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第8話 耳に残る熱

 もうつけないからって言って、俺にくれたけど。でも、本当に高級アクセサリーだった。値段知ったら青ざめるかもなって。たぶん、本当に青ざめると思う。  今はもう死んじゃったけど、俺のじいちゃんばあちゃん、英次にしてみたら両親、そのふたりにご馳走して、それと自分用にって買った、記念の大事なピアス。  ――バカだよな。普通、初給料で買うとしたら、時計や手帳だろうに、なんで、二十歳そこそこだった俺はピアスなんて買ったんだろうな。  そう言って苦笑いを零してた。  そんな大事な物もらえないって、遠慮は、した。でも、たぶん、俺は嬉しいって顔してた。英次が今度は可笑しそうに笑って、三十一歳にもなってピアスはつけないし、再就職しないといけない人間にはそんなもの不必要だ。いらなきゃ捨てる、って。その瞬間、捨てられたらやだって、小さなベルベットの箱を握り締めてた。  ――だから、やる。  そんな俺に英次が優しく笑ってた。  もらっちゃった。高いピアス。でかい紫色の石が入ってて、その周りを少し黒っぽいシルバー、じゃねぇのかな、まさかのプラチナ? それが縁取っている。  ――光の加減で奥が青色になるんだ。綺麗だろ?  英次が段ボールを掻き分けてこっちに来てくれると、ピアスをひとつ手に取って、天井の照明にかざす。  思わず「あっ……」って小さく声を上げた。光にかざして、石に影ができたら、確かに青色が奥に見えた。澄んだ、深海みたいな青色だった。すげぇ、綺麗だった。並んで、ピアスの石一粒をふたりで覗き込んで、そんで、すげぇ近くに感じる英次にドキドキして、全身心臓になったみたいで、おかしくなりそうだったのに。それなのに。  ――つけてやろうか?  なんて! 言われたんだ。マジであの瞬間、ぶっ倒れるかと思った。あまりに衝撃的な台詞すぎて「いらねぇし」なんて心とは裏腹な、天邪鬼なことを言っちゃうくらいに、慌てふためいてた。嬉しいのと、驚きと、期待と、戸惑いと。色んなものがごちゃ混ぜになって頭の中で暴れるから、どんな風に答えていいのかわかんなくなった。でも英次はそんなの気にもせずにピアスを俺の耳につけてくれたんだ。  ――お前みたいに綺麗な顔のほうが、こういうの、似合うな。  嬉しすぎて、その場で蒸発しそうだった。  あの指先が、俺の耳朶摘んだり、髪をかきあげてくれたり、それと、頬にちょこんって触れた。指がさ! 指が! 俺に、いつもよりも繊細な感じに触れたんだ。 「お前、何一人で百面相してんだ?」 「んひゃああああ!」 「よ」  押田だった。笑って、俺の隣にドカッと座った。 「はぁ、講義、かったりいなぁ。今日ってアートプロデュースだろ? 俺、苦手なんだよなぁ……って、ピアス」  押田がいつもくれるのはシルバーアクセだから、英次のくれたカラーの石がくっついたピアスはパッと見でわかってしまう。 「あ、ごめん。わり……なんかちょっとかぶれてさ。これ、叔父からもらったんだ」 「……叔父って、あの、なんかの社長の?」  英次がどんな会社を経営しているのか押田にも、他の誰にも教えたことがない。だって、モデルプロダクションなんて、絶対に見学したくなるだろ? 英次にとっては邪魔になるだろうから言ってないんだ。英次の邪魔にだけは絶対なりたくない。 「あぁ、かぶれないやつ、もらった」 「ふーん」 「わりぃ」 「別に? かぶれたんなら仕方ねぇよ」  本当はかぶれたわけじゃない。痒くも痛くもなかったし、それに、ずっと押田からもらってたピアスしてて耳朶んとこが荒れたことは一度だってないんだから。  俺のいる科は芸術作品や舞台でのパフォーマンスを効果的に見せたり、マネージメントしていく方法を学ぶ場所だ。英次の「芸能プロダクション」にとても役に立つと思ったから、この大学のこの科を選んだ。  押田は、自分の作ったアクセサリー作品を世に広げるための戦略を学べる大学としてここを選んだ。 「にしても、すげぇ高そうなやつだな。これ……」  綺麗な紫色の奥には青色が潜んでいる。それをたしかめたかったのか、押田が手を伸ばして来たのを咄嗟に避けてた。別にささいなことだけど、でも、英次の触れた場所には誰も触って欲しくなかったから。まだ、その指先の感触が、今尚、触れられてるみたいに感じられるうちは、誰の感触も上乗せしたくない。ただの片想いで、英次にとってはなんてことのない触れ合いだとしても、とても大事にしたかったんだ。  耳に残る英次の熱をまだ、もう少し堪能したかった。 「さて……いやいやでも、勉強すっか」  押田が溜め息と一緒にそんなことを吐き出したと同時に、教授がよく通る声とあの教師独特な話し方で、これから勉強することをざっと説明してくれる。  その声に出来る限り耳を傾ける。ただそれだけのことで、昨日触れてくれた耳朶がまたじんわりと熱くなった。  高くも安くてもなんでもいい。かぶれたって、英次のピアスなら喜んでつけ続ける。そんなの決まってる。 「それではぁ、今日は舞台演出の工夫についてお話ししましょう」  あ、って身を乗り出しちゃった。だって、こういうの、絶対に英次の役に立つ。あいつの役に立てるのならなんだっていい。なんでも知りたい。  教授の声に耳を傾けながら、自分の指先でちょんって、耳朶を触ってみた。いつもつけてるアクセサリーよりも重い気がする。まだ、熱い。そんな気がする。 「まず、観客の視点を……」  百面相にだってなる。クールキャラでなんていられっかよ。だって、英次といたら嬉しくて切なくて、幸せで、胸んとこがてんやわんやになるんだ。自分の内側が勝手に熱くなって、困るほど、英次のことが好きなんだ。  その英次のためになる講義だっつうのに、 耳に英次がしてたピアスがあるんだって思うとたまらなく熱くて、教授の話を聞きながらずっと耳朶を指先でいじっていた。

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