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第60話 狭くて、深い、場所
三嶋のことでびっくりした翌日、今度は自分のことでびっくりした。これじゃ心臓がもたない。
――是非、海外の学校で学んでみないかって話になってな。舞台演出のことやらを、向こうの会社で働きながら学べる。もちろんスクールもある。俺からみてもかなりの好条件だぞ?
そう言われた。たしかに、あの時、すげぇ拍手だった。俺らもやりきった感がすごくて、押田と他のメンバーと、全員で確かな手ごたえを感じてた。今、この話をしてくれた先生じゃなくて、他の科の講師に質問されたんだ。この演出を考えたのはどっちだ? って。俺ですって答えて、その人は、タイミングを合わせながら位置のバランスを見るのは難しかったかと押田に尋ねた。押田は、いえ、そんなには難しくなかったですって答えたんだ。
質問はたったのそれだけ。たったひとつずつの質問で俺らはスカウトされたのか? それとももっと前からそんな話出ていたのか?
海外で最低でも一年、みっちり学べる。
「押田、どーすんの?」
先生は急な話だし、ご家族にも相談しないといけない話になる。なにせ行き先は海外だから。急いで今すぐ決めなくていい。夏休み明けに結論を教えてくれればって言ってた。
家族にも相談を、しないとって。
「俺は……」
突然すぎて、頭がちゃんと働かない。
海外なんてこと、欠片ほども考えたことがなかったから。
「俺は、バイトキャンセルする」
「え?」
「ンで、英会話レッスン受けるわ」
マジで? 海外だぞ? 電車で片道二時間とか、そんなレベルじゃなくものすごく遠い場所だぞ? 海なんて越えて、違う言語、違う文化、違う国。そんなところだぞ?
「こんなチャンス滅多にねぇじゃん。俺は向こうで勉強できるんならしたい」
押田の瞳が輝いてた。真っ直ぐ、いや、少しだけ高いところを見てる。俺はそんな押田を見上げていた。
あの舞台の作り方に可能性を感じてもらえた。勉強したらもっといいものを作れるようになるかもしれないと、俺たちのことを認めてもらえた。それはすげぇ嬉しいことで、押田みたいに目を輝かせる出来事。
舞台のこと、演出のこと、あのスポットライトの輝気を作る方法を学ぶことはとても面白い。あの舞台構成だって、講義を受けて俺がワクワクしながら考えたものをあの場で、土壇場で押田もアレンジしてより良いものにしてくれた。
楽し、かった。
舞台のこと考えるの、すごく楽しかった。もっとたくさん勉強したら、もっとたくさん、人をハッとさせられる舞台を思いつけるのかもしれない。でも――。
「どうかしたか? 凪」
「!」
「明日から夏休みなのに、友達と夜更かししなくてよかったのか」
それより英次と一緒にいたいって、言ったら、なんか、ダメ? ダメな恋になる? 頭をくしゃって撫でられて、英次に寄りかかっていた俺は飛び上がって、そして、じっと、好きな人を見つめる。
「寝てたか? 風呂入るか」
「ううん。寝てねぇ」
「エアコン、寒いのか? くっついてうたた寝して、寒いなら」
リモコンに手を伸ばそうとするのを捕まえた。大きな掌を捕まえて、両手で俺の懐に抱き締める。胸んとこにくっつけて、心臓の鼓動を伝える。
「寒く……ない」
触ってよって、英次の指で気持ち良くさせてって、ぎゅっと胸に押しつけた。
海外は……遠い。それに、英次がいない。こんなふうに触ってもらうことができなくなる。英次のそばにいられないのは、やっぱ、やだ。
「なぁ、英次」
「んー?」
ガキかな、俺って。好きな人のそばにいたいばっかなのって、やっぱ子どもなのかな。押田はさ、即決した。バイトして、女の子と仲良くなってって、そんなプランをあの瞬間で掻き消して、自分の可能性が広がることに目を輝かせた。
一年、そんなの俺がしてた片想いの年数に比べたらあっという間だ。その間に何かが変わるなんて思ってない。この気持ちが色褪せて、風化してって、風に飛ばされるとも思わない。消えないし、消さない。
でも、離れたくない。
「英次……ン」
そういうのってさ、女々しい?
「どうした?」
溺れるみたいに英次のことばっか考えてたら、やっぱ、ダメ?
「あ、英次っ」
だってさ、遠くに行くってことは、こんなふうに触ってもらえない。好きって、電話で文字で伝えても、でも、このキスはもらえない。
「ン、ぁっ」
「凪」
こんなとこ、触ってもらえない。
「やぁぁっ……ン、英次っ、もっと、触って、俺の、奥んとこっ」
さっきエアコン効きすぎたって言ってたけど、もう熱い。ほら――。
「あ、あぁぁっ……ぁ、ン、英次」
中をほぐす濡れた音が部屋に響いた。やらしくてドキドキして、そして、全身が火照るセックスの音。
「あ、英次っ、したい」
「凪、まだ」
「大丈夫、昨日だって、したんじゃんか。だから、ここ……」
一年なんてあっという間かもしれないけど、一年は今の俺には長すぎるよ。
「ここ、あ、あぁぁぁっ……!」
ずぶりと突き刺さる太くて熱い存在感。俺の中いっぱいに英次が詰まってるこの感じ。
「ぁ、アッ、英次、気持ち、イイっ」
「っ」
「奥、して欲しいっ」
英次と……ごめん、俺はずっとこうしてたい。
「あぁぁぁっ」
快感に頭のてっぺんから足の先まで全部丸ごと浸って、奥まで刺し貫く英次にしゃぶりついて放したくなかった。
「……あつ」
思わず呟いて、その声で目を覚ますくらい、暑い。
「……しまった」
俺は夏休みだけど、英次は仕事じゃん。見送りもせずに寝こけて、ほら、もう昼近い。昨日、セックスして、風呂入って、さして良くない頭でグルグル考え事しながら寝たら、アラームセットし忘れた。
大きな溜め息をひとつ、ひとりになったベッドに落っことす。
レースカーテンの向こうから差し込む日差しは強くて、これじゃ外は今日ものすごい暑さだなぁって、寝ぼけた頭で考えてた。
押田は、バイト断って、英会話レッスンとか探してる頃なのかな。
――ピンポーン
俺もぐーたらしてないで、家の掃除とかしないとって、起き上がった。それを待っていたかのように、インターホンが鳴った。
三嶋? まだ懲りずに?
そう思ったら、今、英次が仕事でここにいないことにホッとする自分がたしかにいる。ど素人の俺から見ても、才能のある三嶋に英次と話させないで済むって思った。
「……え?」
他にここを尋ねそうな人なんていないと思ってたから、びっくりした。
『やっほー!』
瀬古さんがインターホンのカメラの向こうで呑気に手を振っていた。
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