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第10話 憧れの人

 もうそろそろ終わる時間かな。英次の面接は午後二時からって言ってたけど、今、三時。終わった頃かもな。そう思いつつ、あたりをぐるっと見渡した。  すげぇ高いピアスもらったし、ほら、お返しとかさ。英次はいらないって絶対に言うだろうけど、再就職とかするのに、ネクタイもさ、雰囲気変えないといけないかもしんねぇじゃん。今までとは違う、ちょっと地味で真面目そうなネクタイとかさ。鞄の隅っこにだって納まるような小さなものなんだから、何本持ってたってかまわないだろ。  大学終わってすぐ、また女の子と飲み会があるって言ってた押田の誘いを断って、電車に乗った。下るんじゃなくて上り。今日は、英次が都心で面接があるって言ってた。その駅のところにある駅ビルで買おうかなって。  そしたら、帰り一緒に帰れるかなって。  今朝はラフな格好の英次が見送ってくれた。面接は午後からだから、午前中はのんびりしてたと思う。朝はラフ、んで、夕方はスーツ姿の英次とか。ちょっとさ、その差分が楽しそうじゃん。ドキドキする。っていうか、スーツ姿の英次を想像すると顔がにやける。本当に、びっくりするくらいカッコいいから。 「ネクタイお探しですか?」  黒系から白系へと色が流れるように並んでいるネクタイをじっと見つめて、紺色の辺りで止まり、じっとにらめっこをしているところへ店員が声をかけてくれた。女の人。たぶん英次よりも若い、かな……あんまりわからないけど。でも、年代が一緒だとありがたい。そのほうが英次に合いそうなネクタイを一緒に探してくれる気がする。俺は金髪だから、髪の色からして、サラリーマンじゃないだろうし、リクルート用を探してるとも思えないだろう。俺も、スーツのことなんてこれっぽっちもわかんねぇから。 「あ、えっと」  ネクタイなんて、正直良し悪しがわかってないから、助かる。英次は仕事柄、ファンッション関係の知り合いも多くて、詳しいから。変なのじゃ、気に入らないかもしれない。  それに、何より俺が、英次にはカッコいいのを付けて欲しい。大好きで、恋をしてる。それと同時に英次は俺の憧れの人だから。 「三十代の人に贈るんですけど」  物心付く前から、英次は俺にとって最高の男だから。 「プレゼントですか?」 「あ、はい」 「そうですねぇ……お仕事で使われますか?」 「あ、あのっ! ちょっと、手伝ってもらえますか?」  改まって頼んだら、店員の女の人が目を丸くして、びっくりしてた。  思わず、にやりと笑った。良いのが買えたかもしんない。  店員さんに言ったんだ。これ、この今俺がしてるピアスをもらって、そんで、そのお返しでもあるんだけどって、容姿と年齢も説明して話したら、ピアスと同じ青色をベースに紫がグラデーションで入ってて、しかも、薄っすらだけど、模様も紫で描かれた綺麗なネクタイを選んでくれた。他にも色々見せてくれたけど、やっぱりその青色のネクタイが一番カッコよくて、そんで、ピアスとお揃いみたいに色が似てたから、他も見て、回り回って、結局はそれにした。 「あ、そだ。連絡してねぇ……」  今の時間が、五時。もう確実に終わってる。っていうか、どこにも寄り道してなかったら、すでに電車で帰ってるかも?  慌てて電話をした。いつもならメッセージを送るだけだけど、それより電話したほうが早い。 『あぁ。どうした?』  たった、それだけで、胸ンとこがキュってなる。 「あ、あの、俺、凪」 『わかってる。なんかあったか?』  電話の向こうから、クスッと笑ったのが聞こえただけで、耳がくすぐったくて暴れだしたくなる。 「あのさ! 英次はもう面接終わった? 俺、今日ちょっと用が会って、英次が面接受けたとこの駅に今いるんだけどさ」 『そうなのか?』 「一緒に、えっと、帰んねぇ?」  いつも英次は忙しくて、仕事で飛び回ってばっかりだったから、俺からこういうことは言えなかった。