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第47話 桃を、あーん

 英次はずっと自分の会社と同じビルに住んでた。仕事もプライベートも境目がなくて、一日中仕事してるようになるし、身体が休まらないだろって、親父に言われてたことがあったのを覚えてる。  金あるんだから、ちゃんとしたマンションくらい買えよって言われてた。会社との行き来が面倒なら、近くでかまわないから。一回外に出て帰宅するような生活をしろって。  ――いいんだよ。俺は、仕事しねぇと。  俺は心配で仕方なかった。親父がそんなことを言いたくなるほど、頑張りすぎてるんだって、心配で、影でふたりの会話に聞き耳立てながら、ひとりそわそわしてた。  英次は大変なんだ。どうしたら手伝えるのかな、ってじっとしてられなくて、俺は今の芸大を選んだんだ。役に立ちたくて。負担を少しでも減らしたくて。  だから、本当は、ほんの少しだけ、ホッとしてる。英次が新しい仕事を見つけて、そんで、こうして桃食べてテレビを見る時間があって。 「へぇ、バラエティも出るようになったんだな」 「え?」  何が? って、テレビ画面へ顔を上げたら、元は英次のだった事務所のモデルさんだった。俺も何度か見たことがある。すごい綺麗な人で、顔小さくて、大きな口を開けて元気に笑うって覚えてる。 「ね、ぇ」 「んー?」  喉がつっかえた。自分から辞めたわけじゃない仕事。奪われて追い出されるように離れた場所だから、やっぱ、戻りたい?  俺はね、ぶっちゃけちゃえば、戻って欲しくないんだ。  だって、英次の料理すごく上手い。掃除も、洗濯だって、ずっとひとり暮らししてた俺より手際がいい。上手いからどうのじゃなくて、それを楽しそうにやってる英次を見ると、社長をしてた頃と別人みたいに思えるんだ。  スーパーで長葱買って、そんで、みょうが忘れたって悔しがったりする。てきぱきと、同時に三品くらい余裕で作っちゃう料理人みたいなとことか。掃除機はこうしてかけるのが一番ほこりを綺麗に吸い取れるって教えてくれたりとか。  今、こうしてるの、すごく楽しそうだ。ずっと笑ってる。家事するのが好きじゃなきゃそんなに笑わないと思うんだ。ひとり暮らししてたからわかるよ。英次、今の、こういう生活好きでしょ?  スーツ着てさ。社長して、毎日接待して、あっちこっち飛行機に新幹線使って走り回って、ネクタイを緩めるのは寝る時だけ、って生活が好きには思えないんだ。  だって、今の英次は、ここ、眉間に皺が寄ってない。 「懐かしい? 戻り、たい?」  ここ最近、縦皺が出現しないそこを指でツンって押した。英次は俺の取った行動にびっくりしたのか、それとも尋ねた質問になのか、わからないけれど目を丸くして、俺を見つめてる。 「前の仕事……」  ねぇ、ようやく晴れたって、瀬古さんが言ってたけどさ、あれってさ。もちろん天気のことじゃないよね。なんのこと? 「どうだろうな」 「英……」 「懐かしいとは、思うよ」  晴れたって、英次の、こと?  英次は、何を思ってた? 今まで、日本全国飛び回って仕事しまくって、寝る暇あんの? ってくらい、捕まえるのが大変なくらい頑張ってたけど。その頑張ってた間、何を考えてたの?  家事してる時みたいに、楽しんでた? 今みたいに笑ってた? 俺は――。 「英次っ!」  俺はそんなとこを見た覚えがないんだ。大好きな人だから、全部しっかりこの眼に焼き付けてるはずなのに、そんな笑った顔を見たことがない。 「な、なんだよ。いきなりデカい声出して」 「桃! 美味しいから、もっと食べよう!」 「は? んむっ」  俺の全部食べていいから。甘くて美味いよね。ね? こんなふうに桃をのんびり食うのも前だったらきっとできてないじゃん? まず、手料理食べないじゃん。