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第7話 雨に踊る
素足の英次なんてめっちゃレアだなぁって思った。びしょ濡れになっていいようにって、ハーパンで、ビーサンで。
「あんだよ。通り雨じゃねぇか」
傘を閉じて、真っ暗な闇にぼんやりと浮かぶ月を見上げてむくれてる。英次が家で夕飯を作っていたら急に降り出した雨。スマホで天気予報を見たら、夕方からずっと日付が変わるくらいまで雨マークがついてた。だから迎えに来てたのに、やんでんじゃねぇかって怒ってた。
でも、俺は内心感謝してた。
「ビーサンがびしょ濡れになっただけじゃん、英次」
「ついてねぇな」
雨マークを並べてくれた天気予報に。
「会社も乗っ取られたし?」
「おい、てめぇ、人の傷口に塩を塗り込むな」
「ちょ! 頭、ぐしゃぐしゃにすんなよ!」
からかったら必ずムキになってくれるから、それが嬉しくて、つい悪態をついてしまう。そして、避けながらも、英次の掌に頭を撫でられるのがたまらなく嬉しくて、笑うと、怒ってんだぞってまた髪をぐしゃぐしゃにされて。
でも、乱雑に頭を撫でてくれる掌はすごく温かい。
怒った顔も、笑った顔も見れるから、こういうノリの時はやたらと逃げ回るんだ。今日はバケツをひっくり返したようなどしゃ降りで水浸しになった道路にヤケクソになってるから、いつも以上に楽しそうに俺を追いかけてきてくれた。
「ちょ! バカ英次! 俺の服がっ」
「うっせぇ! ちょっと濡れんのも、びしょ濡れになるのも一緒だ!」
そう言って、わざと水を蹴ってこっちにかけようとする三十一歳ってどうなんだよ。これで、人気モデルだって抱えてた芸能プロダクションの前社長ってさ。でも、社長をしていた英次はこんなじゃないから。人のこと水浸しにして、しかも、少しジャリジャリする雨水、そんなことをして楽しそうに笑うような奴だって知ってるのは、きっと世界でただひとり。俺だけだ。家族の、俺だけ。
「もおおおお! マジで! 英次、バカだろっ!」
「なぁ、凪」
水をあっちこっちに蹴散らしてた英次がぴたりと止まって、トーンを下げた声で名前を呼ばれた。そして、ポン……って頭のてっぺんに置かれた掌。
「英次?」
びっくりした。なんか、慌てて走ってるところで急にホイッスルと一緒にストップをかけられた感じ。驚きながら急に止まったら、呼吸が弾んでた。
「……ピアス、変えたのか?」
「え? ……あ、あー、うん」
びっくりした。ピアスか。頭ポンってされて、そのあと、髪触るから、何かと思っただろ。耳に被さる髪を指でつまんだりされて、ちょっと、ドキドキしたじゃんか。
「友達が作ったんだ」
ないけど、ありえないけどびっくりした。キス、されるのかと、ちょっと思った。でも、そんな俺の勘違いを見透かされそうなほど、真っ直ぐ見つめられて、思わず目を逸らした。だって、もしかしたら顔に出てるかもしれないから。
「友達って、大学の?」
「そう、同じ演出科の奴なんだけど、趣味でシルバーアクセ作ってんだ。んで、できるとくれるんだけど」
英次は俺の考えてることを見破るのがうまかった。子どもの頃、俺が親父に叱られたりしたのだって、顔見るとすぐにバレてさ。優しく「どうした?』って聞いてくれた。
「手作り?」
身体の内側ででっかい花火がひとつ打ち上がったみたいに感じた。
「そ……そ、う」
英次の指が、指先が、俺の耳朶触ってる。押田のピアスってデザインが凝ってて、目を凝らし見たくなるくらい。ピアスだけは新作っつうか、出来上がると俺にくれるんだ。あいつ、ピアスしないから。しないくせに作る。なんで? って、思ったけど、小さい造形物がたまに急に作りたくなるんだって。
「少し、赤くなってねぇか?」
「!」
心臓、爆発しそう。
耳朶いじられただけで身体の中の血が沸騰しそう。熱い。
「べ、別に赤くなんて、なってねぇ」
熱くて、のぼせて倒れそう。この耳朶が赤いのはそのせい。
「はっ早く帰ろうぜ」
「凪!」
今日はゲリラ豪雨。俺は天気予報を見忘れて傘持ってなかった。でも、英次が傘を持って迎えに来てくれた。びしょ濡れになった。っつうか、びしょ濡れにされたけど、靴の中までびしょ濡れになったけど、でも、英次とふたりで帰れた。頭とか、髪とか、触ってもらえた。
「な、何?」
「今日の夕飯」
雲が切れて、月が出て、英次の顔を静かに冴えた光が照らす。
「お前の好きな、ナスの味噌炒め」
すげ、カッコいい。クラクラする。触れられた耳朶がじんわり熱を持つ。
「マジで? ラッキー」
今日はすごくついてる日だ。
今日は絶対に、ぜーーーったいに、湯上り美人風にして、英次に少しくらい、ホント米粒くらいだけかもだけど、気にしてもらう。
「英次!」
勢い良く、バスルームの扉を開けた。雨でびしょびしょ、ビーサンだった英次はそれこそジャリジャリ。そんな泥だらけのハーパンじゃ、さすがにふてぶてしい英次でもコンビニにはきっと行かない。行くのなら、シャワー浴びてからにする。
「はっ?」
そう思った。
「わりぃ、凪、そっちの箱ん中身、もう一回詰め込んでくれるか? 冬服だった」
「……はぁ?」
部屋はダンボールの雪崩に支配されていた。湯けむりの色気どころじゃねぇ。
「な、何してんだよ。今から、荷解きすんの?」
「しねぇよ」
なんだ。しないのか。すればいいのに、荷解き。それって、つまりはずっとここに住むってことになるだろ? 荷、じゃなくて、生活に必要なものとして、この部屋に組み込まれるってことなんだから。
「なぁ、荷解きじゃねぇなら、何引っ張り出してんの?」
「……んー」
荷を解かないってことは、いつか出て行くつもり、なんだよな?
「英次」
楽しくねぇ? 一緒に暮らすの、さっきの雨だって、楽しかったし。英次も楽しそうだったし。だから、別に家族なんだから、このまま。
「英次、あのさ」
「あっ! あった! なんで、俺、こんなとこ、入れたんだ?」
「英次? 何」
「やる」
ポーンって投げられた黒い物体。うわって、叫んで慌てて手に取った。掌に収まるほど小さな、スーパーボールか何かだと思った。
「ピアス」
「え?」
「すっげぇ高いやつ。ハイブランドの、俺が初給料で自分用にって買ったやつ」
すげぇ、そんなレアアイテムがあったんだ。
「それ、やるよ」
「……え?」
「凪にやる。それ」
やっぱ、今日は最高についてる日だ。
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