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第46話 セレブも色々おりまして
「へぇ、そんな科があんのか。セレブになるための学科?」
「違うってば! そうじゃなくて! セレブ科って言われてるだけで、本当の名前は声楽科!」
「お前、むきになった時の顔、可愛いなぁ」
人の話を聞いてるんだか、聞いてないんだか。英次ってば、もしかして、日中の暑さでバテてるのか? さっきから、ずっとデレデレ笑ってる。これ、社長をしてた英次しか知らないモデルさんとかが見たら、びっくりするぞ、きっと。いや、どうだろ。英次だってわからないかもしれない。
「もぉ、なに笑ってんだよ」
「お前が可愛いからだろうが」
そう言って、にやにや笑ってた。
「お前ってさ、普段は鈍感だろ? あの押田だっけ、あれの熱視線気がつかねぇし。普通に無防備にうなじさらして歩いてるし。そのくせ、ベッドの中だと、敏感で、エロくてスケ」
「んぎゃあああああああああ!」
バカなのか? 英次って、社長してたけど、バカなんだろ! 何言ってんの? レジで、食料品たんまりカゴに詰め込みながら、何、しれっとエロとか敏感とか、ダメワード言ってんの? アホなの?
飛び上がって一目散にそのアホなことを平気で言ってのける口を掌で蓋した。そしたら、その手にあるリストバンドの内側に人差し指だけ潜り込ませてくるから、また俺は飛び上がって。
「そんで、下ネタにしどろもどろな純情っぷり」
口に蓋をしてた手を掴まれて、レジの人が読み上げる合計金額なんてちっとも聞き取れないほど叫んで、そして、注目の的になってしまう。
何言ってんだよ。っていうか、大学の話してたはずなのに、なんで俺はレジの最中に叫ぶ事態になってんだ。むくれながらビニールの中へ適当に食料品を詰めていこうとすると、たまに英次がからかいたいって顔をしながら手伝ってくれるんだ。そして、真っ赤になって英次に怒りつつも買い物袋に全部しまったと思ったら。
「あれ?」
すげ、英次。あっという間に肉と魚は英次のエコバッグに。そんでパンとか野菜とかが俺のビニール袋に詰め込まれてた。むくれてたのも忘れてる俺を見て、英次が笑ってる。
「アホ、可愛いぞ、お前」
「アホは英次だ! アホアホ、あほ!」
笑うな、俺の髪をぐちゃぐちゃにするなってまた噛み付くように英次に突っかかった時だった。ちょっとリズムを刻んでる、愉快なクラクションで呼び止められた。
「何、スーパーでイチャついてんの? ふたりは」
見ると、そこには高級車。黒の車体は良く磨かれてるみたいで、夜道のわずかな光にだって反射してた。どっかの重役はもしくは、あっちのヤバい人でも乗ってるんじゃって思える車の窓ガラスがスーッと下がって現れたのは、瀬古さんだった。
やぁ、なんて、一般人は言わない挨拶を、ウインクまでしそうなノリでしれっとやってのける、この人もある意味、セレブ、だよな。
「乗ってきなよ」
何その台詞……って、思うんだけど、それが絶妙に似合う、変なセレブだ。
「へぇ、ここが二人の愛の巣か」
「ぶほっ! げほっ」
「おやおや、大丈夫? 鼻に入った? 凪、君は古典的なリアクションするなぁ」
「……」
瀬古さんにそれ言われたくない。って、言いたいけど、鼻にお茶が入ったせいで言えそうにない。何、その「愛の巣」って。俺らは鳥か! って、ツッコミ入れたい。
「狭くない? 英次、図体大きいから、邪魔じゃない?」
「俺を邪魔扱いするな。もうここも越す。新居も決めた」
英次が自分の分のお茶を片手に持って現れた。ジャケットは脱いで、ネクタイは緩めて、そんでシャツの袖をめくってる。
めちゃくちゃカッコいい。これ、萌えツボって人、すっごいたくさんいそう。あの、筋っぽい腕とかさ。あ! あぁぁ! 英次! 気がついてないのかよ! ねぇ! 英次! シャツ! 襟んとこ、ボタン外したからちょっとだけ、爪痕が見えてるってば! 俺のつけた痕がそこにあるのが、瀬古さんにバレちゃうって。
「凪? どうした? 熱あるのか? 顔が真っ赤だぞ」
