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第37話 言っちゃ、ダメ
賑やかだ。普段なら出さないような大きな声で話さないとテーブルを挟んだ向かいの奴と会話はできない。少し喉が痛くなる。どこかしらから漂うタバコの匂い。あまりに嗅ぎなれない匂いで、鼻先を掠める度にびっくりするんだ。
英次もタバコは吸わないっけ。
昔は吸ってたんだってさ。でも、止めたんだって。ぱたりと、ある日突然、吸わなくなったって、そう親父が話してくれたのを覚えてる。俺が、生まれて間もなく。まだハイハイもできないような甥っ子の俺に会いに来た時、換気扇の下で吸ったのが、最後だったって。
タバコ吸ってる英次って、カッコ良さそうだけど、でも、やっぱりこのタバコの匂いは好きじゃない。英次の匂いが消えちゃうから。
「それ、綺麗なピアスだねぇ」
「え?」
青? 紫? 隣に座っていた女の子がどっちの色なのかたしかめようと寄ってきて、俺はそれを避けるように、席を少しズラした。
「どこで買ったの?」
「あー、これ、もらったんだ」
「え? 彼女?」
彼女……って、想像したら笑えた。だって、英次にあまりに合わない単語だけど、関係性でいったらそういうことになるのかなって。恋人も、彼女も、その関係性ってことで言えば変わらない? のなら、英次は俺の「彼女」になる。って、ダメだ。想像しただけで吹き出しそう。
「え、なんで、笑うの?」
「ごめ。違う。彼女じゃなくて、叔父からもらったんだ」
「え? 叔父さん?」
うん。そう俺の叔父で恋人で、今、近くのビアガーデンで飲んでる、モテ男。絡まれてませんように。あの、職場の女の人が英次に変なちょっかいとかかけて、連絡先とか知りたがってませんように。って、思ってる。そして、赤ん坊だった俺のために、タバコを突然、ぽいっとくずかごに捨てたのかなって、ちょっと嬉しくなってる。
「そう、もらいもん」
「そうなんだぁ。めっちゃ高そう」
「んーたぶんね」
「え、何? すっごい笑顔!」
笑顔にもなるよ。だって、英次のこと好きだし。少し酔っ払ってるかもな。なんか、今の俺、ガードが緩い。英次のこと訊かれたらつい答えちゃいそう。
英次は酒強そうだけど、俺はお母さんにそんなとこも似たのかもしれない。あんま得意じゃないんだ。何もおかしいことなんて起きてないのにふわふわして、勝手に笑ってる。隣の女の子に英次のことを「叔父」って話すことがおかしくて、クスクス笑ってる。
笑いながら、英次にもらったピアスをずっと指で触ってる。
英次には大学の飲み会があるって話してあった。即座に返信があって、「羽目外すなよ」だってさ。それはこっちの台詞だっつうの。英次こそ、羽目外して、女の人とかに引っ掛かるなよって、心の中でだけ返事してた。実際には「うん。わかってる。あんま遅くならないから」って返した。
俺のことを好きになってくれたけど、でも、ノンケだからさ。やっぱり胸のところはざわつくよ。それはきっとずっと、英次のことを好きな間はずっと抱えてくものだろうから。
そうだ。あんま遅くならないように帰らないと、だから、えっと、今から帰りますってメールしないと。今の時間は十時だから、英次はまだ帰らないよな。ちょっと、一緒に帰りたいなぁ、なんて思うけど――。
「帰るのか?」
「……押田。うん。帰る。って、さっき幹事に金払ってる時に言ったじゃん」
押田は両隣を女の子に囲まれてた。俺はもう帰ろうかなって、その後ろを通った時に挨拶したよ。すぐに隣にいた子に会話へと連れ戻されてたけど。
「気分転換になったか?」
「……なったよ」
「押田?」
俺はもう帰るけど、でも、まだ残るんだろ? それなのに一緒に外出てきて。外の空気が吸いたくなるほど酔っ払ってるのか? あんま酔ってるようには見えないけど。どっちかっていうとテンション低めだし。
「戻らなくていいのか?」
「帰るってさ……あの、叔父さんのところにか?」
「?」
そりゃ、そうだろ。だって、俺んちだし。
「凪」
「んー? っとっと」
斜め後ろを歩く押田が気になって、前が少し段差になっているのを見落とした俺は、ガクンと足を踏み外した。
「凪」
でも、押田が俺の腕を掴んでくれてたから転ばすに済んだ。びっくりして、押田の顔を見たら、どっかキツそうに表情を歪ませる。
「……押田?」
ふと、そんな顔をさせてるのは俺なのか? って、思った。さっき、飲み会の間、女の子と話している時、テンションこそ高くなかったけど、でもそれなりに会話は弾んでたし、前までの押田に近い感じがした。なのに、今、目の前にいるのは、やっぱり何か様子が変な押田でさ。
「そのピアスって、叔父さんからもらったんだよな」
「ぇ? あ、うん」
さっき、隣にいた女の子とはしゃいで話しすぎた? あれじゃ、いつもピアスをくれた押田はイヤな気分になったかもしれない。いや、きっとなったよな。
「叔父、なんだよな? 恋人、じゃねぇよな?」
「!」
びっくりして、ピクッとなった。それが腕を掴んでくれている押田の手にもしかしたら感知されたかもしれない。
たしかにあの時は叔父だった。俺がずっと片想いをしていたけれど、叔父、っていうだけだった。でも、今は違う。叔父と甥っ子。以外にもうひとつ、俺たちに付けられる名詞が見つかった。
「お前のさっきの顔、どう見たって、叔父相手にする顔じゃなかった」
「……」
「恋人からもらったものを嬉しそうに話す顔をしてたぞ」
「……そ」
そんなことあるわけないだろ。そう言って否定しないといけない。
「叔父さん、仕事見つかったんだろ? そしたらもうお前の部屋に居候しなくてよくなったんじゃんか。そしたらまた元の生活に戻ればいいだろ? なんで、お前も一緒になって新しいとこに住むんだよ」
どうしてそんな嬉しそうに不動産屋巡りを待ち侘びる? 自分がどれだけ笑顔になってるのかわかってる? そう、俺の腕を掴む手が問いかける。
「凪」
次から次に、俺の返事を待つよりも早く、押田が俺の両肩を手で鷲掴みにしながら問いただした。俺は返事をする隙間が見つけられなくて、掴まれた肩が痛くて。ただ、押田を見つめてしまう。
「なぁ、叔父なんだよな?」
押田にだけは好きな人がいるって話してた。誰なのかは言ったことないけどさ。でも、いる、とだけは自分から伝えた。友達だから。
だから、全部を打ち明けてみたいって、ほんの少し思ってしまった。ダメかな。ダメ? 言ったら、大事件になる? 大批判? ただ、好きな人が叔父ってだけなのに?
「そ、う、だよ」
そう答えた。本当のことを言いたいけど、でも、これは友達だからとかじゃなく、言っちゃダメなんだよな? 恋人だけど、それよりも前に叔父と甥っていう関係のほうが前にあるから。
「なぁ……凪」
俺の肩を掴んだまま押田が俯いて、少し声が震えてるように感じられる。
「お前さ、好きな人いるっつったじゃん」
「……」
「その、首んとこにあるキスマークってさ」
喉がごくりと大きく何かを飲み込んだ。
「好きな人がつけたのか? その好きな人ってさ……」
誰? そう訊かれると、身体が自然と身構えた。
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