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第61話 引っ越し祝い

「引っ越し祝いを持ってきました」  すごい笑顔とすごい花束と、すごいラッピングをされたプレゼントをいただいた。 「あ、ありがとうございます。すみません。お茶、どうぞ」 「いえいえ、おかまいなく」  こんな大きな花束なんてテレビで見たことくらいしかない。でもそんな豪勢で大きな花束は瀬古さんにとてもよく似合っていた。 「英次がとても嬉しそうに引っ越したって教えてくれたよ。電話でね。声を低くして、普通に話してるつもりだったみたいだけどさ」  瀬古さんが、喉奥で、「ククク」って声を詰まらせ、思い出し笑いを我慢しつつ教えてくれる。ちょっと聞いてみたい。嬉しいけど、それを見せないように普通のフリをする英次なんて、ちょっと可愛い。 「あ、プレゼント、それ、けっこう高級なワインだから、英次とちゃんとはんぶんこで飲むんだよ?」 「そうなんですか? 俺、ワインって飲んだことないです」 「そっか。美味しいよぉ。大人の味だね。大人のオモチャとどっちにしようかって迷ったんだけど」 「ぶほっ!」 「ちょ、大丈夫?」 「だ、だいじょーぶ」  すごい言葉を言うからびっくりしてお茶を器官のどこかに入れちゃったじゃんか。げほごほしてると瀬古さんが手を伸ばして、背中を叩いてくれる。鼻、入った。あと、ちょっと我慢してないとまたむせそう。  ホントマジでびっくりしたじゃん。 「あははは。大人のオモチャでもよかったかもね」 「だっ! 大丈夫です!」  思いっきり否定したら、殊更大きな声で笑ってた。いらないから、そういうの。ホント、英次だけで、俺は。 「こりゃ、英次はめちゃくちゃ可愛がってるんだろうねぇ」 「そ、そんなこと、ないっす」 「そ? これじゃ、君が海外に一年留学なんて知ったら」  今度は、むせなかった。 「……君と、押田君? 友達の。君たちに是非、海外で学んで欲しいって言い出した人物は俺の友人なんだ」 「……ぇ?」 「コネじゃないよ? その友人が君たちをスカウトした話は昨日聞いたんだ。藤志乃っていう苗字、知っているか? って訊かれた時は驚いたよ」  瀬古さんの友人でもあった親父、それに英次も「藤志乃」だから、その、俺たちをスカウトしてくれた人物との会話でたまに出てきてた。少し変わった苗字、それに外国人ならきっと誰もが知っている「富士山」と同じ発音で、覚えられていた。  すごく素晴らしい人なんだって。才能を見抜くのは抜群に上手くて、その人が見出した人が世界中でたくさん活躍してるって。だから、初めての海外でしかも一年間も、っていうのは不安がたくさんあるだろうけれど、安心して勉強するといいって言われた。言葉は少し習ったほうがいいけれど、その辺のフォローもしっかりしている。何せ、その友人は世界中から才能ある人材を見つけ出すプロなんだからと、そう教えてくれた。 「短期でも英会話やっておくと、日常生活のちょっとした時に助かるかもしれないね」 「……ぁ」 「引っ越したばかりで少し躊躇ってしまうかもしれない。でも、これは素晴らしいことだよ」 「ぁ、えっと……」  ずっと、うちに来てくれた時から笑顔だった瀬古さんが目を丸くして、少しだけ、ほんの少しだけ信じられないって顔をした。 「もしかして、そんなわけないよね」 「いえ、断ろうかと」 「……英次と一緒にいたいから?」 「……」 「それは、僕はいただけないな。もちろん、君が掴んだチャンスは君のものだからもったいないとか、誰もが喉から手が出るほど欲しい権利なんだぞ、なんて言うつもりはない」 「……」  わかってるけど、俺は、やっぱり英次を一番にしたくなる。 「そんなネガティブな恋愛はお互いを潰すよ」 「……」 「英次は君を幸せにすることが一番欲しいものなんだ。そのためにできることならなんだってする。叔父として、ずっと我慢してきたのだってそう。今はその我慢を止めたけれど、でも、根本は何も変わらない」 「俺だって!」  そう思ってますって、言い切れなかった。だって、俺は――。 「俺の通ってる大学に、三嶋っていうすごい奴がいるんです」  何を突然言い出したんだって顔をしてた。でも、俺はかまわず、三嶋のことを話した。声楽っていう、うちの大学でもセレブばっかいるところの生徒で、歌も上手くて、顔も良くて、良家の息子って感じに素直で、そして、ダンスがとてつもなく上手い。俺と押田をスカウトしてくれた人だって、三嶋のダンスを見たら、なんて逸材だって拍手すると思う。  そんなあいつがモデルになりたいって、英次に頼んできた。  英次は、それを断った。新しい仕事も見つかったし、あの業界から去った身である自分に手伝えることはないって。知り合いの名刺を渡した。 「俺、三嶋のダンス見せなかったんです」 「……どうして? 取られると思った?」 「……はい」  本当に魅力的だったから。瀬古さんは俺らをスカウトしてくれた人を逸材を見つけ出す天才って言ってた。でも、俺は、英次もそういうのを見つけ出して、世に送り出す天才だと思う。英次が見つけて育てたモデルで今も活躍している人はたくさんいる。 「その彼が英次を奪ってしまうと? あはは。それは、ないよ」 「そんなのっ!」 「わかるよ。英次は」  英次は? どうしてそんなんわかるんだよ。あんなに大変な仕事してたのに、才能ある人を見つけて育てて今も活躍できるだけのモデルにさせてるのに。そりゃ、たしかに戻りたいなんて一言も言っているのを聞いたことはないけど、言わないだけで本当は。 「あそこはね、英次の拠り所だったんだ」  本当は戻りたいのかもしれないじゃん。 「……ぇ?」 「君の知らない話。英次にとって、あの仕事は、なんだろう、大袈裟に言うのなら贖罪(しょくざい)のひとつだったんだよ」 「……」  贖罪って、なんの? 英次はそんな悪いことなんてひとつも。 「僕が言ったんだ」  モデルでも女優でも、自分じゃない自分になれる。その手伝いをする仕事だよって。 「なんで、英次が……」 「一番、自分以外のものになりたかったのは、英次だったから」  英次は俺にとっていつでもカッコよくて、いつでも強くて、俺は英次みたいな男になりたいと思ったのに? 「同じことを思っている人の手伝いをすることで、自分の罪悪感を和らがせていたんだよ」 「なんで、罪悪感なんて」 「さぁ」  そこはきっと英次のすごく深くて狭くて、一番奥のところに隠している事だから、自分にはわからないと瀬古さんがとても静かな声で教えてくれる。 「今の英次は見ていて楽しい。だから、僕もつい日本に長居してしまってる。ずっと今まで、苦しそうに、ここ、この眉間のとこ」  瀬古さんの細く繊細そうな指が眉間を押した。 「ここに皺を寄せている彼しか見てなかったからね」  そして、その細い指が眉間を押すのを止めると、またふわりと軽く、のんびりとした笑顔に戻っていた。

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