5 / 88

第5話 彼シャツ、その着心地

 英次に、綺麗って……言ってもらえた。  あんなに綺麗な人ばっかに囲まれてる英次に綺麗って? 言われた、よな。マジで? 俺が?  湯上りで曇った鏡を手で拭いて、そこに写る自分を前のめりになって観察した。綺麗……か? 綺麗だったら、いいな。そしたらさ、万が一にも……もしかしたら、さ、好きになってくれるかもしんねぇじゃん。ノンケだって、別に絶対に男はダメってわけじゃない、かもしれないし。 「な、なぁ、英次―、あの……風呂」  わざと、髪をあんま拭かずに出てみた。わからないけどさ、色気とかそんなん自分が持ってるとは思えないけど、でも、よくあるじゃんか。ドラマとか映画とかで、そういういつもとは違う自分見せたら、相手がクラッとくる的なやつ。  自分の長い前髪からポタポタと落っこちる湯の雫を見つけて、指で毛先をつまみながら、拙いながらにも考えた作戦について、胸の内だけで言い訳をする。  雫がまだ毛先に残ってるくらいの感じで、そしたら、英次によくガキって言われる俺でも色気みたいなものをなんとなくでも出せるかな、って。 「英次?」  そう思ったのに。 「っんだよ。また、いねぇし」  風呂から上がったら、また、英次が消えてた。今度は俺が渡した鍵を持って、コンビニに行ったのか、それとも別のとこなのか。  置手紙をするほどまめじゃないのはわかるけど、でも、なんか、二日連続風呂上りに消えられると、ちょっと切ない。狭い部屋に甥だろうと、男と一緒にずっといるのはノンケの英次にとってはあんま楽しくないのかな、息抜きしたくなるのかな、って、考えてへこむ。ぺしゃん、って胸んとこがなる。 「……連絡くらいしろ。バカ英次」  ひとつ文句を零した時、英次が使ってたソファのとこに見つけたTシャツ。  これ、英次がさっきまで来てたやつだ。着替えて出かけたのか? 飲みに、とか? でも、そしたらいくら英次でも連絡のひとつくらい寄越すよな。でも、スマホには何も来てない。着信もメッセージもない。 「どこ行ってんだよ」  手に取ってた。取る、だろ。だって、好きな人が着てた服とか、絶対に、ちょっと、さ。 「……」  着てみたくなるじゃん。英次が俺のこと細いって言ってた。もう少し食えって。どのくらい細いのか。どのくらい英次と体格差があるのか、ちょっと知りたかった。だから、着てみた。 「うわ、でか」  すごいでかかった。Tシャツの袖が俺の肘くらいまであるし、尻んとこも丸々隠れる。  こんなに体格違うんだ。俺も大学じゃ細いほうだけど、でも、まさか、こんなに違うなんて思いもしなかった。  ダッボダボだ。 「……これが、英次の」  ないのなんてわかってる。ありえないって、知ってる。英次はノンケで俺はただの甥だって、何回も思ったから、ちゃんとわかってるけど、でも、服の大きさがあまりに違うから思い浮かべてしまった。  英次に抱き締めてもらったら、こんなにすっぽり俺って腕の中に収まるのかなって。そう思ったら、なんか、急に、クル。 「英次……」  でかい背中。力強い腕。重なったら、俺はきっと丸ごと英次の中に隠れられる。そしたら、男で骨っぽいかもしんねぇけど、抱き心地がサイズ的にはまぁ良いかも、なんて思った。  Tシャツの胸んとこを手で鷲掴みにして、ぎゅっと抱き締めるようにしながら、スン……、ってにおいを嗅いだりとか、ちょっとやばいけど。でもさ、だって、英次の匂いがする。英次の服着て、英次のにおいがして、そんで、抱き締められてるとことか想像したら、そんなん――。 「あっ……」  どうしよ、触り、たい。 「ただいまー!」 「んひゃああ!」  心臓が口から飛び出しそうになって、変な叫び声をあげてしまった。 「凪っ? おい、ど」 「んぎゃあああああああ!」  狭いワンルームじゃどんなに小さい叫び声だって、英次の耳に届いてしまう。何かあったのかと慌てて駆け寄ってくれたら、すぐに見つかってしまう。 「……凪? お前、何してんだ?」  英次のTシャツを脱ぐよりも早くに見つかった。 「あー……」 「お前、それ、俺が一日着てたやつだぞ? どっかに髪がくっついてるのか、チクチクするし、汗くせぇから脱いだのに。お前、風呂上りにそんなん着たら」 「こっ! これは! あのっ、えっと」  なんて答えるのが叔父と甥っぽいだろう。っていうか、なんて答えても、叔父と甥の関係じゃ不自然すぎるだろうけど。 「えっと、英次、どんくらい、でかいのかなぁって」 「……」 「そう思って、着ただけ、です」  急いで脱いで、それを英次の胸にドンって突っ返した。 「変な奴だなぁ」  そう笑いながら呑気に英次は呟いてたけど、知らないから、そんなに呑気でいられるんだろうな。甥で、同性の「ガキ」が自分の服と匂いに少なからずどころか、しっかりと邪なことを考えてたんだから。  なんか、俺、バカみてぇ。ちょっと、英次に綺麗とか言われて、のぼせてた。風呂上りの自分に英次がちょっとその気になるかも、なんて思ったりして。英次の脱いだ服着て抱き締められたら、なんて想像したりして。ダサくて大バカだ。  ありえねぇのに。英次が男の俺を、しかもひと回りも歳の離れたガキで同性の俺を好きになるわけねぇのに。 「凪、ちゃんと髪乾かせよ? 風邪引くぞ」 「……うん」  英次が俺のこと色っぽいって思ってくれるかも、なんて考えて、髪そのまんまにしてたんだぜ? 笑っちゃうよな。本当に英次には子どもにしか見えてないのに。風邪引くから髪をちゃんと乾かせなんて言われるのは、俺がただの甥っ子だから。 「まったく、ほら、タオル貸せ」  手のかかるガキなんだ。 「平気。大丈夫」  髪の毛すら乾かせない子どもだと思われてる。コンビニでビール買ってきた? 俺の分はやっぱ昨日みたいにないんだろ? 「そうか? 凪、アイス買ってきたからな」 「……うん」  俺の分はビールじゃなくて、アイス。いいよ。どうせ酒はまだ飲めない歳だし、そんなん美味いと思ったことなんてねぇから。  ガキの俺がへこんでるから、慰めようとしてくれてる? 平気だよ。別に俺が英次の恋愛対象には入ってないのなんて、しょっぱなからわかってたことなんだから。わかってたのにちょっと浮かれた俺がバカだっただけだから。

ともだちにシェアしよう!