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第38話 普通の反対
「その好きな人ってさ……叔父さん?」
なんともいえない顔をしてた。眉をぎゅっと寄せて、眉間に力をいっぱいに込めて、喉のところに苦い薬でも残って、舌にこびりついているみたいに、苦しそうに大きくツバをひとつ飲み込む。
「……ぇ」
俺は、その好きな人って誰? って、訊かれると思ってたから、だから、大学の人じゃないって、それだけ答えて、この場を逃げようと思ってた。
「お前さ、叔父さんのこと話してる時、どんな顔してるか、自分で鏡見たことある? すげぇ顔してる。なぁ、叔父さんの話するのに、なんで、そんな恋してますって顔してんの? そのピアスだってさ、お前、さっき……」
どんな顔してた? 俺は少しアルコールに酔ってて、心の中で英次のことを思いながら、好きな人にもらったんだぜって言いふらしたい衝動を抑えながら、隣にいた子にだけ、そのことを教えた。
すごく、とっても嬉しかったから。このピアスも、このピアスを英次がつけてくれたことも。
「凪、お前、叔父さんと何してんだよ」
「……」
「なぁっ! そのっ!」
肩、痛い。押田がぎゅっと鷲掴みにした肩が砕けそう。でも、だから何も言葉が出ないんじゃない。
押田が搾り出すように、小さく、俺にしか聞き取れないほど小さな声で「そのキスマーク」って呟いた声の切なさに言葉を上手く探せないんだ。その声で話す時って、どんな気持ちなのか、俺はたぶんすごく理解できるから。
「今日だけじゃなくて、ここ最近、それ、キスマーク、ついてるけどさ。叔父さんそれ知ってる?」
「……」
「それとも」
押田がゴクリと喉を鳴らす。俺はそんな押田の次の言葉に身構えた。
「知ってるも何もねぇ? つけたのが、その叔父さんだから?」
「……これ、は」
これは? その後、なんて言えばいい?
「お前さ、わかってる? 叔父さん、歳すげぇ上じゃねぇの? 血、繋がってるんじゃねぇの? お前の親父さんの兄弟だろ? そんなん、普通に男女でもアウトなんだぞ。なぁ」
押田の表情がもっと険しくなった。
「なんで、そんな相手を」
それは俺が何度も繰り返し自分に向けて尋ねたよ。でも、答えなんてないんだ。ただ、好きなだけだから。諦められないだけだ。
「他にもいるじゃんか! なのに、なんで敢えて、血の繋がった男なんて! どうやったって、お前、誰にも祝福されねぇだろ。普通に一般から外れてるだろ。もっと、他にいるじゃんか。お前なら可愛い女の子がすげぇいっぱい」
「……ごめ」
「この前、お前に告った子だってさ」
「英次がいいんだ」
ただそれだけなんだ。どんな顔をされても、どんな非難を受けても、俺はやっぱり――。
「英次が」
「そんなん! おかしいだろっ!」
押田の声が俺の言葉をかき消そうとする。どうしたって辛い恋なのに、なんで止めないんだよって、肩を掴む押田の指が食い込んで痛いほど、ここに引き止められる。鷲掴みにして、そんなおかしな「好き」を握りつぶしたいみたいに。
「うん。わかってる」
どう思われても良い。血の繋がった家族をそういう対象としてみることが異常で、おかしくてもいい。いいんだ。俺はたしかに血が繋がってることを嬉しいと思ったから。だって、どんなに英次が俺を好きでなくても、繋がりがブツリと千切れて離れることはない。必ずどこかで、何かで繋がってる。糸くず一本だろうと、英次と俺は繋がって。この身体には同じ血が混ざってる。そう思って嬉しくなっていたから。
「それって」
そんな喜びが顔に出てたのかもしれない。押田は俺を見て、しんどそうに顔を歪めた。
