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第34話 寝室はどうしようか。
寝室、ひとつにできないかな。英次はどのくらいの部屋を考えてるんだろ。俺はそんなに広くなくていいけど、でも、英次は、引っ越したいって言いだしたくらいだから少し広いほうがいいのかな。寝室一緒がいいって言ったら、困らせるかな。
英次と待ち合わせた駅前で、できるだけ見つけてもらいやすくなるようにって、大きな柱の手前に立っていた。ポケットの中にしまったスマホを取り出して、時間を見て、そろそろかなって辺りを見渡す。
「あ……」
そして、すぐに目に飛び込んできた英次にじわっと頬が火照った。やっばい。すごいカッコいい。スーツ着た長身、首の上に乗っかった、少し怖そうだけどめちゃくちゃカッコいい顔。
「えいっ、……」
名前を呼ぼうと思って、喉がきゅっと縮こまった。
隣に女の人がいた。こうして見れば、あの時、英次の隣にいた新田さんがそういうのじゃないってすぐにわかる。あの時は、最悪なタイミングで告白したばっかで、気持ちの余裕なんて一ミリもないくらい、ぎゅうぎゅうに焦りが自分の中に詰まってたから、ちゃんと見れてなかったんだ。
あの時の新田さんと英次のツーショットに恋愛感情はひとつも混じってなかったって、今、これを見ればわかる。
「……」
今、英次の隣を歩いてる女の人が、全然違う。
「凪、待たせたか?」
「!」
この人、英次のこと、好きなんだ。
「う、ううん」
「こんにちは」
澄んだ声。女の人の高い、柔らかい声。
「こ、んにち……は」
「本当にイケメンなんですねぇ。甥っ子さん」
甥っ子……それで正解なんだけど、何一つとして間違ってないんだけど、この人にそう呼ばれるのは、なんかやだ。すごく、いや。
「十九歳なんですっけ? 二人暮しだと大変そう。私に」
平気。あんたに手伝ってもらいたいと思うようなことは何ひとつとしてないよ。
なんでだろう。英次はノンケだ。もちろん今まで付き合ってきたのは女の人だけ。俺は英次の彼女を全部じゃないかもしれないけど見たことあるのに、なんで、この人の時にはこんな気持ちになるんだろう。ずっと、今までだってすごく好きだったのに、こんなふうにはならなかった。ヤキモチで腹んとこ、英次と繋がれるところがヤケドでもしたみたいに熱くて、痛い。
何、これ。
「大丈夫ですよ。ふたりで楽しくやってます」
「そうなんですか? それが一番ですよね。でも、何かあったら」
「いえ、大丈夫です。凪とふたりで平気です。それじゃ、これから、ふたりでまだ出かけるので」
女の人が名残惜しそうに引き止める言葉を探してる。英次がそれに気が付かないわけがない。俺でも気が付いたんだから。
「凪、行くぞ」
「英次、あのっ」
手、繋いでるけど。
「英次っ」
あの女の人見てるかもしんねぇのにいいの? ねぇ、これ、叔父と甥っ子で手を繋ぐとかナシじゃないの?
「悪かったな。お前を待たせたくなくて急いでたら、彼女がついてきた」
大方、英次の彼女視察とかするつもりだったんじゃね?
仕事を急いで切り上げて帰ろうとするなんて、よっぽどだろうから、相手は恋人だって思って、顔とか色々を自分と見比べたかったんだろ?
「なぁ、英次」
「ん?」
繋いだままの手をちょっとだけ引っ張った。さっき、あの女の人のところを離れる時はすごく急いでいる風だったけど、今、俺が足を止めたら、英次も止まってくれた。俯いてる俺に時間がないって急かすこともせずに、じっと、次を待ってる。俺が言いたいことを待ってくれてる。
「なんか、あの……」
「……」
「すごい、やな気分になった。ごめん」
「なんで凪が謝るんだ」
「……だって」
だって、心狭いだろ? 会社の人じゃん。一緒に帰って来ただけなのに。今まで、英次の彼女、何人か見てきて、慣れてるはずなのに、どうして急にダメになったんだろう。わかんない。ただ一緒に歩いてただけ。あの人は英次のこと気になってるっぽいけど、今、この繋いだ手を見れば一目瞭然で好きになってもらえてるのは俺だってわかる。英次が俺のことを大事にしてくれてるのは、いろんなところで感じる。
でもやっぱ、いやなんだ。英次が気持ちを俺にたくさんくれてるのをわかってるのに、それでも。
「そりゃそうだろ」
ごめんって謝ろうと思った俺の手をぎゅっと強く握ってくれた。
「自分の男に手を出されたら、ムカつくだろうが」
「……」
「前の俺だったら、お前が友達とダンス練習してるのを頑張れって思えたよ。でも、今は無理だ」
無理って、だって、相手は押田だけど? そんなん、本当にただの友達だし。俺、別にあいつのこと友達以上なんて思ったことなんてねぇし。英次のこと以外をそういうふうに思ったことなんて、一度だって。
「そういうもんだろうが」
「……英次も、そういうの、あんの?」
「ないと思ったのかよ」
だって、英次はカッコよくて、大人で、いつだって俺よりも前を歩いてるから、俺は前につんのめりそうになりながら、必死で追いかけてるばっかりだって思ってた。
「あるよ。しかも、かなり、な」
「……」
「余裕なんてねぇよ。いつお前が同じ歳の奴がいいって言うか」
「ないって!」
即答だ。そんなん絶対にない。それができるんなら、もうとっくにしてた。
「ないよ」
好きな人が同性の叔父、じゃなくて、同じ歳だったら、血なんてこれっぽっちも繋がってなかったら、どれだけ楽か。
「英次がいい。英次しか好きじゃない。ずっと、そうだよっ」
本当だから、信じてよ。ねぇ、ねぇねぇって、心がまた前につんのめりそうになる。でも、前のめりになっても転ばずに受け止めてくれる胸があった。
「あぁ、俺もだ」
「えい……」
ひとりで空回ってるんじゃなくて、転んでも飛び込める場所がある。ここ、英次のところ。あの女の人は入れない、この場所は俺のもの。
「だから、あんま、困らせるなよ」
「?」
「部屋探ししねぇといけないのに、今すぐ部屋に帰りたくなるだろうが」
ずっとさっきから繋いでくれてる手。指が俺の掌をカリカリ引っ掻いて、俺はその爪先にすら刺激されて、胸のところが、さっきイヤイヤとヤキモチを膨らませた胸のところを今度は甘いものでいっぱいに膨らませる。
「英次!」
溜め息を吐いて、英次がもう仕事は終わったんだからと髪を無造作にかき上げた。そして、いきなり大きな声で名前を呼ぶ俺に、限りなく低く小さな声で返事をする。まるで不機嫌な時みたいに。
「不動産屋! 行かないとじゃん! あの、俺さっ」
でも、知ってる。ずっと英次のことだけを想ってた俺はもう知ってる。
「部屋のことなんだけど!」
「おい、凪」
それが照れ隠しだって、わかってるんだ。
「俺も言いたいことがある。寝室はひとつ、だぞ。そこ、譲らないからな」
だから、英次にもわかってるかもしれない。俺が寝室ひとつがいいなって思ってて、同じことを英次に言ってもらえて、さっきまでのモヤモヤがもう消し飛んでどこにもなくなってるって。今、ものすごく嬉しくなってるって、わかってる、かもしれない。
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