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第18話 余所見すんな

「はぁ……」  まさか、あのまんま寝かされるとは思ってなかった。っていうか、俺もなに熟睡してんだよってことだけど。だって、気持ち良かったんだ。英次の服、着てたから。  何事もなく一夜が明けてしまったことに不貞腐れて、大学の講義室で突っ伏して、寝てた。 「……」  そろそろ始まる講義に皆がざわつく中、ダルそうに目を瞑り、何気なく、自分の服の肩口に鼻を押し付ける。もちろん、匂いなんてしない。薄っすら、柔軟材が香るくらいのもん。  でも、昨日、着てた英次の服は英次の匂いがして、すごく、気持ち良かった。ずっと英次の服の中にうずくまるように丸くなって寝てた。香水でも柔軟材でもない、英次の、匂い。 「熱あんの? 凪」 「っ!」  びっくりして、バッと顔を上げたら、それにびっくりした押田が小さく声をあげた。そして、たぶん、俺が顔真っ赤だったんだろ。押田にもその熱が伝染したらしく、頬を赤くして、目を丸くして、急になんだよって、ぼそっと呟かれた。 「風邪? 寝てた時、耳、真っ赤だったぞ」  今、押田も耳真っ赤だけどな。違う。風邪じゃないし、ただ居眠りしてただけって答えると、そっぽを向いたまま「ふーん」って言われた。  でも、そのほうが助かる。今もまだ、きっと俺は顔赤いだろうし。  想像、してたんだ。英次に抱き締めてもらうだけじゃなくて、もっともっと近くにいけたらこんな感じなのかなって。一緒にベッドで寝たら、こんなふうに気持ち良いのかなって。  英次とふたりで抱き合って眠るところを想像してたから、なんか、隣に座る押田にそれを見透かされたらって思った。押田は押田で顔そむけてスマホをいじってるから、その間に、俺は頬の熱下がれよって願って、俯いて。  ちょうど、そこで講師が入ってきてくれた。講義室のざわつきが落ち着くのと同じように、頬のところの熱が下がっていく感じ。 「なぁ、押田」 「んー?」  押田も講義が始まる気配にスマホを鞄に突っ込んで、テキストを開いた。 「俺って、色気、ねぇのかな」 「は?」  そんなん、ねぇかも。だって、セックスどころかキスもしたことない。色気なんてどうやって出したらいいかわからない。  でも、それ以前かもしれない。だって、英次はやっぱ、ノンケじゃん? 俺の生脚見て、萎えたのかもしんない。 「……なんでもない」  そう思いながら俯いて、自分の脚を眺める。ただの脚。ただ細いだけの骨っぽい腰周り。手だって、指だって、細いけど、肩も華奢かもしれないけど。ほら、ちょうど俺の前に座ってる女子。こんなんじゃない。こんな小さくて丸くて、柔らかそうな感じじゃない。  押田とか、英次とか、ノンケの男が好きな細さと、俺のは違うんだろうな。 「凪?」 「なんでもねぇよ」  この講義はいくつかの科が合同で受けるやつだった。だから、一番大きなところを使ってる。演出効果についての授業。だから、映像科の奴らも、舞台科の奴らも、俺らも参加している。  講師がマイクを使って話す、人に魅せるための演出を聞きながら、それで色気が出せたらいいのにって、心の中でぼやいてた。  講義の内容、普通に面白かった。  そっか、演出の時の空間右側と左側でそんなに視覚的作用が違うのか、へぇ……したら、じゃあさ。 「……んーと」  指がなんとなくイメージをかたどるように動く。  この芸大に進んだのは英次の右腕になりたいから、ただそれだけが理由だったんだ。仕事では右腕で、血が繋がってる家族で、恋人にはなれなくて、そこ以外は全部俺が独り占めしてやろうみたいな、おかしなポジティブ思考でここの大学を選んだんだけど、今は普通に楽しんで勉強してる。講義はみっちり入ってるし、遊ぶ余裕はあんまりないかもしれない。