「異常でもなんでもいい」
ダメ? 普通はダメなんだよな。でも、俺にとって、この気持ちはダメじゃない。
「ごめん。でも、俺、どうしても英次」
「やめとけよっ!」
英次がいいんだ。
「なんでだよ。やめたほうがいいだろ」
知ってるよ。でも、好きなんだ。
「俺は?」
「……え?」
何を言ってるんだよ。俺はって、お前は女の子大好きじゃん。ずっと、彼女欲しいってそう言ってたじゃんか。
「ずっと最近考えてた。女の子と付き合いたいって、誰じゃなくて、女の子だったら誰でもいいみたいなさ。でも、それって好きとかと違うだろ? そしたらさ……」
真っ直ぐ見つめられた。
「女の子なんて別にいい。もう飲み会だっていらない。ずっと、迷ってた。でも、もう決心した。今日、飲み会に来てわかった。俺はっ! ……余所見しないし、浮気もしない! 男のことなんて好きになったことないけど、でも、男のことを好きになったことのない俺が本気で凪のことを、想ってる」
「……」
「俺にしとけよ。最初は叔父さんのこと思い出すかもしれないけど、でも、絶対に大事にする。それに、俺男だけど、でもさ」
俺が英次に告白した時みたいに。
「ごめっ、押田っ」
「大事にする。男同士だけど、俺、お前のこと本気で好きなんだ。ずっと悩んでた。俺にしとけよっ! 近親とかよりずっとマシだろっ!」
こんなふうに告白する時、どれだけ胸のとこが締め付けられて苦しいかを俺は知ってる。泣き叫んでも叶わないってわかってて、それでも泣き叫んでしまう気持ちを俺は知っている。
「そんな家族でとか、誰にも言えないだろ! 言ったら、皆に気持ち悪いって」
「ごめん。でも、気持ち悪いって、最低だって、批難されても英次がいいんだ。世界中が、」
「凪っ!」
ごめん。ホントごめん。お前と付き合うほうが楽なのかもしんないけど、でも、押田は大事な友達で、俺は。
「俺は英次が好きなんだ」
「凪っ! やめとけよっ! そんな恋愛なんてっ」
「そう言われて非難されるのは凪じゃない。俺だ」
目の前がダークグレーの上品なスーツで塞がれた。
「年上で、叔父の俺がその非難は全部受ける。凪に向けるな」
「え、英次っ!」
どうしよう。ただの背中なのに、押田だけじゃなくて、俺たちのことを知った誰もがこういうリアクションをするだろうなんてわかってたことなのに、それなのに、こうして庇ってくれる背中に涙が零れ落ちそうになる。
「あんたっ」
「あぁ、凪の叔父だ」
「あんた、わかってんのかよっ、こんなのっ」
「押田っ」
やめてくれ。英次じゃないんだ。俺が英次のことを好きになって、この恋が叶ったんだ。
「わかってる。わかってて、自分の気持ちを優先させた、ダメな大人だ」
「えいじっ」
「こいつが普通に幸せになれる方法を潰したのは俺だ」
「あんた、最低だろっ! 好きなら凪のこと一番に考えろよ! 凪が幸せになるには、あんたが一番そばにいちゃいけないだろっ! 凪の前からっ」
「押田っ! 違うんだっ!」
「消えろよっ! 異常だろっ!」
異常って、普通って、なんだよ。ただ好きなだけじゃんか。ただ、どうしても好きが消えなかっただけじゃん。
「……何よりも特別な凪のことを誰にも譲りたくないと思った、俺のせいだ」
普通じゃないこと。俺はそれを異常じゃなくて、俺は、それを、特別……って、思った。
「凪は俺にとって何よりも特別な存在なんだ」
大きな背中。俺には今、英次がどんな顔をして、そう言っているのかわからない。全部から守られながら、俺の鼻先にはいつも感じる、温かくて、でも少し切なくなる英次の匂いが触れていた。
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