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第17話 普通は
おかしい。
「うー……」
今日は、俺の人生最良の日――のはずじゃなかったっけ?
がっつりそうだろ。ずっと片想いしてた英次とまさかの両想いだったんだぜ? すげぇ幸せじゃん。朝、目覚めた時は絶対に諦めないっていう、なんだろ、踏ん張りどころ、みたいな気持ちで構えてた。で、英次を探してる時は切なくなったり、がむしゃらだったり忙しくて、そんで、英次に抱き締めてもらった時、幸せすぎてこのまま心臓止まるかもって思った。そのくらい、嬉しくて仕方なくて、最高だった、んだけど?
「っはよ。凪。どーした? なんか、目んとこ赤くねぇ? 擦った?」
押田だ。
「なぁ、押田、おかしくねぇ?」
押田が今、目の前にいて、俺の問いに怪訝な顔をしてる。そんで、俺は大学の第三講義室の端の席に座ってる。
「おーい、凪?」
いや、普通におかしいだろ! 劇的な告白して、そんで超劇的な両想いを遂げたんだぜ? 普通、そしたら、そのまんま結ばれるもんじゃねぇの? キスして、抱き合って、そんで、セックス、すんじゃねぇの? 普通は、さ!
「なんで、俺、大学にいるんだと思う?」
「はぁ? 凪、どっかで頭でも打ったんか?」
「いや……」
打ったのか? もしれない。だって、俺、キスしたかったんだけど。
――お前は大学だろうが? 何、寝ぼけたこと、言ってんだ。それでなくても、お前、午前の講義いくつか今日、行ってねぇだろうが。
普通、そこでそんなクソ真面目なこと言うか? 普通、押し倒すんじゃねぇの? 俺の部屋、小さなワンルームだったから、あのすぐそばにベッドあったじゃん。つうか、俺は倒れ込む気満々だったんだけど。キスするつもりでいたんだけど。
こう、だぜ? ほっぺたんとこ、手でぎゅっと挟み込まれて、潤んだ瑞々しい唇どころじゃない。ピヨピヨ言いそうなくちばしみたいな形にされて、んぶ、って言うくらいしかできなくて、色気もへったくれもない。恋とか愛とかの要素ゼロだったんだけど?
――俺も午後からまた手続きやらなんやらあるから。大学終わるの何時だ。
あそこで、キスひとつもしないで、大事で大切で、恋愛感情持ってるはずの甥っ子の口元摘んで、帰りの心配するか? フツー。
――迎えに行く、待ってろ。動くなよ。わかったか?
どう考えたって、あの体勢で、あの顔で、あの台詞じゃ、叔父に脅されてる現場以外の解釈無理だろ。そんくらい色恋から遠かったぞ。
「凪?」
「……うーん」
英次の奴、俺のこと、好き、なんだよな? あれは好き、の態度か?
――絶対にそこで待ってろ! いいな?
