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第35話 ある夜。ある朝。
「ベッドも買わないと、だな」
英次が眠そうに大きなアクビをひとつした。そのアクビを見ていた俺にも眠気が移ったみたいで、大きな口を隠しながら、ひとつ。
「ベッド、ひとつがいい」
ベッドの上に乗り込むと英次が手を伸ばして頭を撫でた。風呂上り、俺がちゃんと髪を乾かせていることを指で梳いて確かめて、そのまま引き寄せて抱きかかえてくれる。
「んー……」
「やなのかよっ!」
腕の中からひょこっと顔を出したら、英次の首に俺の髪が触れたのかくすぐったそうに笑ってた。でも、もう目を閉じてるから、眠る寸前って感じ。返事もどこかふわふわしてる。
「お前、案外寝相わりぃからなぁ……」
「え? マジで?」
「嘘だよ」
嘘なのかよ。びっくりすんじゃんか。誰かと一緒に寝たことなんてねぇから、全然、自分の寝相なんてわからない。ベッドから転がり落ちたことはないけどさ、もしかしたらベッドの上ではすごい暴れてるのかもしんない。
「お前、寝顔可愛いからな……寝るっつうのも難しいんだよ……」
なにそれ。寝ぼけてるんだろ。今、半分寝てるから、何言ってるのかわかってないんだろ。寝顔が可愛いのは英次のほうじゃんか。まだ数回しか一緒に寝たことないけど、しかもいっつもエッチした後で、爆睡だけど、でも、朝、心臓がいっつも踊ってるんだからな。今日は……初めてかも。
「あとさ、凪……」
こんなゆっくりした夜は。
「んー? 何?」
「お前、寝てる時、すげぇ、白目なのな」
「えっ?」
ナニソレ! 知らなかったんだけど! 俺、白目なの? たまにいるけどさ、そういう奴。瞼の筋肉どうしたんだよ、みたいなさ。俺もそうだったの? それって、色気とかフェロモンとか皆無どころか、それ以前の問題じゃんか。お笑い部門の寝顔じゃん。
「……嘘だよ」
「嘘かよっ!」
「お前、元気だなぁ……」
きゅっと抱き締められた。そして頭の上を英次の笑い声がかすめる。
「おやすみ、凪」
今日は、しないんだ。
「おやすみなさい」
エッチ。しないっぽい。仕事後に不動産屋巡り、っつってもそんなに巡らずに決めたけどさ。部屋はふたつ。キッチンはちゃんとしたのがくっついてて、トイレと風呂は別々。駅からは歩いて十分。でも、たぶん十五分くらい? そんな感じのマンション。
しないけど、なんだろ。ちょっとホカホカする。したくないわけじゃないけど、今日はこのままぎゅっと抱き締められたまま、寝たいかも。
「……」
これから、一緒に暮らしたら、こんな日もあるんだ。すごく穏かであったかくて、全身から力が抜けていくような夜。
「……おやすみなさい」
英次の胸に小さくそう囁いて目を閉じた。新しい部屋できっと色んな夜とか朝とかを過ごすんだろうなぁって、そう思いながら、少し前の俺じゃ知らない英次の中で眠る心地と、ゆっくりとした寝息の中で、この体温に埋もれるようにしながら目を閉じる。こんな夜がこれからきっと数え切れないくらいたくさん俺たちを待ってるんだろうなぁって思ったら、なんかつい笑っちゃったんだ。
「えええ? 今日、飲み会っ?」
顔を洗ってる最中に言われた言葉にびっくりして、びしょびしょになりながらバッと顔を上げた。一瞬で、水が飛び跳ねた鏡も気にせず振り返ると、英次がもう朝の支度をほぼ済ませてる。
「あぁ」
あ、英次の顎にヒゲ発見。触ったらジョリジョリして気持ち良いんだ。どんだけうちのお母さんの血を多く受け継いだのかわからないけど、俺はあんまり変わらない。もちろん、ヒゲソリも必要なし。
「っていうか! ヒゲじゃなくて! 飲み会って?」
「ヒゲ? なんだそれ」
そこに引っ掛からなくていいから。そこはどうでもいいから、何? 飲み会って、俺、そんなん聞いてねぇ。前髪が長いから、その前髪をヘアバンドで留めて顔を洗ってたら、後ろから言われた。
今日は飲み会で遅くなるから戸締りしっかりな、って。
びっくりして顔を上げたら、英次にごっしごしに顔面拭かれた。
「俺の歓迎会と夏の納涼会を併せてやるらしい。ほら、知らないか? お前の大学がある駅、大学の反対側にあるビルにビアガーデンが毎年」
「え、あそこ? あそこ、すっごい人気なんだよっ」
「あ? どーしてお前がそれ知ってんだ」
ふごっ! て、英次に摘まれた鼻がブサイクな音を立てた。どうしてって、それは行ったことがあるからで、でも、それを行ったら怒られるのは必須だし。だから、アハハハって笑って誤魔化した。
「ったく。そこのビアガーデンで飲み会だ」
英次の会社は俺の通ってる大学の近く。偶然って言ってたけど、たぶん、その辺りを中心に仕事を探してたっぽい。運よく見つかった会社は動画配信会社。前の、社長やってた仕事もあるから、即決で雇ってくれた。
その会社が今夜、英次の歓迎会を開いてくれる。
「そう遅くはならないから」
歓迎してもらえるのはすごく良いことなんだろうけどさ。
「夕飯、平気か?」
でも、それって、あの女の人も行くんだよな? 英次に気がある女の人。
「戸締りちゃんとしろよ」
あの人、絶対に英次の隣に――。
「おい、凪」
「!」
「ヤキモチやくな。可愛いから」
「だっ! 誰がっ!」
妬くよ。モチでもなんでも、めちゃくちゃ妬く。
「先に寝てていいから」
「……起きてる」
だから、俺が起きてる時間に帰って来てよ。
「外食してくるか? それなら、お前こそ、気をつけろよ? 酒は飲むな。まだ未成年なんだから」
「……わかった」
「っぷ」
酒なんて美味いと思ったことないけど、あてつけで酔っ払って俺もそのビアガーデン行こうかな。そんで、酔っ払いのフリでもして、英次のこと連れて帰ろうかな。うざいガキっぽいかもしれないけど、でも、あの人がそこにいるんだったら、うざくてもかまわない。
「白目剥いて寝てるのも可愛いけど、むくれた顔すら可愛くてデレてる恋人が浮気なんてすると思うか?」
「……だって…………っていうか! え? 俺、やっぱ白目っ?」
今サラッと、そんなこと言ったよな? 白目って。マジで?
「行ってきます」
「ちょ! 英次!」
顔を洗ったまんま、ヘアバンドで全開だった俺の額に英次らしからぬキスをひとつして、俺の白目問題を華麗にスルーしてった。楽しそうに笑いながら英次は部屋を後にして、俺はひとり、自分の寝顔の新事実に驚愕していた。
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