちの保険金のことも全て手伝ってくれたけど、この部屋に上がることはなかった。仕事忙しい人だから仕方がないのかもしんないけどさ。モデル事務所の社長なんて、めちゃくちゃ忙しそうじゃん。前はそうでもなかった。俺が中学に上がるころから、抱えるモデルを増やしたから、すごく忙しくなったんだって、親父が言ってた。  接待やらで、日本中か駆け巡ってるんじゃないか? って、笑いながら親父が言って、英次が前ほど頻繁にうちに遊びに来なくなったことに不貞腐れてた俺の頭を撫でてくれたのを覚えてる。前はしょっちゅう来てくれたのにって。親父はそんな俺を見て笑ってたっけ。英次の持ってきてくれるお菓子はスーパーで売ってるようなやつじゃないもんなぁって。  違うんだ。  お菓子が欲しくてむくれてたんじゃない。英次に会いたかったんだ。仕事が英次をさらっていってしまうのがイヤだった。 ――ごめんな。この後、飛行機の時間があるから、送ってやるだけしかできねぇけど。  そう言って、いっつも、英次はマンションの下まで車で送ってくれた。  今、その英次が俺の部屋で寝てるなんて、ちょっと信じらんねぇ。 「……疲れ、たよな」  あんなに忙しく頑張ってたのに、その全部を持っていかれたんだから。  やっぱ、すっごい、カッコいい。ちょっと唇開いてるのとか、無防備感がハンパない。ヤバい。あ、ヒゲある! 少しだけだけど、ヒゲが生えてる! うわぁ、すっげぇ貴重。写真撮りてぇ。撮ったらさすがに起きるかな。 「ぁ、やば!」  見惚れてた。気が付いたら時間が経っていて、今日は講義出ないとまずいやつだった。英次のことを起こしてしまわないように静かに身支度を整える。朝飯は、時間ないし音が出るから、コンビニでいいや。 「……」  英次、モテるんだろうな。いや、モテてたし。親父も英次のモテっぷりは子どもの頃からだって言ってたし。だって、カッコいいもん。  振り返って寝顔をあらためて観察した。長めの髪はいつもみたいにセットされてなくて、ぐっすり眠る英次の目元を隠してる。  ドキドキした。ずっと好きだった人の寝顔をこんなに間近で観察できて、心臓が踊り出す。薄っすらと開いて、寝息を零す唇を見つめてしまう。  たくさん、キスしたことあるんだろうな。英次とキスしたことある人がたくさん、いるんだろうな。 「って、マジで、間に合わなくなる!」  慌てて玄関に向かって、ハッと忘れものを思い出して部屋に戻る。そんで、英次の寝顔を見て、起こしてないことを確認して、大学ノートを一枚破った。  連絡先知ってるから、あとでラインでも送ればいいんだろうけど、英次がいつ起きるのかわからないし、それに、やってみたかったんだ。 「……よし」  これ。置手紙。  起こしてしまわないように小さな声で、いってきますって、そっと告げて、もう一度、玄関へと向かう。そんで、自分の靴の隣に並ぶ、俺が履いたら少し大きそうなドレスシューズを見つめた。  英次の靴が並んでる――とか思っただけで顔がにやける。嬉しい。それとすごく楽しい。  もう一度振り返って、思いっきりにやけた。なんか、すごく憧れの光景で、嬉しくて仕方がない。 『鍵、スペアの持ってて。夕方には帰ってくるから。俺、夕飯、作るね。いってきます』  だって、英次がソファで寝てて、その前にあるテーブルには俺が書いた手紙と鍵があるんだ。いつまでも玄関で眺めていたくなるから、俺はその光景を目に焼き付けて、起こしてしまわないようにそっと、そーっと玄関のドアを開けた。  英次はきっと、たくさんの女の人と付き合ったことがあるんだろう。  サラリーマンには見えない。っていうか、英次だってタレントなれるんじゃね? って思う。少し長めの髪を後ろに流して、キリッとした目元に、不敵な笑みが似合う自信たっぷりな口元、身長あるし、頭いいし、仕事できるし。モテないわけがない。女の人のほうから寄ってくるだろ。  