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第51話 そんな手巻き寿司の日

 手巻き寿司なんて何年ぶりだろう。英次もよく一緒に手巻き寿司してたっけ。俺は毎回ご飯を多く乗せすぎるせいでちゃんと巻けなくてさ。  それ、おにぎりだろ? って、英次にからかわれた。  そんな英次はピーマンもニンジンも、セロリだって食べられるくせに、マグロがあまり好きじゃないらしくて。  英次、マグロ食べないの? 美味しいのに。そう返したっけ。 「ねぇ、英次」 「んー? あ、お前、野菜も食えよ。ほら、カイワレも乗っけろ。サラダも食えよ」 「うん。食べるけどさ。マグロは」 「……お吸い物つければよかったかもな」  あ、今、スルーした。 「ねぇ! 英次! マグロ!」 「……しいたけも体にいいんだぞぉ?」 「マグロは頭にいいってば!」  ニコッて爽やかイケメン風の笑顔で、誤魔化そうとしてるだろ。いくら俺だってそんなんで、言いくるめられるわけがないじゃん。 「俺には野菜食えとか、ピーマン食えとか言うくせに。自分はめちゃくちゃ好き嫌いしてんじゃん」 「……よく覚えてたな。俺がマグロ好きじゃないの」 「覚えてるよ」  英次のことならなんだって覚えてる。何かイベントがある度に我が家は「手巻き寿司パーティー」をしてた。食べるだけじゃなくて、自分たちで巻いて食べるっていうのが楽しいからって、俺と親父はおおはしゃぎで。お母さんはちょっと忙しそうだった。俺が巻き寿司作るの下手だったから。  俺が中学に入る頃には「手巻き寿司パーティー」自体しなくなって、ちらし寿司になったんだ。 「ダンス、楽しかったか?」 「んー、ダンスっていうよりも、何かを表現するのは楽しかった」 「へぇ」  すごかったんだ。ちょっと好評だったんだぜ? ダンスがすげぇ上手な班があったんだけど、そこよりも拍手はでかかったように思う。 「俺が考えた構成に変えてもらったんだけど、大きな布を頭から被ってさ。俺は影役になって、ダンスが上手い押田が光になって、そんで、舞台の端まで使ってやったんだ」 「凪が? そりゃ、見てみたかったな」  あははって笑ってた。英次はああいう舞台の上、スポットライトの下に人を案内する仕事をしてた。日本中駆け回って、うちで手巻き寿司じゃなくなって、ちらし寿司になったけど、そんなの食べる暇もなく。  今も追い出されなかったら、あの仕事を続けてた、んだよな。こうして、俺とふたりっきりで手巻き寿司を食べる暇なんてなかったかもしれない。 「英次」 「んー? ほら、カイワレ」 「あのさっ」  でも、俺は英次とこうしてたい。仕事もして、家でリラックスする時間もあって、笑って一緒にご飯食べたい。 「また、手巻き寿司食べてくれるっ?」 「……凪?」 「マグロなくてもいいからっ」  マグロにこだわるなぁって笑ってた。笑って欲しかったんだ。本当は前の仕事に戻りたいんじゃないかって、こうして平凡な生活、普通のサラリーマンして、毎日俺と過ごす、いわゆる日常に英次は退屈しちゃうんじゃないかって。前のほうが楽しかったなぁと、思ってしまうかもしれない。 「……凪」  そう思って、溜め息をつかれたら、イヤだから。 「お前が望むなら、手巻き寿司なんていくらでもする」 「英……」  頬を撫でてくれる手。これが、いつだって、すぐ隣にある、一緒にいる時間がちゃんと毎日の中に存在するのがいい。たくさんの人が憧れる仕事をして、大活躍――なんてしなくていいから。そう考えるのは怒られるかもしれないけど。 「凪こそ、いいのか?」 「え?」 「引っ越し、したら、本当に帰る場所が一緒になるんだぞ? 俺が居候するのとは違う。嫌になろうが出て行ったりしないんだぞ? 俺はただのサラリー、……」  身体をぐっと伸ばして、唇をぶつけるようにキスをした。ご飯中だったから、そんなエロくないやつ。ただ、ぶちゅっと激突するだけのキス。 「俺、英次のことずっと好きだし!」 「……」 「どんな英次でも、俺にとっては一番好きな人だし!」  本当なんだ。どんな英次だって一番好きだよ。仕事めきめきしてても、職なし宿無しでも、大きな掌をした英次をずっと好きだったんだ。 「一緒に、めっちゃ! 暮らしたいし!」 「……っぷ」 「んあ! なんで、笑うんだよっ!」 「だってお前」  すごい必死な顔で、語尾に全部「し」付けて、こんな色気のない告白なんてって笑ってる。  必死にもなる。というより、いつでも俺は必死だよ。英次のこと追いかけて捕まえて、その手をぎゅっと握っていたくて、いつだって必死なんだ。 「でも、すげぇ、可愛い」 「……」 「ホント、可愛いよ……」  やっぱ、英次はカッコいい。テーブルの角を挟んで座っているから、俺は飛び上がらないとキスできなかったのに。大きな掌で頬と耳んとこを包み込むように触れられて、そのまま優しく、ちょっとだけ引き寄せる。そして、身体を傾けた英次に、丁寧で優しくて甘いキスをしてもらった。触れて、啄ばまれて、少し吸われる、美味しい感じの。大きな手、長い腕、長身でモデルみたいな英次がくれる、ドキドキするキス。 「ずっと……」  待ってられなかった。英次が「ずっと」って言った後に続けてくれる言葉を待てなくて、心臓の鼓動と同じように胸のところで躍る言葉が、英次と見つめ合ってたら、勝手に零れた。 「ずっと一緒にいたいよ」 「……あぁ」  だって、英次の瞳が揺れて、少し不安そうで、そんな不安を英次が感じることなんてないのに、そんな必要、これっぽっちもないのにって、早く伝えたかったんだ。  俺はずっと、英次だけだよって、わかってて欲しかったんだ。  ずっと、ここでひとり暮らしかなぁって思ってた。自分の片思いが終わったり、別の誰かに変わるような気がしなかったから、きっと、ずっとひとり。それなら英次が選んでくれて、場所なんてばっちりわかるここにずっといようって思ってた。いつでもどこでも俺の居場所がわかるように、ここにいようと思った。 「凪、忘れ物ないか?」  でも、今日、ここを出て、ひとりで住むには広すぎる場所に引っ越すよ。 「……うん。ない」  英次とずっと一緒に暮らすんだ。 「……平気か?」 「うん。もちろん」  手を伸ばすと、すぐに掴んで引き寄せてくれた。強くて大きな英次の手。この手をこんなふうに掴めようになったんだよって、誰に言ってるんだろうな。部屋、かな。空気かもしれない。ずっと俺を包んでくれたこの小さくて、でも、南向きでポカポカした日差しがいつだって降り注ぐ優しい場所に。 「一緒に行こう」  パタン、って、扉を閉める音がいつもよりも軽く聞こえた。

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