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第6話 恋の瞬間

 俺の通っている大学はいわゆる芸大。芸術系の大学。でも、俺は驚くほど絵が下手。作品とかを作り出せる器用さも持ち合わせていない。美大と芸大の違いもあんまりわかってないかもしれない。ただ、マネージメントの勉強をできる学科がここの大学にはあったから、ここを選んだだけ。 「あの、藤志乃君は付き合ってる子とか……ご、ごめんね、突然」  芸能関係、舞台とか、コンサートとか、そういうのをマネージメントできる知識を持っていたら、英次の役に立てるかもしれないって思ったんだ。英次のことしか俺の頭の中にはないっていうかさ。だから、急にこういうことが起こるとびっくりする。 「あー、もしかして、押田の……?」  その名前に目の前の女の子がピクンって反応した。飲み会にもしも女子がいたら、俺はほぼ参加しない。それをあいつは知ってるはずなのに、しつこく誘うから何かあるのかもって思ったけど、こういうこと、だったのか。 「ごめっ、そういうのいやだよね。裏でこそこそとか」 「ううん。こっちこそごめん」 「……え?」  どこの科の学生なのかも知らない、彼女のことを俺はよくわからないから、好きでも嫌いでもない。それなら、好きに発展するかもしれない? 「俺、好きな人がいるから、ごめん」  ないよ。俺はきっと、ずっと、英次のことしか好きにならないから。  好き、だったんだ。ずっと、小さい頃から英次は俺にとって憧れのカッコいい人だった。会う度に子どもの俺はドキドキしてて、英次がうちに遊び来る日は、たとえそれが夜だとしても、朝からずっとそわそわしてた。  それがあの日、恋愛の「好き」の色と形で自分の胸に刻まれた。  中学一年の時、英次は大学を卒業して、きっと芸能プロダクションの会社を立ち上げるために色々頑張っていた時期だと思う。  どこかのファッションショーに俺をエスコートしてくれた。小さなショーだったけれど、ファッション関連の人たちがたくさん来ていて、俺にとっては異次元みたいな場所だった。そのショーのラスト、ゲストっていう形で俺がその当時好きだったアイドルの女の子が登場した。英次は彼女を間近で見られたら喜ぶだろうって、そう思ってくれたんだと思う。  でも、俺がその場で心奪われたのは学校でクラスメイトが皆可愛いって連呼してたアイドルでも、顔が小さくて八頭身以上もあるようなスレンダーなモデルでもなくて、スーツ姿の英次だった。  うちに遊びに来る英次はいつもラフな格好をしてて、スーツ姿で来ることは一度もなかった。窮屈なスーツじゃ寛げないだろって、こたつでごろ寝をしてた英次。  それが、ファッションショーの時は、ビシッとしたスーツを着ていて、すごくカッコよかったんだ。目が離せなかった。スマホ片手に仕事をしている様子がもっと見たくて、ファッションショーとは全く違う方向に顔を動かして彼を追いかけた。 モデルが闊歩する舞台も、アイドルと握手できることも、別にどうでもよくなった。英次しか目に入らなくなった。スーツ姿の英次は特別だった。  あの瞬間から、ずっと、俺は英次に恋をしている。  きっと叶わないけど、この二文字は届かないだろうけど、それでも、その瞬間、落ちたんだ。  恋に――。 「可愛い子だったろ?」 「押田」 「でも、ダメだったんか?」  午後の講義を受けるため教室に入ると、同じ学科の友達、押田が待っていた。 「お前、ああいうのやめろよ。俺が断るって、一番よく知ってるくせに」 「まぁな。悪かったって、ほら、お礼にピアスやるから」  押田はクスッと笑って。俺の手の中にシルバーのピアスを押し込んだ。デザインから加工まで全部押田がプロデュースしたアクセサリー。こいつも俺と同じマネージメント科で勉強している。このシルバーアクセサリーはこいつの手作り。それをよく俺にもくれるんだけど、今回は彼女の件のお詫びらしい。  俺には好きな人がいるって、押田だけは知っている。 「でも、お前ってさ、優しく断るだろ? そしたら、傷つかずに、でもスパンと諦められるじゃんか。んで新しい恋にあの子はいけて、バッチリじゃん」 「そういう問題じゃ」 「で、優しい藤志乃君って、また人気上昇」 「茶化すな」  断る時優しいのは、彼女のことを思ってじゃない。だから、イヤだ。断りたくない。好きだからとかじゃなくて、ただ、あの子は「俺」かもしれないから。 「しっかし、お前も一途だよなぁ。好きな人いるってずっと断り続けてるだろ?」  俺は英次のことしか好きにならない。彼女に振り向くことは絶対にない。なんでだろうな。絶対に、なんて、断言できないと思ってるのに。人生何が起こるかわからないって、もう俺は知っているのに。  英次が俺を好きになることは絶対にない――なんてことは言い切れいないだろって思うのに。断わられませんようにって願う自分がいる。そして、願いの隙間から溢れる不安。  断られる時のことを想像するんだ。思ってしまう。俺が好きって言ったらどうなるのかなって、想像して、慌てて頭を振って浮かんだ光景を吹き飛ばす。だから、優しく断ってしまう。せめて優しく断りたいって。  だって自分がいつか英次に告白して断られるのなら、優しくやんわりとお願いしたいから。 「ホントにいんの? 好きな人っつうやつ」 「……いるよ」  いるけれど。 「いる」  いるけれど、誰にも言えない。この好きを、英次本人に伝えたいけど、英次にすら言っちゃダメなのかもしれないって、思ったりもする。俺の好きは、そんな好きだから。たまに、ああやって誰かに相談して、告白できることを羨ましく思うんだ。 「うわ……雨かよ」  大学の帰り、電車に乗っている途中から降り出した雨は駅を降りる頃には本降りに変わってた。 「あーあ……」  傘なんて持ってないし。駅からマジダッシュで帰っても、ずぶ濡れ確定だ。これ、夕立のレベル越えてる。  雷鳴りそう。それにスマホを出して天気予報を調べたけど、やまなさそう。  どうしようかなって思いながら、足を一歩、雨粒が跳ねて踊るように落ち続ける中、踏み出した瞬間だった。地味な傘がたくさん並んでぞろぞろと。駅前の道に低い屋根を作ってるみたいなのを、駅へと続く階段の高いところから眺めてた。 「……ぇ」  黒、紺、たまに花柄だけれど、夕方で分厚い雲に覆われた中じゃ、どれもこれも地味な色にしか見えない。その傘で作られた屋根から、ひょっこりと出た英次のシルエットに心臓が飛び跳ねた。 「お前、天気予報くらい見とけよ」 「……ぇ、い……」 「ほら、傘、思いっきり玄関に立てかけてあったぞ」  英次が傘を持って迎えに来てくれた。 「ったく、お前は……」 「ありがと」 「足元びしょ濡れだ」  英次がビーサン履いてる。こんな姿を見られたのは大昔。好きだと自覚した頃よりももっと前に何度か見たことがあるけれど。 「ほら、帰るぞ」 「あ」  言いたい。 「ビーサンなんて、久しぶりに履いた」  あはははって笑う英次のこと、こんなに、たまらなく好き。そう言いたい。 「それ、俺のじゃんか。英次」  でも、今じゃないんだろうな。今言ったら……今、言ったって、ごめんなって返されて、この「好き」を止めないといけないんだろうなって、大きな背中を眺めながら思った。

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