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第43話 ぎゅうぎゅう満員

 ドロドロになってぐちゃぐちゃに絡まり合って、溶けたみたいに混ざって、貪るように、やらしく。思い出すと火照るくらいにエロくて、そんで、すごく満ち足りたセックスだった。すごく幸せだった。 「ん…………英次?」  空気に色がついたみたいだ。全部が青くて、清々しくて、静かな早朝。きっとまだ誰も起きていない時間帯。  狭いベッドで抱き合って眠るから、英次がいないとすぐにわかる。気配が、体温が近くにないから気がついてしまう。今も指先がなんとなく英次を探して、手を伸ばしてもシーツの上には何もなくて、少し寂しい気持ちで目を覚ました。 「英次?」  すぐそこにいた。座って、英次の背中が青い光の中で少しだけ明るい色をしてた。  痛くて、眠れない?  背中にすっごいたくさん痕が残ってる。俺が爪を立てた痕がこの青の中じゃ白っぽく光ってさえ見えた。痛いよね? 俺、気持ちイイばっかで、なんか必死になって英次にしがみついちゃってたから、全然気が付かなかった。 「ご」 「ごめんな。起こしたか?」  謝ろうと思ったら、英次がなんでか謝った。 「あの、背中……痛い? 寝るのに」 「んなわけあるか」 「……」  じゃあ、なんで起きてたんだよ。そう訊きたいけど訊けなかった。 「お前こそ、手首、薄っすら痕になったな。色、白いから」 「へーき。リストバンドと腕時計しちゃえば隠れるよ」  手首には英次のネクタイの痕が残ってた。傷まではいかない。赤くなってただけ。でも、場所が場所だし、片手ならまだしも、両手に揃ってるから、見た人はちょっとびっくりするかもしれない。どう見たって、かぶれたとかじゃない。手首を拘束されてたって感じがする赤い痕だから。 「英次こそ、それヒリヒリすんじゃね?」 「平気だ。……むしろ嬉しいくらいだ」  嬉しいの? そんな、カリカリガリガリ、まるで猫にひっかかれたみたいな傷が? だって、それが痛くて起きてたんじゃ。 「ほら、凪は寝る」 「ん」 「……おやすみ」  なんで起きてたの? 何考えて、どこ見てたの? そう訊きたかったけど、訊けなかった。だって、背中が、俺の爪痕が無数の赤い線になって残る背中が、とても痛そうだったから。その背中がなんか、少し悲しそうに見えたから。 「おやすみ、なさい」  英次が力強くぎゅっと抱き締めて眠るから、だから訊けなかった。青色のせいだ。悲しそうに見えたのは部屋が、空気が青色をしているからだ。そう思いながら、英次の体温に包まれてまた目を閉じた。  すごく気持ちイイ場所で眠りの中に沈む感覚。これがたまらなく心地良くて、俺は、これから毎日こうしていたいって、願った。  本当に、そう願ってた。 「お前、手首ほっせぇなぁ」 「……」  いつもと変わらない、英次だ。少しふてぶてしい英次が二人暮しには手狭な洗面所にぐいぐい詰め寄ってくる。俺のサイズふたりならそこまでぎゅうぎゅうじゃなくても相手が英次だと、満員電車みたいに窮屈になる。 「英次がでかいんだ。ちょっ、英次、押すなよ! 髪が、ちょおおおお! ぐしゃぐしゃにすんなよ」 「大丈夫だって、お前は髪がぼっさぼさでも可愛いよ」 「なっ!」  何、しれっと、普通に嬉しくなるようなこと言い放つわけ? なんだよ、その攻撃。ハンパじゃない破壊力なんだけど。 「……大丈夫か?」  頭に乗っかる英次の掌。いつも温かくて、ガキ扱いはイヤなのに嬉しくて、もっと触って欲しくて、でもこの触り方じゃないのがよくてさ。俺はこの掌の下で頭ん中ぐるぐるさせてた。 「大丈夫だよ。俺らのこと理解してもらえなくても、してもらえても、俺の好きな人は英次だよ。それは変わらない」 「……」 「英次とこうしていられるのが、俺にとっては一番幸せだから」  押田にはわかってもらえないかもしれないけど、今、この時間が俺はずっと、ずっと前から、欲しかったものなんだ。 「んじゃ、行ってきます」  背が高い英次の唇めがけてジャンプしたら、少しだけ唇からはみ出たキスになった。英次は突然衝突してきた俺の顔面に目を丸くして、そんで、笑って、背中を丸めてキスしてくれた。その時の首を傾げる仕草がすごく好きで、いつまでも見ていたくて、俺は薄目を開けて、英次の首筋を堪能していた。 「気をつけてな」 「うん。英次もね」 「あぁ」  そういってお返しのキスを今度は、唇が離れてしまった瞬間に俺がして、そしたら、英次もってなるから、いつまでも満員電車みたいに窮屈な洗面所にふたりで居座っててさ、遅刻しそうで、ちょっとおかしかった。  すごく楽しかった。 「押田、おはよ」  今日は一限からみっちりなスケジュールで、朝一、大学の近くの駅に降りてすぐ、押田を見つけられた。少し手前を歩いてた。 「……」  いつもなら、押田のほうが見つけてくれていたけれど、今日は俯きがちに歩いているからか、俺が見つけるほうが早かった。 「……あぁ」  いや、そうじゃなかったのかもしれない。きっと、押田は俺のことを探して見つけてくれてた。俺が英次のことを雨の日に、傘の群れの中から一瞬で見つけられたみたいに、パッと視界に飛び込んでくる、この金髪を見つけて声を――。 「……凪がそんな顔すんなよ」  だって、ごめんって、思ったから。 「またすげぇ言おうと思ってたのに」 「……」 「あんなおっさん止めとけよ。冗談にならないって。周りに知られたら、お前どーすんの? 普通に白い目向けられるぞ。昨日、俺が言ったようなこと、向けた怪訝な表情、あれを世界中の奴らがお前らにするんだぞ? 耐えられるのか? そんなことを耐えないといけない恋愛なんて、するなよ。それ恋愛じゃねぇよ。止めろよ。別れろよ」 「……」 「そう言おうと思ったのに。つか、今、言ってっけどさ」  大きな溜め息をひとつ、押田が道端に落っことした。 「今でも、やめとけって思ってる」 「……押田」 「友達として、やっぱ、そんなんやめとけって思ってるよ」  そして、寂しそうに笑った。 「でも、友達として、お前のさ、すっげぇ、数少ない友達として、すっげぇ数少ない味方にもなりたいって思ってる」  なんだよ。そんなに俺に友達少ないってゴリ押しで教えなくてもいいじゃんか。わかってるっつうの。友達少ないっていうか、お前くらいしか友達じゃないって。 「早く行こうぜ? 講義」  押田が前を歩いて、俺はまた泣きそうで堪えることに忙しくて、半歩遅れて後をついていく。 「そのピアス」 「……え?」 「凪がすげぇ、綺麗に見える」 「……」  ただ、それだけ――そうボソッと呟いた後、押田はずっと話してた。俺のダンスがクソ下手なこと。昨日、飲んだ酒があんまり上手くなかったこと。ビアガーデンが近くにあるって、そんで、そこに英次が行ったって言ったらブーイング付きの拒否をしてきたこと。それと、俺が女の子に告白されても、一度だって首を縦に振らなかったほど、一途に抱えていた片想いってアホみたいにすげぇって。そんな全部をずっと押田がひとりで話していた。

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