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第52話 こんな手巻き寿司の日
新居、になるのかな。ふたりで暮らす部屋はリビングがあって、キッチンがあって、あと寝室がある。寝室はひとつだけ、ベッドは……ひとつ、にした。
一緒に選びに行った。キングサイズはお値段的にも部屋のサイズ的にも入らないから、それよりは小さいものにした。でも、充分広くて、俺はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心の中で、もう少し狭くてもいいのにって呟いたんだ。狭ければ、それを理由に英次にいくらでもひっついてられるじゃん。
お会計の時だった。
英次が俺を見て、嬉しそうに笑ってた。そんで。
――広くても、別に変わんねぇだろ。
って言った。一緒にぎゅっと抱き合いながら寝るのは大きなベッドでも、俺が使ってた狭いベッドでも変わらないだろって、嬉しそうに言ってた。
照れて言えなかったけど、あの時、すごく嬉しかったんだ。まだ、英次と一緒にいることが貴重すぎて、ドキドキの中に、ソワソワが混ざってるけど、いつか、それを普通に、当たり前のように思える日が来るのかな。
今はまだ、当分、無理そうだけど。
「ねー! 英次! 荷物! まだ、残ってた!」
玄関扉のところにひとつだけ置いてけぼりになってたダンボールを見つけた。
今日一日、引っ越しだってすっごい気合入れてたのに、ほぼ何も運んでない。業者は呼ばなかったんだ。俺が持ってた家電はひとり暮らしサイズのものだから大体が買い直しでこの引っ越しの日に合わせて午前中に配送が終わるようにって、手配してあった。
運ぶって言ったら、衣類とか細々としたもの。でもそれだって重いから、転んだら大変だからと英次がほとんど運んじゃってさ。食器なんて、俺ひとつだって運んでない気がする。あ、もしかして、これも食器? いや、そうじゃない気がする。
「あ? ちょっ! 凪! それはっ」
「?」
何入ってんだろ。けっこう重い。あと、ガチャガチャ音がする。それを抱えて、荷物の荷解きをあと少しで終えそうな英次のいるリビングに運ぶところだった。目を丸くして、慌てて駆け寄った英次。俺が抱えていた箱を奪うように取って、そんで、顔を真っ赤にしてる。
ガチャガチャ、プラスチックがぶつかり合うような音。そんで、それが何枚も重なって並んで、運ぶ時の揺れで騒がしく音を立てる。
「まさかっ! これって!」
あとでこっそりひとりで運ぼうとでもしてたみたいに、玄関のところに置いてあった。英次はそれを見つけられて慌てた。中身はプラスチックっぽい。薄いものが何枚も重なっているような感じ。そう、つまりは。
「エロっ」
「バーカ、ちげぇよ。お前のガキの頃のDVDだ」
「へ?」
俺の? てっきり、エロビってやつかと思った。
「お前の保育園の頃やったお遊戯とか、お祭りとかのもあるぞ」
「えええ? なんで、そんなん英次が? つか、それ、さっき親父たちの残してくれたものでしまったじゃん」
「そりゃそうだ。これは俺のだからな」
英次の? 俺が映ってるのに?
「見るか?」
「……えぇ」
「俺も写ってる」
「見るっ!」
即答したら目を丸くして、そして大笑いしてる。だって、それは見たいじゃん。若い英次って記憶にはあるけど、でも、見たい。
「わかったよ。後でな。夕飯の時にでも見ようぜ」
英次の全部、見て知って、独り占めしたいんだ。
「うわぁ……」
手巻き寿司作る暇がないんだけど、これ。
「すげぇ……英次、かっけぇ……」
「そりゃ、どーも。ほら、凪、きゅうり乗っけろ」
「う……ん」
マグロねぇじゃんって、またからかうのを忘れるくらい、めちゃくちゃ若い英次が画面に映ってた。すっごいブレブレで最初気持ち悪くなったけど、でも、途中で慣れてきたんだろうな。今はけっこうマシに録れてるよ。十二歳の俺。
英次は二十四歳。俺にカメラを向けられて、照れて、俺のことは撮るなよって何度も突っ返そうとしてる。
少し顔が赤くも見えた。
『えーいじ! えいじ!』
『わーかったから! ほら、俺なんて撮っても面白くねぇよ』
英次が若い。そんで髪型が社長やってた頃に近い感じ。これは……うん。すげぇ、遊んでそう。すっげぇ、モテたんだろうなって、一目見てわかる。
ちょうど、俺が英次のことを男として好きなんだって自覚した頃だ。
『いいから! ほら、凪のこと撮ってやるって』
『ぎゃあああ! 俺はいいってば!』
そして、英次も俺を好きだと自覚してくれた頃。
『英次! もういいって! 恥ずかしいっ』
俺の髪が黒くて、短い。短髪とはまではいかなくても、人見知りが激しすぎて、昔はおでこ出すのも嫌いだったから、前髪だけをやたらと長くしてた。
「……懐かしいな」
幼い俺は顔を真っ赤にしてる。きっと、大好きな英次が久しぶりに家に来てくれたのが嬉しくて、感動してるんだ。
『おー、ふたり仲良しだな』
「あ……親父だ」
この六年後、親父は天国に逝ってしまった。
「凪、ここで消すか?」
「んーん。平気」
俺の隣に座っていた英次が肩に手を回して引き寄せてくれた。全部、英次に寄りかかってもいいって、掌が教えてくれる。
「英次……めっちゃカッコいいね」
「そうか? 今以上にガキくさいだけだ」
「この時から好きだった」
「……」
今もすごく好きだよ。
「すごいね。こんなガキっぽい頃からずっと、英次一筋だよ」
「……」
「英次、すごいカッコ良すぎ」
「……どこがだよ」
こんなん、好きにならないほうがおかしいよ。そんくらいカッコよくて、ドキドキしてる。
「好きな奴とじゃれてやたらとテンションたけぇし、バレないように必死に眉間に皺寄せてるし。ほら、耳赤い」
二十四の英次は今の俺と五つしか違わない。俺もそうだよ。英次といるとテンションやたらと高いし、気持ちを伝える前まではずっと悟られないようにって、文句ばっか言う天邪鬼だった。耳なんて余裕で真っ赤だった。
「この時から、俺のこと、好きでいてくれた?」
「あぁ」
「ね、英次、やっぱ止めてもいい?」
「……どうして?」
じゃないとできないから。この前みたいな、ぶちゅっと衝突するキスじゃなくて、ご飯よりも何よりも美味くて、デザートみたいに甘い甘いキスがしたい。あの黒髪で子どもな俺がたくさんの年月かけて手に入れた好きな人を今ここでぎゅっと抱き締めたいんだ。
「キス、したいから」
あの画面の中にいた俺が一番欲しかったものを、今、見せびらかしたいから。
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