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第9話 ピーマン
好きな人のと共同生活なんてさ、楽しいことだらけ、ドキドキしっぱなし、毎日ハッピー……とは、やっぱいかない。良いことの方が断然多い。嬉しいことも山盛りにある。朝の寝顔観察。英次の無精髭とか日常が見れるのはすげぇ最高だけど。最高なんだけどさ。
「……げ」
やっぱ、良いこともあれば、イヤなことっつうか、ハッピーばっかじゃないっつうか。その最たるが、これ、かな。
「好き嫌いを言うな」
英次の就職活動も本格化してきてた。明日も都内で面接だ。今日は前の仕事で仲良かった人と会ってきたって。
「えぇ……」
芸能プロダクションの社長してた頃に比べたら、今の生活は地味なのかも。でも、俺は内心嬉しかったりもする。英次と、一緒にいられるのは嬉しい。だから、仕事探しものんびりでいいよって、つい言ってしまう。その度に、そんなわけにはいかないだろって返されるけどさ。
「大きくなれねぇぞ。だから、そんなほっせぇんだ、お前は」
俺の訴えなんて完全スルーでザクザク切られていくピーマン。
「別にそれ食わなくても生きてけるじゃんか。俺、一年で一回風邪引くか引かないかだぜ? インフルにだってかかったこと、一度だってねぇのに」
栄養たっぷり、身体に良いって言われ続けているピーマンが世界一苦手だった。
そう、これが最たる、アンハッピーかな。好き嫌いができないこと。ひとり暮らしだったら絶対に食べないピーマンでも問答無用でおかずとして出される。
「好き嫌いすんじゃねぇよ」
「ぴーはんなけは、ひやなんなよ」
「鼻摘みながら話すな。何言ってんのかわかんねぇ」
「だって、ピーマンだけはイヤなんだよ」
どうやっても自己主張強いんだもん。この匂いすごいだろ。炒めても炒めても、クッタクタになるまで火を通しても、それでもまだピーマンくさいし。それと同じだけの栄養素を他のもので補えばいいだろ。身体が細いのは、色が白いのと同じ、体質だ。それにこれ以上の成長は望んでない。
できるだけ、中性っぽい感じでいたいんだ。英次は、ノンケだから。
「あーっ! 英次! 種!」
なんで、丸ごとの状態からザクザク輪切りにしてんだろうって思ってた。普通、縦でも横でもいいから半分に切って、そこで種取るんじゃねぇの?
「バカ。ピーマンの種とワタは栄養あるんだよ。食え。ここはそんなに苦味ねぇから」
大体、そういうんだよ。食える人って、絶対に「これなら食べられる」とか「これは新鮮だから臭みがないとか」笑顔で言う。でも、その大半が、嘘だと俺は思ってる。
「イヤでも食う! そのうち美味く感じるかもしれないだろ? 栄養あるんだから食っとけ。美味く感じられないとしても、きっと不味くはなら……なんだよ、その嘘つけ、みたいな顔は」
だって、嘘じゃんか。すでに、今この時点で、ピーマンの匂いしかしねぇもん。そんな文句を無言で訴えを絞り出すように表情で訴えたら、英次がクスッと笑った。眉を八の字にして、溜め息ついて「仕方ねぇなぁ」って言って、掌で俺の頭をくしゃっと撫でる。俺よりも頭一つ以上でかい英次はもちろん、掌だってでかくて、親父も身長があるほうだったけど、俺は母さん似だからけっこうちんまりとしか育たなかった。だから頭も顔も小さくて、線も細い。オーバーサイズの服を着てると、よく後ろ姿だけじゃ男女どっちかわかんねぇって言われる。最近じゃ、髪をカリアゲてるからそこまで間違われなくなったけど。
「兄貴もピーマン苦手だったっけ」
「だろっ! でも、あんなにでかかったじゃんか!」
「……あぁ、そうだな」
体質だ。身長が英次ほど伸びないのは体質。
「じゃあ仕方がない」
「?」
「今日はデザートに凪の好きなチョコケーキがあるが、仕方がない」
「え?」
「好きだろ? この前食った、ラズベリーソースも入った、チョコケーキ。ほら、金粉が散りばめられてるやつ」
ニヤリと笑うその顔は、どこから見ても悪役だった。でも、そんな不敵に笑う英次がカッコよくてさ。
「食うか? ピーマン」
チョコケーキよりもその笑顔につられて、思いっきり頷いていた。
とはいえ、嫌いなものは嫌いなわけで。
「鼻摘んで食う方がまずいし、面倒だろ。普通に食え。フツーに」
「だって、匂いが!」
「ほら」
ほら、とか、されたら食っちゃうじゃんかっ。
「うー……」
英次はズルい。ずっと俺ひとりだった食卓はこじんまりとしたテーブルひとつで事足りてしまう。そのテーブルを挟んだ真向かいにいてさ、けっこう近い距離なだけでもドキドキするのに。「ほら」なんて言って、ピーマンを食わせようとしてくれたら、どんなに苦手なものでも食っちゃうじゃん。
「? ……あれ?」
「食えるだろ?」
ちょっと衝撃的だ。
「え? なんで?」
「ほら、美味いだろ?」
「……」
なんかちょっと悔しいけど、食えた。いつもはどんなふうに料理したってダメだったのに。天ぷらにしてもなんかどこかあの緑の匂いがしていた気がする。
しかも、英次が作ってくれた野菜炒めはなんとも説明できない味がする。美味しいんだけれど、俺にはこれが何味なのかわからなくて、どんな調味料が入ってるのかもわからないけれど、でも――。
「うん。なんか、食えた」
十九年間一回だって美味いと思ったことがなかったのに。まさかイヤイヤどころか普通に食えるなんてさ。
「美味しい……かも」
呟いて、輪切りになった種付きピーマンを今度は自ら食べられるとは思ってもいなくて、そんな俺を見て、英次がとても満足そうに笑っていた。その笑顔だけで、ピーマン一個分は余裕で食える気がした。
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