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第49話 才能が、ないの
ダンスの発表前日、もう振り付けはばっちり。そんでもって、踊りも……まぁ見れる程度にはできたかな。とりあえず、右左のステップ踏み間違えはなくなった。どこかロボット的なぎこちなさが滲み出るのは、もう、あれ、ダンスがクソ下手っていう才能を神様からもらってますって開き直ることにした。
重要なのはダンスじゃない。そのダンスを披露する舞台はどう作り上げられているか、だろ。
「いよいよ、明日だなぁ。凪、お前、大丈夫かよ。ステップ」
押田がどかっと地面にあぐらをかいて、タオルで雑に頭を拭った。汗でびっしょりだ。
「大丈夫。押田にスパルタでしごかれたおかげで」
「凪の覚えの悪さ、すごかったもんな」
普通に会話してた。
「うっせぇよ。ダンス苦手なんだっつうの」
でも、ピアスは作らなくなった。押田の人差し指に初めて見る指輪がある。いつも作ると見せてくれるから、知らない指輪だってすぐにわかった。
毎週末、参加していた飲み会には今も行ってないらしい。飲みに誘われて「またそのうち」って言っているところを見かけた。
「ダンス苦手なのか?」
「三嶋」
「お茶だ」
「あ、わり。サンキュー」
今、買ってきたばかりで冷え切っているペットボトルのお茶はすでにホッカホカな外気との温度差で濡れていた。一気に半分くらいまで飲み干すと、じんわりと身体の中に水分が広がっていくのを感じた。
芸研と映像、あと、舞台、それに演劇、と、なぜかゲスト的な感じで最近参加した、音楽部の声楽、三嶋。この、変な組み合わせでこうして夕方遅くまで残って練習するのも明日で終わり。
「なんだ。藤志乃はダンス苦手なのか?」
セレブ科とも言われている声楽にいるからって、全員がセレブってわけじゃないだろうけど、でも、声楽の人は学校以外にも色んなレッスンを受けてるって押田が言ってた。その中でも三嶋はすげぇ有名なトレーナーつけてボイストレーニングをしてるらしい。絶対にセレブっだって、皆言ってた。
「苦手。すっげぇ苦手」
「でも、あのダンスの振りなら簡単だろう?」
「はっあぁぁぁ?」
お前、踊ったことないからそんな気楽に言えるんだろ。見てるだけなのと、実際にやってみるのとじゃ全然違うんだからな。
「だって……」
「だってじゃねぇし!」
俺なんて、最初転んだんだぞ。押田がいなかったら、頭カチ割ってたかもしれないっつうの。
「……こうだろ?」
「え?」
三嶋は背が高い。モデル並の高身長で、しかも顔も小さい。だから、立ち上がると、地べたに胡坐で座っている俺らは首が痛くなるほど見上げることになる。
「……ぇ?」
優雅に広がる両手。長い手足を充分に生かして、突然始まったダンスに目が釘付けになった。俺だけじゃない。ここにいる全員が三嶋の踊りに見惚れてる。
長い指が空を泳ぐと、風がふわりと舞うように感じた。長い足がステップを踏めば、それを綺麗に見せようと沈みかけの太陽がスポットライトみたいに足元を照らす。長くなった影すら、三嶋を引き立たせる材料になった。
「……すげ」
そう誰かが思わず呟くほど綺麗な踊りに、俺は何も言葉を発せないくらい見入ってて。そんで、鳥肌が立ったんだ。
人の踊りを見て鳥肌が立つなんて、初めてだった。
最後「トン……」って、足を地面に着地させた瞬間、ぶわって、ホント、ぶわって、何かが足元から頭のてっぺんまで一瞬で駆け抜けたんだ。
「……合ってるか?」
三嶋が顔を上げて、俺に、興奮からなのか言葉が出てこない俺にそんなことを確認する。もう皆大騒ぎだった。何それ! なんでそんな上手いの? っていうか、カッコよすぎだろっ! ビビった! そんな言葉が一気に溢れて、三嶋は戸惑ってた。
「え、えっと……藤志乃」
綺麗な踊りだった。同じ人間なのに、才能があるのとないのとじゃこんなに違うんだって、思い知った。
「藤志乃?」
「! ぁ、うん、すげぇ、つか、何? 声楽の人ってそんな踊れんの?」
正直、ちょっとだけ、悔しいって思ったんだ。
「なぁ、英次はさ……」
キッチンからはニンニクに良い香りがしてる。今日はダンス練習最終日でいつもよりもみっちりやりこんだせいで腹が減ってて、だから、この匂いは胃をすごく刺激してくる。
「んー? なんだ? 腹減った?」
「うん、すげぇペコペコ。じゃなくて! あのさ! なんで、俺のこと、好きになってくれたの?」
肉を炒めてる手を止めて、火も止めて、こっちに向き直ってから、思いきり真正面で「は?」って聞き返された。
「だって……」
思うだろ。普通。英次の周りには綺麗な人が山のようにいた。女優さんだって、モデルだって、英次に惚れてる人ならたくさんいたって、親父が教えてくれたんだ。なんで結婚しないんだろうなぁって、俺なら即プロポーズしてるのにって言っては、お母さんにそこだけ聞かれて、頭をはたかれてた。
今日、三嶋の踊りを見て思ったんだ。
人を魅了できる人と自分の違いっつうのを、痛感した。俺はあんなにふうに誰かを夢中になんてさせられない。
きっと三嶋は英次の周りにいたモデルとか女優さんと同じものを持ってる。人を魅了する才能。あんな人たちに囲まれてるのに、どうして、俺を好きになるんだろって、そりゃ思うよ。
「……」
雑草の花と、大輪の綺麗な花。そんなの誰だって――。
「凪はたまにものすごいバカだな」
「は?」
「なんかあったのか? 大学で」
「……べ、別に」
大きな溜め息。そして。
「理由なんかあるか」
大きな掌で頭を撫でられると思った。でも、きつく抱き締められた。腰んとこが折れそうなくらいぎゅっと抱き締められて、足が床から浮きそうなほどきつく抱えられる。
「誰かと比べるなんてする必要がない。凪と」
「……」
「凪以外の誰か、そのふたつしか、俺の中に区別がなかっただけだ」
大輪の花だろうが、雑草だろうが関係ない。ただ目の前にいる人をどんな妨害があろうとも抱き締めたかっただけ。欲しいと、切に願った人は俺だけ。
「凪のことがただ、好きになっただけだ。それだけだ。……お前は?」
「え?」
俺は。
「英次の全部が好き。俺の中にある好き全部は英次のためにあるよ」
英次の腕にぎゅっと抱き締められて、俺も腕でぎゅっと抱きついて、もう一度「好き」って告げた頃には、ムクムクと育ってきてた不安がいつの間にかどっかに行って消えていた。
「明日、ずっと練習してたダンスの発表なんだろ? 頑張れよ。そんで、それが終わったら、引っ越しだ」
「うん」
「お前はお前らしい表現をすればいい」
「……」
「誰でもない、凪そのままで踊ればいいんだ」
俺は、俺のままで、いつもそう思ってるのに。俺は俺らしくって心がけてるのに、それでも英次に言ってもらえると最高に強くなれる気がした。
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