周りは将来真剣に芸術の世界で飯を食って行きたいって奴らばっかりだから、いくら課題がきつくても講義がみっちりでも、皆楽しそうにしてる。  そして、俺も気がついたら普通に楽しんでた。英次ばっかり見てるから英次に似たのかもしれない。  基本、芸術のことを学びまくる大学だから、アートに関連するものがあっちこっちにゴロゴロと転がっていた。音楽が流れてくる校舎もあれば、ステップを踏んでいる生徒もいて、いたる所で芸術に触れられる。  そんな中で、俺もずっと朝一で受けた演出の講義をまだ引きずっていて、一日中、そのシュミレーションしてた。 「なぁ、押田、ライティグのさぁ」  一日かけて脳内でだけど作り上げた舞台をイメージしながら、こんなんどうだよって、押田に披露しようと思った。 「……さっきの話」 「……へ?」 「さっきの色気の話」  自分の頭の中で舞台演出をひとりで組み立てて、どんなふうに見えるのかなって、シュミレーションして、どうだよって、押田に説明しようかと。だから、頭の中の舞台作りに夢中になっていた俺は押田の声に数秒遅れて反応する。 「……あると、思うぜ」 「……へ?」 「凪、色気あると思う」 「……」  びっくりした。まさか、こんなに遅れて回答がもらえるとは思ってもいなかったから。 「ねぇって。色気なんて、どこにも」  珍しくネガティブだなって、言われて、たしかにって、また少しびっくりした。でも、卑下するとかじゃなく、ないだろ。色気っていうか、ノンケの英次が抱きたくなる要素がない。 「あるよ。お前、色っぽいよ」 「……あ、りがと」 「そんでさ、今日、このあとだけど」 「?」  大丈夫か? お前こそ、風邪引いてんじゃ。 「押田? なんか、お前」 「凪はさ……」  顔真っ赤だぞ? 平気かよ。なんかずっと口数少なかったし。いっつも可愛い感じの女子が目の前に座ると嬉しそうにしてたのに、ずっと、眉間に少し皺寄せてなかったか? 腹でも痛いのか? この時間ならまだ医務室やってるかもしれないぞ? 「押田?」 「な、」 「凪!」  押田の声を押しのけるように、太めで低い声が俺を呼んだ。英次だ。 「……帰るぞ」  英次がスーツ着て、大学のすぐそばに立ってた。押田の数倍深い皺を眉間に刻んで、スーツそのものは就職活動用のいたって真面目なもののはずなのに、英次の仏頂面がそれを掻き消してしまう。どう見ても、あれ、サラリーマンじゃないだろ。あれじゃ、英次はずっと面接受からないかもしれない。 「あ、ちょ! 待てよ! 英次!」  何睨んでんだ。睨みたいのはこっちだっつうの。人が渾身の力込めて誘ったのに完全無視して面接受けて来たんだろ? なのに、その顔面じゃ、絶対に二次受からなかっただろ。それで通ったら、その会社はきっとブラックだぞ。 「ごめ! 押田! 俺、帰るわ! あ! あと! さっき、俺さ、舞台演出で思いついたのがあるんだよ! 今度、話聞いてくれ!」 「え? 凪?」 「そんじゃーな! バイバイ!」  慌てて追いかける。英次は長身で脚も長いから本気で早歩きされたら、かなり急がないとダメだから。 「えいっ、?」  あれ? でも、ちょっと駆けたらすぐに追いついた。 「何、余所見してんだ」 「え?」 「ったく」 「え? なんだよ!」 「知るか、ボケ」  頭を撫でられるって思った。いつもの英次ならきっとそうしてた。 「!」  それなのに、今、英次はじっと俺を睨んでから、今朝英次の匂いを思い出して熱くなった頬を指で撫でた。そんなこと、されたことないから、俺の心臓は飛び上がって、一時停止。 「余所見すんな」  余所見って? 何? そんなん、してねぇよ。なんの話だよって、抗議したかったのに、それも英次の指先にバクつく心臓のせいできなかった。

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