言っても断られるって、ガキの頃に覚えた。英次が時間作ってくれない限り、会うのも難しかったっけ。  だから、こういうのはかなり緊張する。 『凪のほうは用事、済んだのか?』 「済んだ」 『ひとりなのか?』 「無理なら、別に、いいんだけどさ」  ほら、だから、一緒に帰りたいくせに、そうでもないみたいな、ついでに声かけたみたいな感じにしたりして。 『そうじゃねぇよ。駅のとこで待ってろ。南口の切符売り場の前にオブジェがあるだろ。あそこんとこ』 「うん、わかった」 『ちゃんと待ってろよ』 「うん」  なにそれ。ちゃんと待ってろって、俺は子どもかよ。  電話を押し当ててた耳が熱い。だって、英次がクスクス笑うから。それに人ごみなのかわかんねぇけど、声が低くてボソボソした感じだから余計に、耳に直で流し込まれてるみたいな気分になってくる。 「……くすぐった」  何かに対して言い訳っていうか、話してごまかすっていうか。とにかく、ぽつりと呟いて、今言われたばかりの南口へと急いだ。  人がすごい。平日でもこの時間だとサラリーマンに学生、OL、主婦、色んな人がごった返しで歩いていて、真っ直ぐ歩くなんて到底できそうにない。 「……」  でも、きっと英次のことは見つけられる。首を伸ばして、背伸びをしながら、長身の英次が人の群れの中からぽこりとほぼ頭ひとつ分上回っているだろうって、視線を巡らせた。 「何? 待ち合わせ?」 「!」  英次はそんな言い方しないのに、パッと表情を明るくさせて振り返って、知らない男にげんなりした。 「うわっ! ひど! そんなに落ち込む?」  長い髪はリーマンには決して見えない。そして黒髪なのに、なんでか軽薄そうに見える。これで茶髪だったら、軽薄通り越してなんだろう、想像できないほどの軽さになりそうだ。歳は英次と同じくらいっぽいのに。綺麗にスラリと伸びた手足が、英次とはまた違う感じにスーツを着こなしてる。カッコいいけど。 「可愛いね。いくつ? カリアゲとか、最高なんだけど」  あんま、好きじゃない。 「色白! 顔ちっさっ」  この軽薄そうな感じが。 「金髪もちょおおおキレー! どこで染めてんの?」 「触るな……どっかいけ。人と待ち合わせてんだよ」  カリアゲてる髪型見ても普通に女だと思って話してる大バカでも、この声聞けば、ビビって逃げるだろうって思った。今日はオーバーサイズの服着てるから、女のように思えたのかもしんねぇけど。 「怒った顔もかわいいいいい!」  ところがビビることもなく、普通に食いついてくる。 「おい! なんだ、てめぇ! 俺はっ」 「可愛い子は性別問わず大歓迎だよぉ」 「人待ってるっつっただろうが!」  触れようと伸ばされた手から慌てて逃れた。触られたくない。絶対にごめんだろ。 「いいじゃん、連絡先くらい教えてよ。ね?」  誰が教えるか。バーカ。一回適当な番号教えてスルーしようにも、こういうの慣れてそうだから、番号確認させろとか言いそうだし。かといって、俺が男ってわかっても、全然怯まねぇし。 「俺、どっちもいける口だからさぁ。君めっちゃ可愛いし! もう、一目惚れ!」  どっちもいける、つまりはバイってことなのか? なんか、それを気軽にじゃなくて、軽薄にお洒落のひとつみたいな口調で言われたことに無性に腹が立った。 「は? なんだそれ! うぜぇな! てめぇ、バカじゃ」 「ありゃ? 君、男、ダメ?」 「!」  覗き込まれて、身体が異常に熱くなった。見透かされそうで、内側にずっと隠し持ってる想いを知られそうで、慌てて隠すように声を荒げようとしたその一瞬で、視界が真っ暗になった。翳った視界。何かで目隠しされた。  びっくりしたところで、そのまま引っ張られて、よろけて、でも、転ばなかった。 「悪いな。これはうちのだ」  そして、真っ暗な中で聞こえてきた声に全身が蕩けた。

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