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第33話 色気をしまう

 英次がメロメロになるような色気が、自分にあったらいいなぁって思う。 「……」  顔を洗うのに前髪全開に上げて、ポタポタと雫が顎のとこから落ちてる自分の顔を鏡でじっと見つめた。  あるか? いやぁ…………ない。目を細めてみるとか? 英次に「なんだ? 今日はご機嫌斜めか?」って絶対に言われて、頭をわしゃわしゃ撫でくり回されそう。じゃあ、流し目は? あ、まず、流し目のやり方がよくわかんねぇ。こ、こうか? 違うな。ただの眠い人じゃん。じゃあ、こう? これ、流し目じゃなくて、薄目、だよな。 「っぷ、お前、何してんだ?」 「んひゃあああ! ちょ、ビビるじゃん!」  びっくりした。自分の色気最大値を模索してるところを,まさか、その色気に誘惑されて欲しい英次に見られてるとか思いもしなくて、すげ、めちゃくちゃ恥ずかしい。 「何を真剣に……」  真剣にもなるっつうの。英次みたいに、カッコいい男に。 「凪」 「な、ぁっ……ン」  なりたいんだ。英次のこと誘惑できるような、そんな男に。 「これ以上、煽り方覚えてどうすんだ?」 「ひゃっ、?」  洗面台に立っていた俺の真後ろに陣取って、両手を俺の脇に置いた英次にキス、してもらった。うなじんとこ。髪カリアゲてるとこを触られてる。前だったらくすぐったかったのに、鼻先と唇で触られてるから? ゾクゾクする。  どうしよう。もっと触って欲しい。朝なのに、昨日、あんなに英次にたくさん触ってもらったのに。 「額出してる凪もそそるな」 「へ? 俺っ?」  その単語にピクンって反応した。俯いて、腹んとこに溜まり出した熱に翻弄されかかってた俺は、慌てて顔を上げる。と、同時に、パッと英次が離れた。 「え? なぁっ! 俺、そそる?」 「……かもな」 「かもなって。すっごい、そそられた?」 「……かもな」 「ねぇってば!」  わかんねぇけど。英次も、今、ちょっとしたくなったりとか、した? だから、慌てて離れたとか? そうだったらいいな。そうだったら、すっごい最高に嬉しい。英次のことを俺ってちゃんと誘惑できてるじゃんって。 「凪」 「はいっ!」  どういうところに英次がそそられてくれたのかわかんねぇけど。  嬉しくて、整列をする先頭の奴みたいに、ピッと姿勢を正し、英次の横にひとりだけど大急ぎで集合した。そんな俺がおかしいのか英次が苦笑いをこぼす。 「今日、帰り少し遅くなるかもしんねぇ」 「え? なんで?」 「不動産屋、見てくるから。まだ入ったばっかだからいいけど、そのうち仕事を覚えりゃ残業も出てくるだろうから。今のうちに決めておかないとだろ?」 「! おっ! 俺も! 一緒に見たい!」  英次に詰め寄って、ひとりなのに、手まで挙げてすっごいアピールしてみる。今日、ダンスの練習あるけど、それだってそんなに何時間もやらないし、大丈夫。別に決めたいわけじゃない。ただ、ついて、一緒に行きたいだけ。英次が気に入ったところに住めばいいと思う。俺は英次と一緒にいられるならどこでもいいし。別にここでも、ここよりもっと狭いところでもかまわない。だから、英次が気に入ったところでいいよ。俺は、一緒に住む場所を探す英次を見てたいだけだから。  ねぇ、知ってた? 俺、英次と暮してることにいまだに恐る恐るなんだ。ダンボールが気になって仕方ない。いつか、それを抱えて出ていってしまうかもって、心のどこかで思ってる。 「凪……」 「はいっ!」 「お前って、ホント、顔に出るな」 「?」  ふわりと頭のてっぺんに乗っかる大きな掌は前から変わらず英次の掌なのに、なんでだろう。すごく熱くて、気持ちイイ。 「俺もお前のこと、好きだよ」 「!」 「あと、色気ならしまってほしいと思うくらいにあるから、もうそれ以上増やすな」 「!」  頭の上にあった掌が、髪を撫でて、英次と同じ柔らかい毛先をたしかめるように指先で遊んでから、うなじのところに移動した。少し強引に、でも優しく引き寄せられて、キスした。舌とかそういうの絡めない、触れ合うだけのキス。 「いってくる。あんま遅くならないとは思うが、仕事終わったら連絡する」  これは、きっと、行ってきますのキスだ。 「じゃあな」  英次と、行ってきますのキスをしちゃった。 「あ! あと! 凪っ!」 「ひゃい!」 「っぷ、可愛いな、今の声」  ドキドキした。昨日、あんなにたくさんやらしいことをしてもらったのに、ただ触れ合うだけのキスでする挨拶に心臓が飛び跳ねる。 「あと、お前は色気ちゃんとしまっとけ」  しまえって言われてもさ。俺、それをどっかからどういうふうに出せてるのかわかってないんだけど。今も出てる? ねぇ、英次に苦笑いさせるくらいに出てる? 困らせるくらい? 「おい、凪」 「? ンっ……っ」 「……行ってきます」  ねぇ、もう一回挨拶よりも少し深めのキスしたくなるくらいには、出てた? 「あっつぅ……さすがに今日はダンス練習するにはあっちぃ」  そりゃ、そうか。もう七月だもんな。日も落ちて、真昼間に比べたらずいぶん涼しいけど、それでもダンスなんてして体動かしてたら、暑くて、やばい。 「ふぅ……」  やだな。あんま汗かきたくない。この後、英次と不動産屋行くから。やじゃん。汗くさいのとか、好きな人にそんなんかがれたくないし。 「あっちぃ」  Tシャツをぱたぱた仰いで、服の内側に風を送り込んでいた。 「凪」 「んー? なぁ、来週、打ち合わせのこと、映像科とか何か言ってきた? 俺んとこには来てないけど。ステージでリハ的なことさせてもらえるんだっけ? 俺、あんま覚えてない」  英次のことを色々考えたのか、その時の説明が半分くらいは頭から抜け出てる。 「でも、そういうのないと、わかんないよな、って……押田?」 「!」 「なんだよ。びっくりすんじゃん。無言で後ろとか立つなよ。あ、そろそろ、終わりする? 俺、これから用事があるんだ」 「用事?」  最近、なんでか無口になった押田が珍しく即座に反応した。たぶん、好きな人のことで悩んでるんだ。俺は、待ってようと思う。押田が相談してくれるまで。って、言っても、俺はずっと片思いだったから、相談できることなんてないのかもしれない。思ってるだけでいいんだ、っていつだって押田に相談してきたから。 「用事、って?」 「あぁ、今度引っ越そうと思ってさ。不動産屋めぐるんだ」 「引っ越し? なんで?」 「あそこ、単身者用だからさ。見つかったら怒られるじゃん?」  ただの不動産屋めぐりだって俺にとってはすげぇ大事なデートだからさ。 「だから! 今度引っ越すんだよ」  そう言って笑った俺を押田がじっと見つめていた。一度、何かを言いたそうに唇を動かしかけたけど、キュッと結んで噛み締めて、そこでバイバイって別れたんだ。

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