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第45話 第一印象って、そんなもん

 びっくりした。いきなり現れた手は浅黒いせいだからなのか、夏だからなのか、まるで影の固まりみたいで、声も出ないほど驚いた。 「あぁ、悪い。驚かせたか」 「いや……ぁ、うん。びっくりした」 「あっちの話、混ざらないのか?」  そっちこそ見学したいんだったら、会話に混ざらなくていいのかよ? 「押田が話ししてるから、大丈夫。俺、苦手なんだ。緊張する」 「へぇ」 「三嶋は?」  俺を見て、そして視線を落とした。 「苦手かな」 「でも、人前で歌うんだろ?」 「あぁ」  でも緊張するのか? 人見知りなんてしてたら、それこそ舞台で歌なんて歌えない気がするのに。でも、たしかにこいつ声小さかったもんな。あれ? でもそしたら、こいつセレブ科でやってけないじゃん。 「いや、違うな」 「え?」 「あそこで歌うのが、苦手だ」 「……」  伏せた視線を上げて、はっきりとした声でそう告げた。さっきとは全然違う、歯切れのいい声はちょっとカッコいい。 「そうなんだ。セレブ科苦手とか? あ、ごめん。声楽科って、金持ち多いっつうか、ほら、オペラなんてそう聞かねぇじゃん? それにセレブ科はもう最初からエリートが集まってるって」 「あぁそうだな」 「お前、浮いてんの?」 「まぁ、そうかもな」  笑った。くしゃっと、小さく笑った。  芸術部の学科間ってけっこう今回みたいな交流があるけど、音楽部とは建物も離れてるからか、ほとんど接することがなくて、そっちがどんな雰囲気なのかも知らなかった。  セレブ科なんて言われてるけど、そっか、なんかエリートっぽい感じで馴染めないっていう奴もいるんだな。音楽科って繊細で、ある意味神経質っぽいもんな。そう考えると、たしかにこっちはのほほんとして穏かに感じられるかもしれない。  繊細そうな三嶋だから、神経磨り減るのかもな。 「参加するんならもっと良い班入ればよかったのに。ほら、ダンス上手くて、すごい班とかさ。そのほうが楽しいだろ?」  芸大だから、そりゃダンスを個人的に、そして本格的にやってる奴だっているし、個人でめっちゃ良いカメラを持ってきてる奴だっている。そういう班に比べるとうちらのとこはちょっと普通だろ? とくに俺とかダンス、上手いわけじゃないし。っていうか、下手の部類に入るだろうし。 「いや、ここがよかったんだ。どうしても」 「?」  そう言って三嶋がまた笑った。ずっと仏頂面をしていた三嶋の笑顔はすごく、すごく目を惹くと思った。 「へぇ、すげぇ、そんな声低いの出んだ! すごいじゃん! なんか、歌ってよ」 「は? 無理」 「なんでだよ。声楽科なのに恥ずかしいのか? いいじゃん。俺、セレブじゃねぇよ。一般庶民」  苦手かも、なんて思って悪かったなぁって。  綺麗な顔してて、セレブ科なんて言われてる声楽の奴で、ちょっと睨んでるように感じたから、勝手に第一印象を「嫌い」にしてた。見た瞬間、そっちに部類分けしちゃってた。話してみたら、こんなに話しやすい奴だったなんて思ってもみなくて、悪いことをしたなって。  こんな感じに話せるのって、押田以来かもしれない。 「俺なんて歌もダンスもさして、だから、めっちゃ羨ましいけど?」  すごい音域の広さが持ち味なんだそうだ。才能って奴なんだって。音域、特に高い音は訓練で出せるようになるけれど、低いのはそれだけじゃ難しい。音域を広げるとしたら、普通は高音のほうを広げる。でも、三嶋はすごく低い音まで出せるらしい。 「俺は、藤志乃こそすごいなぁって思った」 「ぉ、俺? なんでだよ」 「だって、踊り、すごく見事に、下手じゃないか」 「! って、てめっ!」  アハハハって笑う声がとてもよく響く。声楽科の奴だから声量もでかくできるんだろうな。でもそれだけじゃなくて、声が綺麗で、ただ笑ってるだけなのに、ちょっと小鳥がさえずんだようだった。 「もぉ、踊り見てたのかよっ」 「うん、見てた」 「……恥ずかしい」  踊り下手すぎて毎日練習してれば、そりゃ同じ大学の奴なら見たことあるだろうけど、でも見た相手とこうして対面すると少し恥ずかしい。  友達作るのが下手な俺は、押田なら気をつかわず普通にしていられるからいいけどさ。 「はぁ、あっつ……」  恥ずかしくて、あと人見知りもあって、顔が熱い。ふぅ、って溜め息と一緒に照れを体から外へと逃がしながら、長い前髪をかきあげた。 「藤志乃は一生懸命ですごいなぁって思ったよ」 「でも下手」 「そんなことない。俺は、藤志乃と友達になりたいんだ」  心臓が小さくだけれど飛び上がった。普段は腕時計になんてつけてない。スマホがあるから時計もわかるし。連絡とかは全部スマホでのやり捕りで済ませてる。だから、時計なんて付けるタイミングがない。でも、今日はつけてる。押田になんで? って訊かれるかもとは心配してたけど。 「え?」  びっくりした。いきなり手掴まれて、ビビった。  でも、大丈夫、隠れてる、よな? 英次に昨日の夜しばってもらった痕が腕時計の下に隠れてる。激しく動いたから、手首に残る痕も細い紐みたいな感じじゃなくて、太いベルトみたいになっている。ぎゅっと縛られて、激しく突かれる度に手首んところでネクタイが擦れて赤くなっていた。その赤いのが、ほんの少しだけ腕時計からはみ出てるけど。 「しばらく宜しく頼む」 「あ、うん」  良かった。気がついてないっぽい。 「なんだよ。ふたりしてサボりか?」 「おわっ! 押田!」 「ったく。俺らに打ち合わせさせて、何のんびり夕涼みなんてしてんだよ」  慌てて立ち上がった。三嶋も一緒になってスクッとその場に立つ。きっと俺もそうなんだろうけど、座ってたところに芝がたくさんくっついてる。ただの草なのに。 「ごめんごめん。僕が引きとめちゃったんだ」  その草を手で払うのさえ、三嶋は楽しそうだった。

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