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第11話 軽薄な誘拐犯
「悪いな。これはうちのだ」
英次の声だ。
「知ってる」
え? この声、さっきの軽薄そうな男の声? 何、知り合い?
「英次?」
「……」
「ちょ、見えないっ!」
なんだよ。知り合いなのかよ。びっくりした。芸能関係の知り合いってこと? だよな。どう見てもリーマンっぽくないし、かといって、学生にしては歳が。
英次の腕の中に引き寄せられて、視界を掌で覆われた俺は何も見えない。かといって、ふたりは今、無言で、聴覚でしか現状を把握できない状況で、聞こえてくるのは周りの雑多な音ばかり。
「なぁっ! 英次!」
何? なんで、無言? 焦ったくて、視界を塞ぐ掌を強引に引き剥がそうとしたら、パッと解放された。
「あの、甥っ子が十九になってどんなふうに成長したのかと思って、見に来たんだ。そしたら、えらい美人になってたから、ナンパしてみた」
「瀬古(せこ)」
瀬古? どっかで、聞いたことがあるような……。
「いいじゃん。減るもんでもないだろ?」
「減る」
「ああああああああ!」
知ってる。俺、この人、知ってる。
「親父の! 同級生だ!」
「わぁ、すごいなぁ、覚えててくれたんだ」
瀬古、さん……は俺の大きな声に目を見開いて、そして、正体に気がついてもらえて、ふわりと笑った。
「俺、ずっと海外だったんだけど、なんか、英次が大変なことになってるって聞いてね」
「……え?」
「で、時間作って慌てて帰国したんだ。昨日」
昨日? 昨日は、英次、知り合いに会いに行ってくるって、言ってたけど。前の仕事関係の人かと勝手に思ってた。芸能の人。社長をしてたから、英次の交友関係はめちゃくちゃ広い。何か、そこ繋がりなんだと思ってたけど。瀬古さんに会ってたのか。
若く見えた。英次と同じ歳くらいかと思った。瀬古さん、親父の同級生で、有名人。読者モデルとかやってて、地元で大人気だったんだって。読者モデルから、雑誌専属モデルになって、テレビにも出たりして、ちょっとした有名人だった。あまり記憶には残ってないけど、親父も英次も長身でさ、この人も背が高いから、三人並ぶとすごい迫力だったのは覚えてる。思い浮かべるのはその時の英次の様子ばっかりだけど。
この人のおかげで、っていうか、この人がいたから、英次は芸能界の裏方として歩んでいったんだ。
「あ、えっと、さっきはすみません。俺、あの……」
「あははは。ナンパされてあれだけ威勢良く怒れたら、誘拐される心配はなさそうだ」
親父と同じ歳だから、今、え? 三十、八? このふわふわ軽い感じでか?
「英一(えいいち)のことは、残念だった」
「あ、はい……」
軽かった瀬古さんの声が、スッと重さを持った。葬儀にも来てくれたんだって。その時の俺は悲しみに沈んでて、瀬古さんがあの場にいたことを覚えてない。覚えているのは英次が隣にて、この手でずっと俺を支えていてくれたことだけだった。
「葬儀の時、君は声もかけられないくらいに小さく感じたけれど」
悲しくて、どうしたらいいのかわからなくて、呆然としていた。だって、「行ってきます」って行って、帰ってきたら「ただいま」を言うはずの家族がいなくなっていたんだから。燃えて、消えてしまった。
「今も、とっても小さいね」
「……へ?」
「あいつと英次の血はあまり受け継げなかったのかぁ。可哀想に。でも、うん。とても小さくて可愛いと思う。金髪もとっても綺麗だし。カワイイは正義だから」
あはははははは、って高らかに笑ってる。つ、掴み所がどこにもねぇな、この人。海外が長いと、こうなれんのか? だから、黒髪なのに、真面目さっつうか、実直さの欠片もねぇのか?
「比奈ちゃんに似たんだね。背も顔も。比奈ちゃん、マドンナだったもんなぁ」
あ、でも、やっぱ、三十八だな。マドンナって、フツー使わないだろ。おっさんだ。そういうとこがおっさんだ。
「それにしても、カワイイ! 睫毛、長いなぁ。うちの生徒よりも綺麗な顔してる」
「!」
びっくりした。いきなり、鼻先が触れそうなほどの距離に来られて、声も出ない。なんか、変な人だ。ゆっくり話すし、動きがスローなのに、なんだろう、どこか軽妙で、そして、気がつくとこの人のペースに持っていかれる感じ。
「あ、うちの生徒ってね。あれ、俺ね、海外でモデル育成の教室開いてるんだ」
「え? 日本人で、ですか?」
「そーだよー。けっこう人気なんだ」
すごくないか? モデルっていっても、日本人で海外でも活躍できるモデルはそういない。背が圧倒的に足りないからなんだろうけど。そのモデルを育成する側としての日本人はモデル以上に評価されにくそうなのに。この人の持つ、この不思議なペースがいいのか? 自然と巻き込まれてる、みたいな。
「っ!」
ぎゅっとかたまった。
「背がないから、モデルにはなれないかもね。あー、でも日本人でなら活躍できるよ。凪は。海外でなら、そうだなぁ、うーん……」
頬、うなじ、って、触られて肩を縮こめると、今度はその肩をぎゅっと掴まれて、瀬古さんが唸ってる。ナンパみたいな感じじゃなくて、セクシャルな感じもないけど、でも、急に触られたら、誰だって驚く。そして、その手が――。
「おい、瀬古」
腰に伸びたところで、英次が俺を引っ張った。
「大事にしてるんだなぁ。いいだろ。減るもんじゃないし」
「減る」
「そう?」
振り返ったら、英次がムスッとしてた。その表情に胸のところがくすぐったい。なんか、本当にすごく大事にされてる気がして。
「それでね? けっこう人気なんだ。うちの教室」
「あ、はい」
話を戻されて、瀬古さんのほうへ向き直ると、またふわりと笑ってた。いつの間にかこの人のペースになってしまうような、ゆっくりだけれど、不思議な雰囲気を持った笑顔。
「少し、手が回らないというかさ」
「……」
「だから、英次に手伝ってもらおうかと思ったんだ。芸能プロダクション社長をしていた英次にはぴったり……とまではいかなくても、向いてる仕事だと、思わないか?」
気がつくとこの人のペースになってしまう。そして、その瞳はきっと仕事柄、人の真相を見抜くのが上手いんだ。だから、俺はさっき声をかけられた時、必死に抗った。同性で、叔父で、たったひとりの家族を好きだって、見透かされそうで慌てた。
そんな瀬古さんが笑顔で、英次を連れ去ろうとしていた。
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