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第30話 ぺちゃんこリボン

「ただい、……凪?」  靴を放るように脱いでそのままベッドの下にしまってる鞄の中から、あの時に使ってたものを引っ張り出した。 「凪? 何、して」 「あった!」  細長い箱には綺麗なラッピング、だったんだけど。 「ごめん。少し潰れた」 「これは……」  ずっと鞄の底にあったから、くるくると花のように飾られたリボンは押し花みたいにぺちゃんこになってた。お店の人がネクタイの色に合わせてくれたんだ。青と紫の細いリボンが絡まり合うように、螺旋を描いていて、すげぇ良い感じだったんだけど。  今はそれもぺっちゃんこ。  あの時の俺の気持ちみたい。英次が海外に行っちゃうかもしれない、英次は恋人の、美人の女の人と一緒に暮らすのかもしれない、甥っ子の俺は、どう頑張ってあがいても、甥っ子のままなのかもしれない。  そう思って、ぺっしゃんこだった。 「プレゼント、だったんだけどさ。ラッピング台無しになっちゃった」  でも、今、これを手にすると、ちょっと愛しいって思うんだ。 「ほら、瀬古さんと会った時、俺、英次が面接受けた場所に行ってたじゃん?」 「用事って……」 「ホントは用事なんて何もなくて、英次と一緒に帰れるかなぁって思っただけ。んで、ネクタイは、これ、ピアスもらったからそのお礼にって」  あの時、一生懸命に胸で抱き締めてた「好き」が今、こんなにでかくなったなぁって、愛しくて懐かしくて、嬉しい。諦めないといけないって思いつつも、諦める気なんてちっともなかった自分を褒めたい。 「開けてみてよ」 「……」 「英次が就活でも使えそうなカッコいいやつ。お店の人と一緒に選んだんだ」  青と紫が重なって深みのある色合いは大人っぽくて英次によく似合うと思う。ネクタイのこととかちんぷんかんだけどさ。 「あ、いいじゃん」  英次の顔はいつでもどこでも即思い浮かべられるから、似合う似合わないはすぐに判断できるんだ。だから、店員さんにめちゃくちゃたくさんの条件つきつけた。  大人っぽくて、カッコよくて、セクシーで、高級感があって、でもシンプルな感じ。そんなネクタイくださいって。 「すっごい、似合ってる。よかった。なぁ、気に入った? あのさっ、俺が英次にもらったピアスと同じ色合いなんだ。いいっしょ?」  英次が真っ直ぐ俺を見つめてた。ベッドのところに棒立ちで、座ってるとそこまでじゃないけどさ、立ち上がると、その身長差はものすごくて。顔、思いっきり上に上げる感じ。だから、いつでも英次は俺にとって眩しい存在だ。 「ネクタイ、どんなのがいいですか? って訊かれてさ。そんで、こういうのがいいですって、イメージを伝えたら、まんま英次のイメージで。ちょっと一目惚れだった。このネクタイ。店員さんは笑って聞いててくれたけど」  言ってる本人は途中で英次のことを夢中で語ってる自分に照れて、顔熱くなったよ。 「すげ、カッコいい」  青紫が深い色。ネクタイを下手だけど結んでから、英次の首元に当てた。うん。良い感じ。 「英次? あ、もしかして、あんまだった? ごめっ。英次ならもっと、良いヤツが」 「凪」 「……」  良いやつ持ってるし、シンプルだけどもっとすごく上質なのを、ハイブランドのとこで買ってた? そう訊こうかと思ったけど、全部、英次の胸に吸い込まれた。 「英次?」  ネクタイを胸のところに置いて、似合うかどうかたしかめてたところを抱きすくめられて、俺は両手をコンパクトに折りたたんだ状態で英次の腕の中にすっぽり収まった。本当にすんなり閉じ込められて胸のところがくすぐったい。英次の中に俺は収まれるサイズでいられるんだなぁって、押田とかにはチビじゃないって言い張るけど、英次に対してだけはチビのままでいたいんだ。 「英次……」  胸に額をすり寄せて目を閉じた。英次に思いっきり甘えてる。 「ありがとな。大事にする…………好きだ」  やばい。泣いちゃいそうだ。  そんな小さな声で腕の中に俺を閉じ込めて囁かないでよ。好きだなんて、切ない声で告げられたら、大事にするって、ネクタイのことなのに、俺のことみたいに思っちゃうじゃんか。 「俺も、英次のこと、すげぇ、好きだよ」  このリボンがぺちゃんこになる前まで、こんなふうに感じるままに告白なんてできなかった。  いつか言いたい。でもそれは今じゃない。今言ったら、きっと英次に断られて、好きでいることも難しくなるから、いつか、いつかって思ってた。  この胸に飛び込んで、こんなふうに甘えたいって。甥っ子としてこれをやっても英次は拒否しなかったと思う。でも、それじゃないのが欲しかったんだ。叔父と甥っ子の抱擁、とかじゃなくてさ、恋人として甘く抱き締められたかった。  こんなふうに頭グリグリ押し付けて、ぎゅっと服を握り締めて、全部預けてしまうように抱きついて。力強い腕が全部を受け止めてくれて。 「凪……」 「んー?」 「ちょうどよかった」 「?」 「来週、これ、使わせてもらう」  腕の中でたしかに飛び上がって、顔を上げる。 「英次? 仕事っ」 「あぁ、見つかった。来週から早速仕事だ」 「うわっ! マジで? やったじゃん! お祝いしなきゃじゃん! まだ時間あるし、どっか食べに行く? それともっ」 「いいよ」  英次の腕が力を込めた。俺はまた胸に全部を預けて、英次の体温に包まれる。 「こうしててもいいか?」 「……いいけど」 「これが、一番欲しかったものだからな」 「!」  ねぇ、俺もだよ。こうして抱き締めてくれる腕が一番欲しかったんだ。 「また祝わなくていい。でも、あとでお祝いはもらいたいかもな」 「もちろんっ、つうかさ、あのっ」  荷解き、まだ、してなかった。好き同士でいられることだけで充分すぎる幸福。もうそれだけでいっぱいになってた。大丈夫、だよな? 荷解きしてない荷物抱えて、いなくなったりしないよな? 「あの、荷解きしちゃおうよ」  まだ中身が入ったままのダンボールがいくつもある。開けてあるのは今すぐ必要なものが入っていた箱だけ。今すぐどこかに引っ越せるようにしてあるみたいに思えて、イヤなんだ。 「だって、もういらないじゃん」 「いや……」  心臓がヒュッと音を立てて、嘘だよね? って、縮こまる。 「ここじゃ狭いから」 「……」 「ふたりでちょうどいい部屋でも探そうと思う」  英次の放つ言葉に、心臓が今度は踊り出す。 「どうだ? 引っ越し」 「……」  ステップ踏むのは下手かもしれないけど、でも、心臓の刻むリズムはとても楽しそうに跳ねていた。 「う、うん! うん! する! 引っ越し!」  居残り練習の必要なんてないほど、心音は上手に踊っていた。

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