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第25話 愛の痕

 風呂上り、鏡に映る自分を見てびっくりした。キスマークがすごくたくさんついてたから。首のとことか、胸の周り、ち……乳首のとことか、あと、腹、それに太腿。腿なんて内側までついてて、そこに英次の唇が触れたんだって思うとドキドキして仕方がない。  このキスマーク、全部、英次の唇が触れた痕なんだなぁって、嬉しくなりながら指でなぞった。全身、英次に触ってもらったんだなぁって。 「凪、髪乾かすぞ」 「うん」  英次の指がすごく好き。関節んとこが少し太くてゴツゴツしてる。指はすごく長くて、少し大きめで四角い爪の形が俺と同じで、嬉しかったっけ。そして、その指はいつだって俺の頭を優しく撫でてくれた。  今も俺の髪をバスタオルで拭いてくれてるのが、優しくて、気持ちイイ。寝ちゃいそう。それでなくても、本気で腰が立たなくて、ぺたんと座り込んで英次に甘やかされてるから、このまま寝ちゃう。  ここ、すごい好き。英次の腕の中。世界一、俺の好きな場所だ。   「っぷ」 「英次?」  その好きな場所でバスタオルに包まれて髪を拭いてもらいながら、うっつらうっつらしてた俺は英次の吹き出して零れた笑い声に顔を上げた。 「お前、あれはさすがに堪えるの大変だったぞ」 「?」 「俺のTシャツ着てたの」 「!」  英次が苦笑いを零してた。眉毛を八の字にして溜め息つかれて、ふわふわ眠かったのが一気に覚醒する。 「あっ! あれは!」 「襲い掛かりそうになっただろうが。あん時。俺、普通の顔できてたか?」  覗き込まないでよ。そんな優しい顔で言わないでってば。あの時、俺はすげぇ悲しかったんだからな。英次の服着て、抱き締められてるとこ想像して、ドキドキしてたのに、帰って来て俺を見つけた英次は普通に「何してんだ?」って言うだけで。本当に普通の顔してた。いや、逆に、涼しげだったかも。それが余計に寂しくて、悲しくて、やるせなかった。 「それでなくてもお前は毎日可愛い顔してて、もうかなり我慢してたっつうのに、あれは来た。相当来たぞ。破壊力すごかった。お前、扉開けたらラスボスいたって感じだったんだかんな」  知らないよ。こっちのへこみっぷりも知らないで、何、ヘラヘラ笑って嬉しそうにしてんだよ。 「ホント……お前のことが可愛いよ」  バカ。バカ英次。人の気も知らないで、あん時襲えよ。バカ。 「睨むなよ。凪」 「知らなっ」  泣きそうになるじゃんか。あの時、英次に抱いて欲しかったんだ。それを無視されて悲しかったんだぞ。なのに、なんか、今そんなこと言われたら、あの瞬間すら良いこと、嬉しかったことがしまってある頭の中のタンスにしまっちゃうだろ。たくさん悩んでたのに、全部がこの腕に包まれて、こうして抱き締められたら、最高の出来事に思えるじゃんか。バカ。 「髪乾かして、寝るぞ……凪」  ぎゅっと英次のTシャツを握り締めて、頭を抱えてくれる英次の胸んとこにしがみ付いた。あの日、ここで英次のシャツを着て、この匂いに包まれたらって想像して真っ赤になってたんだ。この腕の中に来てみたくて、焦がれてた。文句くらいいってやりたいのに、もう全部が嬉しくて悪態つくの忘れそうになるじゃんか。 「バカ英次」 「あぁ、お前は可愛いよ」 「バカ」 「あぁ」  バカって言われてるのに嬉しそうな声で返事して笑ってる。大好きな英次の背中にぎゅっとしがみついて、髪乾かせないように困らせてやったんだ。そしたら、いつまでも起きて、最良の日を堪能できるからさ。  嘘みたいだけど。嘘じゃないんだ。  俺、昨日、英次に抱いてもらったんだ。朝、起きたらさ、英次が俺のベッドで一緒に寝てた。俺を抱き枕みたいにぎゅっと抱えて、グースカ寝こけてた。  ――もう時間だな。ふぁ……、朝飯、作ってやるから、顔洗ってこいよ。あ、凪。  スッと目を覚まして、少し照れくさそうに笑って、そんで俺を引き寄せてキスをひとつした。触れて離れる小さなキス。朝だから、英次の顎ヒゲが少しだけ伸びていて、キスの時ちょっとくすぐったかった。  パンとソーセージと野菜スープ。美味かった。  ――気をつけてな。今日はまた面接だ。  頑張ってね。って言って靴履いて、立ち上がったところで、もう一回、キスをした。  ――いってらっしゃい。  そう言った英次が嬉しそうで、その場に座り込みたかったよ。 「……」  何、あれ。なんなの、あれ! めちゃくちゃカッコよかったんだけど。腕組んで玄関とこに寄りかかって、少し朝日が眩しいのか目を細めて笑ってた。  あれさ、あれ、どうなの? なんで、今日は起きてきたんだよ。いっつも、俺がごそごそ身支度整えてたって起きなかったのに。なんで今日は起きたんだよ。もしかして、いつもは狸寝入りしてたりとか、する? 俺の寝起きとか、ちょっと襲ってみたかったり、した? っていうかさ、っていうか、英次ってあんなにキス好きなのかよ。朝だけでもたくさんしてもらったけど。抱いてもらってる間なんて数え切れないくらいしてた。あ、でも、俺もねだったから、俺はもっとキスしたかったってことになる? キス魔なのかな、俺。  でも、英次だって、すげぇいっぱいキスしてくれたし。 「……」  英次って、恋人にはあんなに甘いのか。そっか……恋人、今まで付き合った人はあの英次を知ってるんだ。甥っ子の俺には見せない恋人になった時の英次。 「あぁぁっ!」 「うわああああ!」 「……あれ? 押田。いたのか?」  いきなり、声上げて、飛び上がったら。隣でもっとおかしな声を上げて、押田が仰け反った。 「な、なんだよ。ビビるだろ。凪」  忘れてた。すっかり忘れてたけど、英次の奴、この前一緒に並んで歩いてた美人。あれなんだったんだよ。恋人じゃないって断言してたし、俺のことを好きだって言ってくれてたけどさ。あの人とどんな関係なのか、俺は聞いてないじゃんか。  恋人じゃない。じゃあ、元恋人? セフレとか? どっちにしてもすごくいやだけど。英次のことは独り占めしたいから。  あの人、あの美人は、何? って、訊くの、忘れてた。 「あ、ごめん……つうか、どうした? 押田、顔、赤い」 「なっ! なんでも……ねぇよ」 「?」  おかしな奴。真っ赤になったと思ったら、ぷいっとそっぽを向いて、こっちを一切見ようとしない。なんだ? 俺、押田とケンカでもしてたっけ? 「な、なぁ、凪、その」  なんだ? 「押田?」 「なんでもない」 「そう?」  そっか。耳を真っ赤にして、難しい顔をしている押田が少し気になるけれど、でも、俺の頭の中はあの女の人はなんだったって、そっちのほうがやっぱり重要でさ。気になって仕方なかった。帰ったら、英次に聞かなくちゃって。そう思ってそわそわしてた。 「初めまして。新田礼子(にったれいこ)と申します」  うちに帰って、そんで、あの美人が俺を待っていて、英次が俺と、その美人の間に座ってて、溜め息をひとつ、つくまでは。

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