俺は、そんな英次にずっと片想いだ。好きなとこなんて挙げたらきりがないくらい、英次のことだけをずっと思ってる。だから、キスもそれ以上もしたことない。 「なぁー、凪も行かね? 今から飲み会なんだけどさっ! アパレル店員! めっちゃ可愛いんだぜ? モデルにもなってるっつってた。行こうぜ。」  可愛いアパレル店員? そんなの、ずっと英次のところに所属しているモデルや女優さんに囲まれて育ったんだから。ある程度可愛いくらいじゃ。それに、英次以外には興味がない。 「……行かない」  ようやく大学が終わって、もう帰れるのに、そんな寄り道するわけがない。今日一日ずっとそわそわしてた。早く帰りたいけど、そうもいかなくて、何度時間を確認したかわからないくらい。 「お前さぁ、綺麗な顔して。クールキャラもそこまで徹底しなくていいって。そのルックスだけで充分モテっから」 「別にモテたくないからいい」 「そういうとこ! そういうとこが女子はだなぁ。しかも、お前、告ってくる子には笑ったりするだろ? 罪作りだっつうの! だから! 早く彼女作れよ!」 「いらない」 「けっこうモテんのに、もったいねぇよ、ほれ。可愛いべ」  同じ大学の同じ科にいる、押田(おしだ)が飲み会に俺を連れて行こうと、スマホで写真を見せてくれた。  ほら、やっぱ、普通だ。 「……いらないっつうの」  自分でもまだわかってない。自分がゲイなのかどうか。英次だけが好きなのか、男が好きで、その中でも英次のことを好きになったのか。ただ、ひとつ言えてることは、英次以外はどれもこれも似たようなもん。女に興味がないんじゃない。今、写真の中で笑う女子よりももっとずっと綺麗な女の人にも可愛い子にも会ったことがあるけれど、心惹かれたことはない。英次以外には興味が持てない。  欲しいのは、ずっと欲しくて焦がれてるのは、英次だけ。 「それに今日は俺、用事があるから」  その英次が部屋にいるんだから、早く帰りたい。 「凪? なんかすっげぇ良いことあったとか?」 「は? ねっ、ねぇよ」  あった。すっげぇのが、あった。大好きな人が今、俺の部屋にいる。 「……ふーん、んで? 可愛いだろ? 飲み行こうぜ?」  もちろん、押田の誘いを即答で断った。  夕飯、何、作ろうかなって、大学終わってすぐスーパー駆け込んで、ふたり分の材料買い込んで、走って帰った。いつもだったら余るかなぁって思いながら買う野菜を、今日は、足りんのかなって思いながら買った。レジに並びながら笑いそうになるから、ちょっと俯いて顔隠してさ。 「ただいまっ!」  だって、会計するだけなのににやけてたら、やばいだろ。 「……英次?」  そう思ったのに。英次が、いない。 「英次?」  え? どこに、行ったんだよ。 「連絡!」  そうだ、スマホに何かメッセージが来てるかもって思った。走って帰ってきたし、スーパーでも急いでたから、ポケットの中に入れてても気が付かなかったのかもしれないって。そう思ったのに、でも、連絡は来てない。 「英次……」  どこ? もしかして、出てっちゃった? とか? ソファは狭いけどベッドも狭いから、だから、居心地悪かった? 思い返せば、今朝、少し疲れてそうな寝顔だったかもしれない。俺が身支度を整えてても起きなかったし。それに狭いワンルームは身長のある英次には窮屈なのかも、しれない。 「英次?」  もしかして、もっと豪勢なとこに住んでる女優さんとかモデルんとこに、本当に行っちゃった、とか? 「……」  そのほうが居心地、いいよな。女の人と一緒にいるほうが、ノンケの英次にとっては心地良い、よな。 「……」 「お、なんだ。帰って来てたのか?」  かちゃりと開いた扉。俺は飛び上がって振り返って。 「え。英次?」  そして、英次を見て、固まった。

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