あ、でも、あれ、もしかして、俺のことが大事すぎて可愛すぎて、あんな感じだったりとかすんのかも? ほら、英次って器用なんだけど、俺の前では不器用っつうかさ。だから、うん。そうかも。
「なんでもない。よし、講義! 頑張るか!」
「凪?」
俺って、かなりポジティブだからさ。ついさっきまで唸ってた俺がいきなりニッコニコになったのを見て、押田が変な奴って笑った。うん。変かも。変にもなるかも。だって、英次と、叔父の英次と両想いなんだから。
大学が終わったら、本当に迎えに来てくれた。今の英次は車なし、職なし宿無しだから、歩きで、あの英次が歩いて来てくれて、すっごく嬉しくてたまらなかった。
目に充血なし! 潤んだ……のは演出できないから、湯上がりのしっとり肌でカバー。けっこう限界まで湯船浸かってたから、肌の色も、しっかりピンク色。あっついけど、汗もまた臭くないなら、ムード作りにはいいかもしれない。濡れた髪は、ちょっと束感出して、色っぽく見える、か? 金髪も濡れると少し色味がダークになるから落ち着いた雰囲気になって、ちょっといいだろ? そんで、極めつけは、やっぱ、これだろ。
「……よし」
この前の彼シャツは箸にも棒にも引っ掛からなかったから、今回は英次の部屋着で再挑戦だ。英次が着たら少しぴたっとして、身体のラインが出るようなサイズでも、俺が着るとすっぽりダボダボって感じで、見た目的にかなりいいと思う。これなら、英次を誘えるだろ。
さっきは、俺は大学の講義があったし、英次は仕事の諸々があったから、うん、押し倒してる場合じゃなかったかも。俺も親父の残してくれた金で通っている大学はしっかり行きたいと思ってる。そして、英次が瀬古さんの仕事を手伝わないのなら、仕事はやっぱり見つけないといけないだろうし。
「おーい、凪、もう出たか?」
「あ、うん」
うわっ! ついに! そう思った。まさか風呂上りの俺を迎えに来てくれるなんて思ってもいなくて、すごく嬉しいけど、その反面、心臓が一気にバクついたりもして。「入るぞ」その一言だけで身体が身構えた。これから、するんだって、そう思ったら。
「なぁ、そっちに洗っておいた俺の部屋着……」
その部屋着を着ている俺を見て目を見開いた。顔、じっと見たりして、思考停止? 顔でもいいんだけど、できたら、脚とか見て欲しいんだけど。生脚。パンツは……履いて、ない。つまりはノーパン。
「……えっと……英次?」
ここまでしたら、わかるだろ。
「……凪のはなかったのか?」
「へ?」
「いや、いい。まだあるだろうから、それを出す。お前はそれ着てろ」
「え? ちょ! ちょ、ちょっと、英次」
風呂場から出ていこうとするから慌てて手を掴まえて引っ張った。両手で、ぎゅっと、掌を掴んで英次のことを引き止める。
「し、しねぇの?」
「……」
「俺たち、両想い、じゃん。したらさっ」
「バーカ」
緊張した。そりゃするだろ。だって、俺は何もかもが初めてなんだから。キスひとつしたことがない俺は、ぶっちゃけ、こっから先への進み方がわからない。だから、顔面が湯上りとか関係なしに熱くて、頭から火が出そうなくらい。誘惑の仕方もわからず、ただ俯いて、英次の手だけを逃がさないようにってぎゅっと握ってる。そんな俺の頭上にクスッと笑う英次の声と優しく頭を撫でる掌が触れた。
「無理すんな」
「むっ、無理なんて!」
「今、俺が入った時ビビってた。今も、心臓すげぇだろ。顔が困った顔してる」
困った顔なんてしてない。ただ、わからないだけだ。それでも、英次と。
「いきなりすぎんだろ。俺も明日の朝から、今日面接行ったとこの二次が入ってる」
「えっ! マジで?」
うわ! やったじゃん! って、パッと顔を上げたら、すぐそこに英次の顔があった。ちょっと前へ身体を持ってけばキスできるような距離。英次のこんな近くに来れたのは初めてかもしれない。近くて、俺の心臓の音を聞かれてしまいそうで焦る。
英次がそんな俺を見て微笑んで、そして頭を掌でポンポンって撫でた。
「それ、着てていいから、寝とけ」
「え? ちょ、英次」
「……おやすみ」
「!」
キスしたかった。抱き合って押し倒されて、セックスするつもりだった。抱いてもらう気満々だったのに。これじゃねぇのに。頭のてっぺんに触れるだけの唇が欲しかったわけじゃねぇのに。
「っぷ、すげぇおもしれぇ顔。そんじゃ、明日も早いからな」
口を摘まれて、不貞腐れた顔すら見せられなかった。
「おやすみ」
英次の声と共に部屋の電気が消える。そんでそのまま色気なんてこの真っ暗な部屋の中じゃ探し当てることなんて到底できそうになくてさ。英次のバカって心の中で呟きながら布団の中に入った。
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