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第31話 親友
――どうだ? 良い男だろ?
歯磨き粉飲み込んじゃったっつうの。
良い男に決まってんじゃん! 英次はずっと良い男だし。なのに、なのにさっ! 英次のスーツ姿がやばいのはいつものことだけど、あのネクタイ。俺があげた青と紫色のネクタイをして、少し意地悪なことでも考えてそうな顔して笑ったりしたら、もう、無理。全然無理。失神するかと思った。とりあえず、歯ブラシは落っことした。なのにさ……。
――わっ、わかんねぇよ! そんなん! いっつも英次はスーツじゃんか!
って、俺は小学生かよ。なんでそこでひねくれるんだよ。あそこで……あそこで、なんて言うとカッコいいんだろ。
ネクタイ掴んで引っ張って、キス?
いやいや、ネクタイに皺くっついちゃうじゃん。これから初仕事で、せっかく俺がプレゼントしたネクタイしてくれてるのに、皺で台無しにしたらダメだろ。
じゃあ、ネクタイを整えてあげるとか? いやぁ、俺のほうが確実に不器用だし、何よりネクタイあんな綺麗に結べない俺が英次のネクタイ直すのか? 無理だろ。あとは……あと、英次みたいなカッコいい良い感じの男だったら……。
「おいっ! 凪! そこ階段っ!」
「へっ?」
押田の大きな声にびっくりしたら、かかとが何かにつっかかった。
「うわっ! っ…………?」
かかとが階段の段差に引っ掛かって、そのまま後ろに横転するかと、そう思ったのに。俺は倒れずに済んだ。
「わっ、わりぃ!」
押田が、俺の腕を掴んでくれたから。
「大丈夫か? 凪」
「あ、うん。ごめん。ぼーっとしてた」
今朝の英次を思い出してて、今、ダンスの練習中だってこと忘れてた。
「ごめん、ごめん。押田?」
もう平気だぞ? そう思って、まだ俺の腕を掴んだままの押田を見上げた。癪だけど、英次ほどじゃないにしても、俺よりも数センチ程度、押田のほうが背が高いから。
「押田?」
腕、もう平気だって。そう言おうと口を開きかけた時。
「なぁ、凪、あの叔父さんって人」
「え?」
「あの人ってさ、ただの、叔父?」
心臓がすくみ上がる。ひゅっと、喉奥で空気を余計に吸い込んだ音がした。
「え? な、んで?」
「……」
「押田?」
どこ、見てんだ? 何? 俺の頭のてっぺんをじっと見つめてるから、そのずれた視線に俺の背後にお化けでも見てるのかと勝手に想像しては怖くなって鳥肌がたった。
「……いや……なんでもない」
「押田? あの、腕を」
そしてパッと離れた手。けっこうぎゅっと握り締められていた二の腕に押田の掌の体温が残ってる。
俺はその熱に驚いて自分の手でそこを撫でて、押田は気まずそうに俯いてた。もう来週ダンス発表で、俺らも映像科と音楽環境科と色々打ち合わせないといけない。まだ、俺のダンスは押田ほどカッコよく踊れてはないけど、まぁ最初に比べたらマシにはなっただろ。でもそれと反比例するように押田はどんどん、なんか、つまらなさそうになっていく。やっぱ、あれが原因だよな。あれ。
「明日は練習休みにしようぜ」
「えっ?」
「最近、押田、女の子と遊んでねぇじゃん。明日ちょうど金曜だし。飲み会行けば? どっかしらやってんじゃね? 俺はそういうのわかんねぇけど。押田、金曜はいっつもどっかしらで飲んでただろ?」
押田は友達多いから、参加したいと自分から声上げなくても、必ずどこかからか誘われてた。たぶん、今はダンスの練習があるからって断ってるんだろ。あんなに女の子大好きだった押田にしてみたら、全然遊ばないのはストレスだろうから。
俺もステップ間違える率かなり低くなったし。ほら、さっきのは考え事してたから転んだだけで、もう爆笑されるほどのド下手ってわけでもないだろうから。久しぶりに楽しんで来いよって。
「んで、今日はもう終わりにしようぜ。俺もそろそろ帰らないと」
「誰かと出かけるのか?」
「ふへ? 英次と駅前で待ち合わせてんだ」
「え? それって、叔父さんの?」
「そうそう。帰りに一緒に買い物して帰ろうって。野菜、もうあんまねぇし。あ、あと、歯磨き粉がひとり一個限定で安かったんだ」
そうだ、忘れるところだった。それをふたりでレジ並んだら、二個ゲットじゃんって、スマホのチラシ広告で発見して、英次に帰りの時間訊こうと思ったら。
――どうだ? 良い男だろ?
あれに遭遇したんだ。あのめちゃくちゃ良い男な英次に。今、思い出してもドキドキする。っつうかさ、あれ、着たんだから、そりゃ脱ぐよな? ネクタイ緩めて、少しけだるそうに溜め息なんて吐いて見たりして、そんで、俺を見つめたりして。
「凪っ!」
「へ?」
「……ぁ」
びっくりした。今は、別によろけても、転びそうでもないのに、手首を掴まれたから。押田がその手首を思いつめた表情で見つめてる。
「押田?」
マジで、どうしたんだ? そんなに女の子と飲み会したくて仕方がないのか?
「ぁ…………押田」
ふとよぎった考え。女の子と飲み会ばっか行ってたはずの奴がぱたりとそれをやめた理由。もしかして、ダンスが原因じゃない、とか? それとただタイミングが重なっただけの話でさ。本当は。本当の理由はもしかして。
「お前、もしかして、好きな子が」
「! そ、そんなんじゃねぇよ!」
即座に思いっきり否定されて、今度はこっちがびっくりした。
「そ、んなんじゃ……」
押田の顔が真っ赤だった。うつむいて、ぎゅっと何かを堪えたような苦しそうな顔をして、そして、俺の手首を掴む腕の力がすごかった。
少し痛いくらい。
「押田?」
俺、帰る。お疲れ。そうボソッと呟いて、芝生の上に放った荷物を掻き集めて小走りで帰る押田を見送る。いつもの押田とは正反対な背中だった。丸めてて、小さくて、困ってそうな肩だった。
「……俺のせいかな」
「凪? どうかしたか?」
「んー?」
英次はスーパーブルーミントの歯磨き粉。俺は、クリアグリーンミントにした。大差ないだろうけど、せっかくだから別々の味がいい。
「なんかさ、一緒にダンス練習してる押田が思い悩んでてさ」
人それぞれだと思うけど。俺は友達少ないから、相談事をするとしたら押田くらいのもの。でも、押田が相談したい時はきっとすごいたくさんの友達が率先して話しを聞いてくれる。でも、なんか話してくれてもいいのにな。俺だって押田の役に立ちたいし。
「なんか、思いつめた感じだったから、さ」
「……何を?」
「んー、わかんねぇ。話してくれなかった」
「……」
話して楽になることってけっこうあると思うのに。俺は英次のことが好きだって、誰かに言えたらいいなぁっていつも思ってたから、相談とかできるはずの押田が少しうらやましい。俺にとってはけっこう貴重な、友達、だからさ。
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