ずっと外食か弁当ばっかで。その食事だって、ひとりか、もしくは接待とかで、人に気を使いながらでさ。 「桃! はい! あーん!」 「ちょ、おい。もう少し色気のある食わせ、んむっ」  もしも、俺が英次だったら、その食事きっと美味くないって思ったよ。ひとりで仕事の合間に掻き込むように食べるのも、人に気を使って、気を配りながら食べる高級料理もどれも美味くない。ここで、ふたりで食べる、普通の野菜炒めのほうがずっと美味い。俺はそう思う。  瀬古さんが言ってたことの全部がわかったわけじゃないけど、でも、今、英次の気持ちが晴れてるのなら、俺はその晴れを、胸の中の青空を、守りたい。 「お前なぁ。なんだよ。急に」 「いいから! ほら! あーん! いっちばん、甘くて美味いとこあげるから!」 「ちょ、んむっ」  英次はさ、俺にとって、とても大事な宝物なんだ。だから、大事にさせて欲しい。俺にも英次のことを守らせて欲しいんだ。  ――今日、仕事帰り、ちょっと寄り道して。 「……か、え、ろうよ、っと。これで……よし。送信」  すぐに既読は付かないだろうけど、メッセージを確認せずに帰宅するってことはないだろうし。そんで、帰りに俺が先に買っておこうかな。あーでも一緒に買うのも楽しいかもしれない。あ、ビールもあったら、どうだろ。俺は美味くないけど、英次は仕事後にビールとかきっと、ぐびーっとやりたいよな。  花火って、どこで売ってるっけ? スーパー? いや、火薬使うから、そんなとこなわけない? 子どもの頃したっきりで、どこで売ってるのかよくわからない。注視したこともないし。うーん。 「どうした? 唸って。腹いてぇの?」 「押田! ちょうどよかった! あのさっ花火っ」  花火ってどこで売ってると思う? って、聞きそうになった。 「あ……」  ダメだろ。押田に訊いたら。英次とする花火をどこで買えるかなんて、押田には訊いたらダメだ。 「凪? 花火がどうかした?」 「! ぁ、ううん。なんでもねぇ。あの、ダンスの発表、来週だな」  最後の総仕上げっ。いつも使わせてもらっていた鏡代わりの大きなガラス扉の前で皆が来るのを待っていた。これはもうペアでやるしかないから、今は一緒にいるけど、終わったら、やっぱ、押田と、少し距離があくんだろうか。 「? あぁ、そうだな」  押田は変わらず普通でいてくれる。けど――。 『でも、今でも、やめとけって思ってる』  英次とのことは反対してるから。 「藤志乃?」 「うわぁぁぁ! な、なんだ、三嶋かよ」 「ごめん。びっくりさせたか? 押田、さっき向こうで映像科が探してたぞ」 「え? マジで? あっ! やばい! 順番決めのくじかっ!」  押田はくじの順番を確認しに、慌てて走っていってしまった。俺は、まぁ、最初でもラストでも、真ん中でも、やることは変わらないからどこでもいい。そして、ぽつんと残された俺と三嶋。 「花火がどうかしたのか?」 「え?」 「花火って、さっき何か言いかけてた? 押田に」 「あ、あー……うん。花火ってどこで売ってるかなぁって」 「花火って、花火大会の? あれは買えない。買っても、打ち上げるには技術が」 「いやいや、そっちじゃなくて。それ買えるのセレブだけだから」  セレブがイメージする花火が豪華すぎる。そういうのじゃなくて、手持ち花火。技術もなんもいらない、ファミリー向けの絶賛ホーム花火。 「っぷ、わかってる。冗談だ。どこでも売ってるだろ。スーパーマーケットでもコンビニでも、薬局でも。知らなかったのか?」  花火をスーパーでも薬局でも、買ったことがないほうがよっぽどセレブっぽいぞっ、って三嶋が笑ってた。

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