いやいや! おでこ触って体温チェックしてる場合じゃなくて、爪痕見えてる。めっちゃ恥ずかしい。瀬古さんは俺らのことわかってるんだろうけど、でもさ。でも、やっぱ、それはちょっと生々しいっていうかさ。
「凪? 本当にお前、熱あんじゃないのか?」
違うって! 熱ないってば! 昨日無理させたからとか言わなくていいから! 無理してない! したくてしたんだ! 英次に強くしてもら……じゃなくて、とにかく熱はないから。
「っぷ。テンション高くて元気だね。凪は英次の襟元のラブリーな傷を俺が見つけてしまうのが恥ずかしいんだよ」
「あ?」
「可愛いなぁ。凪は。ね、俺のところに来れば? こんな、元ぷー太郎よりももっとセレブな暮らしさせてあげられるよ? なんでも買ってあげられるし。俺ね、恋人には甘いんだ。だから、贅沢三昧を」
「大丈夫です」
まだ、ちょっと恥ずかしい。英次と恋人関係って、実感あるけど、やっぱどこかなくて、どこかまだ慣れてなくて、照れるし、顔から火噴き出しそうになるけど。
「贅沢いらないし。セレブじゃなくていい。英次が、いいです」
照れるけど、いつか慣れて変わるかもしれないけど。でも、これはずっと変わらない。英次だけが好きなことは変わらない。
「英次のこと、養えるように、俺がなりますか、え? 英次? 熱中症?」
顔、真っ赤だ。慌てて、今度は俺が英次の額に手を伸ばそうとして、寸でで、捕まった。
「バカ、照れるだろうが」
「えい……」
英次が、照れた。
「それに十二も下の甥っ子に養ってもらえるわけねぇだろうが」
照れた顔をまた見れた。
いいのに。俺、英次のためならなんでもする。こんなふうに照れて赤くなる英次を独り占めできるんなら、いくらでも頑張れる。
「こりゃ、本格的にスカウトは無理みたいだね。はぁ、エアコンの温度もう少し下げようよ」
ごめんなさい。英次のこと、譲れないです。
「今度こそって思ったんだけどなぁ」
今度こそ? そしたら、今回よりも前に、瀬古さんは英次のことを勧誘したことがあるってこと?
「夕飯、食ってくだろ?」
「んー、いや、いいよ。遠慮しとく」
「え? あの、夕飯一緒に食わないんですか?」
夕飯、一緒に食べるんだと思ったのに。帰っちゃうの? もう? でも、やっぱ忙しいのかな。世界を舞台に活躍する人だもんな。
英次も、瀬古さんみたいに前は忙しかったっけ。もし今も社長をしてたら、瀬古さんのスカウトに応じてたら、今頃、どうなってたんだろう。
「だって、胃もたれしそうなんだもん」
「もっとゆっくりしてけばいいだろ」
うんうん。って思いっきり頷いた。そんな俺を見て瀬古さんがふわりと笑った。
「ふたりの仲が円満に収まったかどうかが知りたかっただけだからね」
来たばっかなのに、お茶飲んだだけで帰ろうとする瀬古さんに釣られるように立ち上がる。
でも、夕飯、今日は暑いから冷しゃぶサラダですよ? って、言ったら笑われた。可愛いなって笑って、やっぱり帰るらしい。
英次も立ち上がり、ちょっと待ってろって、冷蔵庫のほうへと歩いていく。
「英次、幸せそうでよかったよ。ようやく、晴れた、かな」
「……ぇ?」
狭い部屋だから、普通の会話じゃどこにいたって丸聞こえ。でも、冷蔵庫へと向かった数歩の距離を隔てたら、聞こえないだろう低くて小さな声だった。
まるで、俺にだけその独り言を聞いて欲しかったみたいに、このタイミングで、少し心配そうな横顔で言われたら、聞き返すだろ。それなのに、瀬古さんは笑っただけ。
「さて、それじゃ、帰るね」
今、聞いてしまった独り言を掻き消すような、明るく大きな声。
「これ、持ってけ」
「え?」
「桃、食後に食おうと思ったんだ」
小さなビニールに入れて、どこかにぶつけて傷んでしまわないようにと、ビニールのクッションに包まれた桃。
それを受け取った瀬古さんの横顔はとても嬉しそうだった。
「ありがとう。いただくよ」
いや、嬉しそうっていうよりも、安心したような顔をしていた。
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